雪村千歳はすいと切れ長の瞳を細めてみせる。
顔にはたくさんの皺が刻まれ、彼女が「老いた」ということを知らしめる。
しかしながら、その漆黒の瞳には未だに衰えぬ力があった。
鋭い眼差しは、彼女がもう一人では立ち上がる事さえ出来ぬ老女だとは思わせぬほどの迫力がある。
彼女はその鋭い眼差しをじっと、手元に落としていた。
それは写真立てで、そこに映っているのは幼い二人の男の子である。
一人は千鶴の父親、そしてもう一人がの父親だ。
29という若さでこの世を去った息子。
その姿をじっと見つめて、僅かに目元を細める。
母親らしい優しいそれで我が子を見つめて‥‥
「大奥様。」
コンコンと控えめなノックと共に聞こえた音に、その色は瞬時に姿を消した。
「なにか?」
瞳と同じく鋭く強い声を返せば、流れるような所作で入ってくるのは着物姿の女性だ。
叶絵‥‥という名前の彼女も、歴とした雪村の人間である。
しかしながらその名に「千」の文字は与えられていない。
妾の子だから、だ。
彼女は艶やかな黒髪をさらりと流して、頭を垂れた。
「お嬢さんが‥‥こちらに戻られるようです。」
「‥‥そう‥‥」
報せに、皺だらけの口元がゆっくりと引き上げられる。
笑った‥‥らしい。
それを見ながら叶絵は静かに唇を噛みしめた。
瞳に浮かぶのは明らかな嫉妬の色。
「‥‥あれ?」
賑やかな改札口。
バッグを一つ持っただけの軽装のを見つけて、沖田は驚いたように声を上げる。
「新幹線の改札口なんて初めて来たよ。」
迷ったらどうしようかと思った、と笑う彼女に沖田はきょろっとあたりを見回した。
「一人?」
彼女は一人なのだろうか?
と訊ねれば、はふるっと頭を振った。
「綱道さんが一緒。」
今、乗車券を買いに行ってくれてるんだ、と続けようとする彼女に、沖田は違う、と言葉を遮った。
「‥‥土方さんは?」
はっきり言わないと彼女には伝わらないのだろう。
彼はどうしてここにいないのか?
理由は聞かなくても分かったが、あえて言わせた。
「‥‥来ないよ。」
は困ったように笑い、頭を振る。
「言ってないの?」
「うん。」
「なんで?」
普通ならば彼は知る権利があるはずではないだろうか?
例え、一日や二日でも、彼女が学校に来ないと知れば、心配するのは目に見ているというのに。
「‥‥でも、私が行くことで、心配を掛けたくない。」
は言った。
自分が、遠く離れた雪村の家に行くことで、彼に心配を掛けたくないと。
どちらにせよ、土方が心配する事になるのだ。
それならば、伝えない方が良い。
だって、
「すぐ、帰ってくるもん。」
にこっと笑うに、沖田は不満げな顔をしてみせる。
とは言っても、彼女が決めた事だ。
彼がどうこう言える立場では、ない。
それにね、とは続けた。
「‥‥私、お墓参りを全然してなかった気がするからさ。」
納骨が済んでから、は一度たりとも墓に参った覚えがない。
元より住んでいる場所が遠かったせいもあるのだけど、彼女自身が両親が死んだと言うことを受け入れられていなかった
気がする。
墓に行くと、嫌でも墓石に名が刻まれている事を知ることになり、彼らがこの世にいないものなのだと突きつけられるこ
とになる。
親不孝かもしれない。でも、にとっては唯一の逃げる手段だったのだ。
寂しさから。
だけど、今なら向き合える気がする。
きちんと、彼らの死と。そして、自分の未来に。
「だからこそ、私一人で行かないと。」
けじめを付けるために、と言う彼女は強い意志を宿していて、
「‥‥そっか。」
沖田は少しだけ寂しそうに笑った彼女の頭をぽんと撫でた。
普段は親の事を口にしない彼女が彼らの事を口にするのは‥‥きっと大きな変化だ。
「今までの分、ちゃんとしておいでよ。」
茶化すように言うと、はふっと笑った。
分かってるよと笑顔を向けられて、沖田は彼女が笑っていられるのならばいいのかもしれないな、と思いながら手を離す。
「待たせてしまって申し訳ない。」
やがて人混みの中から綱道が現れ、手に持っていた券を彼女へと差し出した。
「ありがとうございます。」
「十分後に出発だ。
行こうか。」
促され、は慌てて鞄を持ち替えた。
そうしてもう一度沖田へと視線を向けると、ごめん、と謝った。
「土方さんに何か聞かれたら、適当に誤魔化しておいて?」
言葉に彼はひょいと肩を竦めて、意地悪く笑う。
「いいの?僕に任せて‥‥
変な事言っちゃうかも知れないよ?」
例えば浮気してるとか、なんとか、と言われ、は苦笑を漏らした。
「総司は性格悪いけど、そこまで腐ってないって知ってるよ。」
沖田も、絶対の信頼の眼差しで言われては降参せざるを得ない。
面食らったような顔になり、拗ねたような顔になると、しっしっと犬猫でも追い払うように手を振った。
「とっとと行って帰ってくれば?
それまではなんとか、誤魔化してあげるからさ。」
「ありがと。」
はにこっと笑うと、今度こそ背を向けてしまった。
賑わう改札の向こうに、飴色が完全に見えなくなるまで、沖田はその背中を見送った。

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