原田君には好きな子がいる。
そしてその人は彼の気持ちに応えてくれない人だという。
だけど彼は一途にその人の事を想っているらしい。
だから、今まで告白を断り続けてる。
「‥‥」
私は久しぶりに屋上にやってきていた。
この時期は寒いから誰も来ない。
一人きりになるなら絶好の場所だ。
とはいっても、彼が来るとまずいので見つからないように私は貯水槽の上に寝転がっていた。
細い雲が暢気に空をふよふよと浮いている。
悩みなさそうだなぁと思ったらちょっとむかついた。これは完全なる八つ当たりだ。
何も考えたくなくて、ぼけーっとしたかったのに、私の頭の中で考えている事がある。
彼、原田君の事だった。
ここ一月、ずーっと彼の事で頭を悩ませている気がする。
まるで問題児を抱える教師の気分。いや、私教師だけどね。
でも、彼は別に問題児とかそういうんじゃなく、まあ、成績はもうちょっと頑張って欲しいかな?って所はあるけど、だ
からといって頭を悩ませる事じゃない。
授業はちゃんと出てるし、少しずつ成績も上がってきている、らしい。
だから私が教師として気にする事は何も、ない。
気になっているのは彼の「好きな人」の事で、これは完璧教師として口出しする所じゃないだろう。
つか、彼が誰を好きでどうだっていうのをどうこう言う資格はない。
そこまで口出ししたらオカンだ。口うるさいオカン。もしくは彼の彼女。
当然私はオカンでもなければ、彼の彼女でもないわけで‥‥気にする事じゃないんだろうけど、気になるんだってば。
だってね。
通算80名の女子を振ってでも片想いしてる相手がいるってのに、私にあんな事をしちゃったわけでしょ?
それってまずいと思うんだ。
つか、なんで?って思う。
好きな子いるならその子にしたらいいじゃんってさ。
いやだからって無理強いは駄目だよ?犯罪だから。
いやいやだからって私ってのもまずいだろ。
「だからさぁ‥‥」
私は空を見上げながら不満げに呟く。
「なんで私にあんな事したのさ。」
私にあんな事をする前から、彼はモテていた。
そして、今と同じように断り続けていた事から、恐らく彼はあの頃から片想い状態だったんだと思う。
つまりは、好きな子がいたっていうのに、私とセックスをしちゃったってわけで。
「あれか‥‥」
欲求不満だったのか。
男子高校生って、割と旺盛だって言うしなぁ‥‥
我慢できなくてしちゃった?
そこに私が運悪くいたって事か?
いやまさか‥‥彼がそんな酷い男だとは思えないんだけど。
それにあんだけ沢山の子を振ってまで一途に想う好きな子がいてそれで‥‥ってループか!ループしたか!!
「‥‥っ」
ごろと私は寝返りを打った。
瞬間、お腹の上に乗せていたお弁当箱がごろんと落ちる。
重たい音をさせるそれはまだ中身が入っている証拠だ。なんとなく、食べる気になれない。
横になって今度は違って見える景色に、私はぼそっと呟く。
「私があれこれ考えても、答えなんて出ないんだけど‥‥さ。」
真実は結局彼の心の中にあるんだ。
答えが知りたければ彼に聞くしかない。
それは分かってる。
そして私は知りたいと思っているという事も。
でも、
「‥‥‥‥‥‥‥」
相変わらず暢気な青空を睨んだ。
睨んだところで何があるわけでもないけど、睨んで、次に出たのは溜息だ。
「‥‥聞きたく、ないし。」
本音は、そっちの方だった。
結局、私は恐れている。
彼の口から答えを聞くのを。
だから、一人で、ああでもないと悩むんだ。
きぃ。
不意にドアが軋む音がして、私はびくっと身体を震わせる。
誰かが扉を開けた。
屋上へと続く扉を。
「‥‥」
私は思わず貯水槽の上に身を隠すように丸まって小さくなる。
下からこちらは見えない‥‥はずだ。
恐る恐る、私は首を伸ばしてドアの方をのぞき見る。
きぃと微かに音がしてそのドアが閉まっていくのを見て‥‥その先に、その色を見つけてしまった。
独特な、
赤。
「っ!?」
私は即座に首を引っ込めた。
顔を見なくてもあの髪の色で分かる。っていうか、ここに来るのなんて彼くらいだっていうのも知ってる。
立ち入り禁止だと口を酸っぱくして言われているし、何より、鍵を持っている人は少ない。
勿論彼だって鍵を持っているわけじゃないけれど、扉を開けるコツっていうのを知っているらしくて‥‥それは歴とした
犯罪だけどな‥‥ここに出入りする事が出来る、と初めてここで会ったときに教えてくれた。
「はらだ‥‥くん‥‥」
彼が、私に、悪戯っぽく教えてくれた。
それをなんで私は覚えていて、思い出すのか分からない。
私は小さくなって、身動ぎ一つ出来ずに凍り付く。
下からは見えないし、彼が貯水槽に上がってくる事は、ない、と思う。
彼ほどの長身だとここに登って寝ころぶと手足が余ってしまうから。
だから見つかる可能性はないと思うんだけど、それでも私は息さえ止めて、ただ必死に耐えた。
彼が外に出ていってくれる事。
とかいって、次の時間サボられたら最悪だ。
私、次、授業があるのに。
ここから降りられないとかなったら、やばいんですけど。
なんて事を考えながら丸まって蹲っていると、もう一度、ぎぃっと今度はさっきよりも大きな音を立てて戸が開かれた。
彼が戻った、んじゃなく、誰かが出てきた、というのは次の瞬間発せられた言葉で分かった。
「原田先輩っ!」
聞こえた声は、凛とした、高い、女の子の声。
それが教師のものじゃなく生徒のものだっていうのは少し幼さを残した声音から分かった。
っていうか、その声は知ってるものだ。
私はぎょっとして思わず顔を出した。
飛び出してきたのは黒髪を持つ、小さな女の子。
この学校に唯一いる、女子生徒。雪村千鶴。
私の可愛い妹‥‥いや、従姉妹。
その千鶴ちゃんが飛び出してきて、原田君の名前を呼んで駆け寄ってきた。
「よぉ、千鶴。」
そして原田君は振り返ると、緩く笑った。
どうした?と問う声は、優しい。
一方の千鶴ちゃんはひどく真剣な面持ちで彼を見つめていて‥‥
「原田先輩‥‥その、大丈夫ですか?」
「大丈夫って、何がだ?」
質問に、逆に聞き返されて千鶴ちゃんは困惑したように一度視線を落とす。
えと、と呟いて、言葉を整理すると、もう一度顔を上げて、唇を開いた。
「最近‥‥お元気がなさそうなので‥‥」
大丈夫ですか?と問いかける声に、原田君は瞠目した。
うちの千鶴ちゃんは、普段はぼけーっとしているけど、人の変化には鋭い。
こと、相手が苦しんでいたり、悩んでいたり、という事には目聡いのだ。
そして気付くと放っておけないというのがあの子の悪いところであり良いところでもあるんだよね。姉馬鹿で申し訳ない。
そんな千鶴ちゃんに原田君は見開いていた目を、やがて困ったような笑みに変えて、ふ、と吐息を漏らした。
「これでも、上手く隠してたつもりなんだがな。」
「‥‥でも、分かります。」
千鶴ちゃんは迷わずに言った。
「私で良ければ、力になりたいです。」
「‥‥」
目を逸らさずに告げる言葉には力がある。
原田君はその真っ直ぐな視線をじっと見つめて、受け止めて、
「‥‥‥」
ぽん、と小さなその頭に手を乗せた。
黒髪に微かに指を絡めてくしゃと撫でると、彼は、優しく囁いた。
「ありがとな。」
その顔は‥‥見た事がないくらい優しくて、甘いそれで。
私は、
直感してしまった。
彼には好きな人がいた。
ただ一人の好きな人。
きっとその相手は、
彼女だ。
だって、
あんなに優しくて甘い表情をして見るんだもん。
私に、見せた事がないような、
甘い表情を、
見せるんだから。
――ばちんと、何かが胸の中で弾けた。
黒い何かが広がって、心を蝕んだ。

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