終わらせたくないと思った。
終わって欲しくないと。
この関係が永遠に続けばいいと思っていたけれど、多分、俺はあいつの隣でただ笑ってるだけの優しい男にはなれない。
教師と生徒って関係も嫌だったが、友人って関係はもっと嫌だ。
あいつにとっちゃそれが一番気安い関係なのかもしれねえけど、俺は、その先にいきたかった。
そいつの『恋人』になりたかった。
勿論、そいつがそんなの認めねえだろうって事は百も承知だった。
は、教師としての責任感の強い女だった。
教師と生徒には確実に一線を引いていた。それがなりのけじめのつけかたなんだと思う。
だからきっと、俺が好きだといった所で結果は見えていた。
でも、
やっぱり、
俺はどこか恐れていたんだろうと思う。
終わってしまう事が。
あの、もどかしくも心地の良い関係が、終わってしまう事が。
二度と、近付く事を、気を許す事を、してくれなくなることが。
俺は怖かった。
だから、言えなかった。
その日から、前にも増しては俺との接触を避けるようになった。
いつも屋上で昼飯を食っていたそれも無くなったし、休み時間や放課後は職員室から一歩も出なくなった。
極力三年生のフロアにも来なくなったし、授業中はこちらを見る事さえ無くなった。
完璧に避けられている。
馬鹿でも分かる。んなことは。
つか、俺だって同じ事をされたらきっと相手の事を避けると思う。
でも、
俺はここで引くわけにはいかねえ。
もう踏みだしてしまった一歩を引くわけにはいかねえんだ。
どうせ前のように戻れねえなら、行くところまで行った方がいい。
それに俺はまだ、伝えてねえんだ。
あいつをどう思ってるか。
伝えなきゃ、
終われねえ――
「は‥‥」
吐息を漏らすと空に白い靄が浮かんで、消える。
11月も半ばになると随分と寒くなるもんで、最近じゃコートが欠かせないくらいに風が冷たくなってきた。
朝晩は最高に冷える。
手を出していると悴んでくるから俺はポケットにつっこんだまま、瞬く星空を見つめた。
都内とは言えここが田舎で良かった。
星が綺麗に見えるから、気分を紛らわす事が、出来る。その分寒くはあるけれど。
それにしても、と俺は時計を見る。
デジタル時計は22時5分と表示されていた。
随分と、遅い。
「‥‥んな時間まで女を働かせるってどういう学校だ?」
まったく、と俺はしんと静まりかえった学校を見上げる。
下校時間をとっくに過ぎてるから正門は閉ざされていて、今開いているのは職員用の入口だけで、その扉も外からは鍵が
ねえと開かないようになっている。
灯りが点いているのは一角だけだ。
職員室。
きっと、そいつはまだ、そこにいる。
出ていった姿を見ていないから、きっと、そう。
「‥‥俺はストーカーかよ。」
自分の行動を省みて、思わず笑ってしまった。
話がしたいと思ったが、あいつと接触する事が出来なかった。
授業が終わってすぐに駆け寄ろうにも逃げるように出て行ってしまうし、職員室に行って呼びだそうにも人目がある。
俺とを繋ぐのは学校だけで、だからこうして出てくるのを待ち伏せしてるってわけなんだが、こりゃ下手すりゃ犯罪
だよな。
別につけてって何かしたいってんじゃねえけど、でも、相手からすりゃ良い迷惑、
「‥‥さみ‥‥」
ひゅと強い風が吹き、容赦なく俺の身体を撫でる。
首を竦ませて、少しでも熱を取り戻そうとその場で軽く足踏みをした瞬間、ふ、と職員室の電気が消えた。
学校は真っ暗になった。
来る。
と思った瞬間、何故か竦んだ。
腹はとうに決めたと思っていたが、いざ目の前につきつけられると恐ろしいと思うなんて、俺は実は臆病者だったのかも
しれねえ。
惚れた女に振られるのが怖くて、何日も悩んで動けなかったなんて、情けなくて笑える。
自分勝手に傷つけたくせに、振られるのが怖いのかよ。
「しゃんとしろ。」
言い聞かせるように、俺は呟いた。
呟いた時、ぴぴ、という電子音と共にノブが回る。
ぎぃと錆び付いた音が耳にいやにつき、薄く開いた扉から覗くのは、闇に紛れない飴色だった。
青白い月光に照らされてその色がなんだか幻想的な色を醸し出している。
――
俺は心の中で名を呼んだ。
本当は思いっきり呼びたかった。
でも、俺は生徒で、そいつは教師。
俺にそいつをそう呼ぶ資格なんて、ねえ。
「っ」
一つ息を吸い込んで腹に力を入れる。
そうしてジャリと地面を踏みつけて歩き出すと、鞄を抱えなおしたはその音に気付いたのか歩きだしたその一歩を止
めて、振り返った。
「っ!?」
は目を見開いた。
あの時、職員室で会った時と同じ、驚愕のそれに。
どうしてここに、と問いたげなそれに、俺は足早に近付いていって、口を開く。
「悪い。こんな真似をして。」
「はらだ‥‥く‥‥」
「少し、話を、したいんだ。」
矢継ぎ早に俺は言葉を紡ぐ。
少しでも黙ってしまうと次の言葉を紡ぐのが難しいと思ったからだ。
だが、
俺の「話」という単語に、はぎくりと肩を強ばらせ、驚愕のそれを今度は恐れの色に変えた。
まるで俺を怖がるみたいに見て、そして、
「っごめんなさい!」
と踵を返す。
逃げるように。
「ま、待ってくれって!」
俺は咄嗟に手を伸ばしてその肩を掴んでいた。
掴んだ肩が更に強ばる。
「俺は別におまえに乱暴しようとか思っちゃいねぇっ」
どの口が言うんだと、内心で突っ込んだ。
いきなり、何も言わずにそいつを抱いておいて、乱暴しねえとか、笑わせるよな。
「話が、してえだけなんだよ。」
と俺が言うと、は俯いたまま、ぎくりと肩を強ばらせて、その、と引きつった声を漏らす。
「ごめんなさい、私‥‥まだ、聞けない。」
彼女は聞けないと言った。
どうして?
俺は問いかけそうになり、止めた。
当然の事だ。
が傷ついて、俺を恐れるのは当然の事。
そしてあんな事をした俺を許せないのは当然の事だ。
話だって、聞く気になれねえだろう、当たり前だ。
俺は酷い事をしたんだから。
「っ」
分かっちゃいたが、紛れもない拒絶に俺は情けなく怯んだ。
思わず力を緩めると、の身体が俺の手を逃れて数歩離れた。
そして相変わらず俯いたまま、は言った。
「ごめんなさい。」
固い声に、謝るのは俺の方だと唇を噛んで呻く。
「ごめん‥‥なさい。」
はもう一度、そう言って謝って、くるりと背を向けた。
「待ってるから!」
「っ!?」
の足が一瞬、止まる。
俺は背中に向かってもう一度叫んだ。
「ずっと、待ってるから!」
おまえが俺の話を聞いてくれるまで、ずっと。
俺の気持ちを伝えられるまで。
俺は、終われない。

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