ちく、ちく。
  と首筋にいくつもの痛みが走る。

  「っ!!」

  その度にちりっと背骨を走る痺れとも言えぬ何かには奥歯を噛みしめた。
  そうして拳を握りしめる。
  そうしないと‥‥とんでもない事になってしまいそうだと思ったから。

  「‥‥」

  あり得ない。
  そんな熱っぽい声で、斎藤が自分を呼ぶなんて。
  あり得るわけがない。
  彼に組み敷かれて、首筋を攻められるなど‥‥
  断じて、あり得ない!

  「や‥‥めろ‥‥っ」

  ひくとは喉を慣らして制止を促した。
  耳の後ろを噛まれた瞬間、力が抜けて畳に倒れ込んでしまった。
  それを追いかけて斎藤は彼女を組み敷き‥‥更に首筋、耳への愛撫を続けた。
  額をごりと畳にすりつけたままは首を振る。
  男の唇から逃れるみたいに。

  「一、冗談は‥‥」

  こんな悪い冗談は止めてくれ。
  沖田みたいな、たちの悪い冗談なんて。
  彼らしくもない。

  「冗談ではない‥‥」

  かりと、耳殻を噛まれた。

  「ひっ!?」

  瞬間、変な声が喉の奥からせり上がってきて、必死には噛み殺した。
  代わりに悲鳴みたいな声が上がってしまったけれど。

  「‥‥あんたの子が‥‥俺は欲しい。」

  だからこうしているのだと彼は言った。

  ――だからなんで子供なんだ――?

  先ほどの沖田もあんな事を言った。
  斎藤もそう言っている。

  何故?
  なんでそんなことを突然?

  「‥‥ちょ!?」

  そんなことを考えていると絡みついていた彼の手が着物の上から胸をまさぐり始めた。
  たどたどしいけれどそれは袷を見つけるとするりと中に忍び込んでくる。

  まずい‥‥

  このままでは非常にまずい。

  「わ、わかった!」
  は咄嗟にそう叫んでいた。
  何が分かったのだろうかと訝る斎藤に、は早口に言う。
  「お、おまえが私の子を欲しいっていうのは分かった。」
  「‥‥ならば大人しく‥‥」
  「で、でも、このままは嫌だ!」
  は叫んだ。
  このまま、後ろから犯されるなんて冗談じゃない。
  ろくに抵抗もしないまま最後まで事に及ばれてしまう。
  そんなの嫌だ。
  「‥‥腕を‥‥離して‥‥」
  「駄目だ。
  緩めたらあんたは逃げるだろう?」
  だからこのまま、と彼は言いサラシの上から膨らみを揉んだ。

  ひくんと喉が震える。

  思わず力が抜けそうになるのをは歯を食いしばって理性を総動員させ、

  「こ、この体勢痛いんだよ!」

  そう告げた。

  斎藤の手が一瞬止まる。

  「痛い?」

  よし、止まった。

  はほっと胸をなで下ろした。
  それから畳みかけるように口を開く。

  「顎と、膝が擦れるんだよっ‥‥」
  このままされたら絶対に擦りむいて血が出てしまう。
  それに、
  「自分を抱く相手の顔も見ないまま‥‥なんて‥‥」
  いやだ、と弱々しく言ってやった。

  その瞬間、後ろで男が息を飲むのが分かった。

  ここはもう斎藤の良心とやらに訴えかけるしかない。

  は涙を浮かべて肩越しに振り返った。

  「どうせなら‥‥私の顔を見ながら‥‥抱いて欲しい。」

  きゅきゅん。
  恥じ入るように目元を染めてそんな可愛い言葉を言われたら男は否と言えるわけがない。
  斎藤はすまないと慌てた様子で腕を離してくれた。
  話が通じる分‥‥沖田よりも彼はまともなようである。
  ほっと胸をなで下ろしつつは振り返った。

  その目には‥‥先ほど沖田が見せたような、欲の色が滲んでいる。
  うわぁ、こいつも本気だ。
  はひくと一瞬だけ口元を引きつらせた。
  しかし、欲の色を湛えていてもどこか犬のように見えるのは‥‥彼が斎藤という男だからだろうか?

  「‥‥本当に逃げないな?」
  「大丈夫。」

  はそっと笑いかけた。
  それより、と彼女は照れたように目元を染める。

  「目を‥‥瞑ってくれない?」
  「何故?」

  言葉に斎藤の目に鋭さが増す。
  まさかその間に逃げるつもりじゃなかろうなと言わんばかりの目だ。
  はふるりと首を振った。

  「そうじゃなくて‥‥」
  その、と言いよどむ。
  それから視線を逸らしてさも恥ずかしそうな表情のまま、
  「口づけする時くらい‥‥目は‥‥閉じてほしいから‥‥」
  などと言えば、男が納得しないわけがなかった。
  そうか、などと狼狽えたように呟きながら、目をきゅっと閉じる。
  「こ‥‥これで良いか?」
  本当に彼は真面目な男である。
  はにやり、と笑った。
  「うん。
  ありが‥‥とっ――!」
  次の瞬間、握りしめた拳が男の顎に炸裂した。

  「っ!?」

  さほど強く叩いたわけではない。
  ただ、そこを叩くと脳天まで衝撃が伝わるのをは知っていた。
  真下から叩くのではなく、やや傾けて殴られるとそれほど強く殴らなくても脳しんとうを起こさせることが出来るのだと。
  案の定、くらん、と目を回した男はそのまま後ろにもんどり打った。

  「ごめん!」

  沖田の鳩尾を打った時よりもずっと激しい罪悪感が生まれるのは‥‥多分斎藤が自分の言うことを聞いてくれたからだろう。
  ごめんと両手を合わせて振り返りもせずに廊下に飛び出した。

  ばたばたばたと足音を立てて廊下を走る。

  ちり、

  ふいに、気配を感じて、

  「うわっ!?」

  横合いから飛び出したそれを間一髪で避ける。

  伸びた手から逃れて先へと進みながらくるりと振り返れば、

  「そ、総司!?」

  そこにいた人物の姿には目を丸くした。
  捕まえ損ねた男はち、と舌打ちを一つ零す。
  そうして、すぐにを捕獲すべく彼女へと腕を伸ばすのだ。

  「うわ!ちょ、まだ諦めてなかったの!?」
  「諦めるわけないでしょ!」

  どたどたと廊下を激しい足音を立てながら追いかけっこが始まった。

  「なんでおまえといい一といい、突然んな事を言い出すんだよ!」
  「へえ、やっぱり一君にも襲われたんだ?」

  彼は驚かない。
  はとんでもなく驚いたというのに‥‥
  というかやっぱりって何だ?
  何のことなんだ?
  もしや何か彼らの中で企んでいるのだろうか?
  いやでもまさか斎藤が彼の企みに乗るわけがない。
  じゃあ一体なんなんだ!?
  ぐるぐると疑問ばかりが回った。

  「でも逃げたってことは一君じゃ駄目って事だよね?
  大人しく僕にしといたら?」
  「なんだその無茶苦茶な理屈はっ!
  っていうか、追いかけてくんなぁあああ!!」
  「が止まってくれたら追いかけないよっ」

  追いかけはしないだろうが‥‥その分確実に押し倒される。
  そして今度捕まったらきっと‥‥

  「‥‥っ〜〜〜!」

  それは嫌だ。

  ぶんぶんとは頭を振ると、とにかく逃げ切らないと‥‥と、考え込んだ。
  そうして、

  よし。

  真っ直ぐの廊下を全力で走りながらにやりと口元に笑みを浮かべた。

  速度を少し上げる。
  沖田も同じように上げた。

  そうして廊下を曲がるその直前で、いきなり、

  「っ――」

  はくるりと振り返ったのだ。

  「なっ!?」

  まさか突然振り返るとは思わない。
  そんな状態で振り返ったところで体勢を崩して、下手をすれば滑って転ぶ。
  沖田は驚きの声を上げつつも、を捕らえるべく手を伸ばした。
  勿論裸足とは言え、急には止まれない。
  は若干床の上を滑るような形で流されていたが――

  ダン!!

  「っ――!」

  と廊下の壁を思い切り蹴るとその勢いを利用して沖田のがら空きだった足下へと飛び込んだ。

  「このっ!!」
  慌てて沖田が手を出すも、するりと身軽にすり抜けてしまう。
  ころんと廊下の上を転がりながら再び体勢を立て直してが走り出す頃には、

  ガダン!

  沖田は廊下の壁に強かに身体を打ち付けていた。