「おい、左之――」
救いの手は、意外なところから降ってきた。
「ち‥‥新八か‥‥」
「新八さ‥‥」
声を上げようとしてもが、と大きな手に遮られた。
「良いところで邪魔しに来やがって‥‥」
舌打ちをしながら男は障子戸の向こうを睨み付ける。
「左之?いねえのか?」
「いるからちょっと待ってろ!」
その手が障子戸に掛けられるよりも前に原田が鋭く声を上げた。
あまりの勢いに、伸ばされた手が止まる。
「お‥‥ぉう‥‥」
開けるな、という意図をその声から汲み取ったらしい。
原田は即座に懐から手拭いを取り出すと、
「いいか、少し黙っててくれ。」
と言って彼女の口に押し込んだ。
そうして、解いたサラシに手を伸ばすと、
「む、むううっ!?」
をぐるんと反転させ後ろ手に縛り上げてしまったのである。
因みに脚には自分の腹に巻いていたサラシを。
「む、むむううう!!」
これでは動けない。
「手荒な真似はするつもりはなかったんだが‥‥」
悪いな、と彼は告げた。
いやいや、もう充分手荒だ今更何をいうとはもごもごと反論したけれど、彼に伝わったかは謎だ。
「じっとしてろよ。」
とにかく動くな、と低く告げるとの返答も待たずにすたすたと障子戸へと向かっていった。
誰が――じっとしているものか!
逃げるならば今だとは即座に行動に出た。
柔らかい身体を利用して両足を結ばれた手の所まで持っていく。
指先がサラシの端に触れた。
「っ」
はそのままそれを辿り、結び目にたどり着くと結び方を確かめた。
ご丁寧に解けないように玉結びだ。
くそ。
は内心で吐き捨てる。
がしかし、ここで諦めたらいっかんの終わり。
原田に美味しく食べられてしまうのは目に見えている。
更に手を伸ばしてどこぞに緩んでいる場所はないかと探した。
彼も慌てていたからどこかに緩みはあるはずだ。
強くサラシを引っ張りながらそれを探していると一点、微かに緩んでいる場所を見つけた。
よし、ここなら‥‥
は緩んだ部分を引っ張り、爪を立てる。
勿論それで破れるわけではない。
だけど、
「‥‥っ」
布地を伸ばして、薄くなった場所に更に爪を立てて力を加えた分‥‥布は弱り、くたびれるものだ。
ふにゃりと緩んだそれにしめたとは思い爪先を丸めて一気に引っ張った。
じりと皮膚を微かに擦るのが痛かったけれど、それどころではない。
もっと痛い目に遭う前に逃げ出さなくてはいけないのだから。
「ん‥‥んんっー!!」
ぶちりと嫌な音を立てつつ、サラシは片脚を抜けた。
一方が抜ければ片方は簡単だ。
あっという間に脚の自由を取り戻すとは迷わず障子戸に飛び込んだ。
ばりん、がたん!
「うおわぁあ!?」
けたたましい音を立て障子戸は破れ、倒れる。
勿論外にいた永倉は驚きの声を上げ飛び出してきた人物を見て目を丸くした。
「ぁ!?」
「‥‥っ!」
彼女は呼びかけに応えない。
いや、応えられない。
そして振り返りもせずに立ち上がると、一気に駆け出した。
「わ、こら待て!!」
と原田がその後を追おうとしたが、
「ああ、くそっ!!」
ずぼりと脚を破れた障子に挟まれて悔しそうに声を上げるしかなかった。
もう絶対外に逃げる。
何があっても外に逃げる。
この屯所の人間に助けなど求める物か。
はばたばたと廊下を疾走した。
裸足だったが構わない。
とにかく屯所の中にいると危険なのだと分かったから。
そうして勢いよく廊下を駆け抜け、角を曲がったところで、
「うおっ!?」
「ふむっー!?」
どんっと前方からやって来たその人のぶつかってしまった。
あまりに勢いついていたせいでそのまま後ろに倒れ込みそうになる。
けど、
「おっと‥‥」
伸びたその手が支えてくれた。
ほぅ‥‥とは溜息を吐く。
しかし吐いてみて、自分を抱きしめるその人が男なのだと気付いた瞬間に身体がぎくりと強ばった。
「‥‥ひひはははん‥‥」
口に何も放り込まれていなかったとしたら明瞭に聞こえただろう。
『土方さん』
と。
そう。
まん丸く見開いたその目に映っているのは鬼の副長の姿だ。
こう、三度も男に襲われかけた‥‥というのとその全てが幹部だったという事での警戒心は高まっていた。
それこそこの目の前の男も同じ事を考えているんじゃないかと疑うほどに。
しかし、彼は男の下心を丸出しにするのではなく、どういうわけか驚きに目を見開いている。
「おまえ、なんて格好してんだ!?」
言われてぎゃあとは叫びそうになる。
自分の格好はといえば、あまりに扇情的すぎるじゃないか。
胸元は乱され、ふくよかな胸は露わになり、穿き物を奪われて惜しげもなくその白い太股を晒している。
なんて格好だと驚き、目をつり上げる彼には涙目でむぐぐと反論した。
それは音にならなかったので土方はとりあえず口に放り込まれた手拭いを外してやることにした。
「っぷは‥‥し、仕方ないじゃないですか!
さ‥‥左之さんに無理矢理っ――」
その言葉に男の双眸が不機嫌そうに細められる。
「原田がてめえにんなことしやがったのか?」
唸るような声には躊躇いながらこくんと頷いた。
それだけじゃない。
沖田や斎藤だってに襲いかかった。
彼らは揃って、
「自分の子を宿して欲しいって言いながら‥‥」
わけの分からないことを言いながら襲いかかってきたのだと暴露した。
こんなことを彼に言えば切腹だろうか?
無理矢理女を手込めにする‥‥なんて志道に背いている。
芹沢だってその手の問題のせいで粛正されたのだ。
いやでも、勿論彼らには理由はあるはずだ。
だから頭ごなしに切腹などと言わず理由を‥‥
ち、と舌打ちが聞こえた。
そうして、
「‥‥原田の奴も狙ってやがったか‥‥」
吐き捨てるその言葉にはびきっと凍り付いた。
今、彼は‥‥なんと言っただろうか。
思考が先ほどから鈍って、時々停止してしまう。
それはまるで、認めたくないとでも言わんばかりに。
「も‥‥って事は‥‥」
まさか、と震える声で紡ぐ。
「‥‥土方さんも‥‥?」
彼もあの三人同様におかしな事を考えているのだろうか?
いやまさかそんなはずはない。
そうだよな、そう言ってくれ。
とは縋るような思いで彼を見上げた。
だが、
「‥‥まあ‥‥な。」
にやりと不敵に笑うその瞳にも、男たる欲の色。
「は、離してっ!」
は慌てて腕の中から逃れようとした。
「馬鹿野郎。
んな格好のおまえを放っておけるかよ。」
このまま屯所の中をかけずり回って万が一にも平隊士に見つかってみろ‥‥副長助勤が女だったと知られるだけでは済ま
ない。
女に飢えている男共の餌食になってしまうではないか。
「で、でも土方さんだって他の人たちと同じように私のことっ‥‥」
そんな真っ当な事を言いながら他の三人と同じ事を考えているくせにと非難すれば、
「‥‥そう言われればそうだな。」
彼はひょいと肩を竦めた。
その言葉を認めるみたいに。
さーっとは青ざめた。
「やっぱりいやー!!」
「ああもううるせえな。
とにかく行くぞ。」
言ってひょいと肩に担ぎ上げると男はゆったりとした足取りで自室へと向かうのであった。
「いやだぁあああ!!」
絶叫だけを後に残して。

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