「明日が卒業式かー」
  月日が過ぎるのは早いものだ、と刹那は思う。
  高校の三年間というのはあっという間で、三年があっという間ならば十日間なんてもっとあっという間だ。
  とりあえず無事希望大学に合格し、四月からはまた沖田と一緒に大学へと通える事になる。
  因みに斎藤も同じ大学を希望していたらしく、彼も同じく合格した。
  考えてみれば薄桜学園の上位三人だった彼らが、都内一の大学に受かるのは当然の事だったのかもしれない。
  そう沖田が口にすればごく平凡なレベルである千鶴は一瞬青ざめ、だが落ち込むことなく頑張ります、と意気込みを見せた。
  昔であれば落ち込んだ所だっただろう。もしかするとあの一件で一番変わったのは彼女なのかもしれない。
  千鶴は、強くなった。一人で歩けるくらいに強く。
  そしてその分刹那は自分が弱くなってしまった気がして、ちょっと焦ったものだ。
  それは弱くなってしまったのではなく、強がらなくても良くなっただけ‥‥なのだが、それに刹那が気付けるのはまだ先
  の事なのかも知れない。

  「なんか、寂しくなるなぁ。」
  「別におまえの周りはなんにも変わんねえだろ?」
  の呟きに土方は苦笑で答える。
  千鶴は別として、沖田や斎藤と言った親しい友人とは毎日顔を合わせる事が出来るのだ。
  まあ、進学組ではない藤堂は別としても、声さえ掛ければすぐに飛んで来るに違いない。
  遠いところに行くわけでもないのだから。
  「‥‥そうだけど‥‥」
  でも、と刹那は唇を尖らせる。
  何が不満なのかと視線を向ければ、彼女は立てた膝に顎を乗っけて、寂しそうにぽつんと呟いた。
  「もう、学校じゃ土方『先生』と会えない。」
  毎日のように目で追いかけていた。
  彼の姿を捜すのが刹那の楽しみだった。
  自分の前で見せるのとは少し違う‥‥教師としての彼を見るのも、教師として生徒に接する態度も、全部全部‥‥刹那に
  とっては愛おしい時間だった。
  この時間が永久に続けばいいと思った。
  いつか終わるとは分かっていたけど、それでも、どこでだって土方の姿を見ていたい。
  そう刹那は思うのだ。
  そんな彼女の可愛い言葉に、土方は思わず瞠目し、
  「刹那」
  「え?」
  呼ばれて顔を上げれば影が重なって、
  「っ」
  ちゅ、と軽い音を立てて唇を奪われる。
  たったそれだけでぎくんと身体を強ばらせる彼女が愛おしくて、土方は口元に意地の悪い笑みを浮かべると真っ赤になる
  彼女の目を覗き込みながら告げる。
  「学校じゃ会えなくても、ここに戻ってくれば、いつでも会えるだろ?」
  そんな恋人の優しい言葉に、刹那は恥ずかしそうに瞳を伏せて笑った。
  「はい。」
  はにかんだ笑みはひどくあどけなく、甘い。
  男の本能を煽るそれに、土方は手を伸ばして、止める。
  明日は‥‥卒業式だった。
  無理をさせて明日が最低な日になっては困る。
  そう思い続けてかれこれ何日だろう?彼女を抱いていないのは。
  思い返せば刹那が本家に帰ると言った前日が最後だから、ゆうに一月は禁欲生活を強いられていると言う事になる。
  これはひとえに土方が仕事で立て込んでいるせいであり、同時に彼なりのけじめのつもりなのだ。
  彼女が卒業するまで手は出さない‥‥とは言っても何度もこの腕に抱いているのだが、同棲という形になった今、前より
  も更に気を付けなければならない。
  後もう少しで自由が手にはいるのだからそれまでの辛抱だ。
  そう思えば辛くもない‥‥はずだ。
  「とりあえず、今日はもう寝ろ。」
  それを誤魔化すみたいに頭をぽんぽんと撫でて、彼はゆっくりと立ち上がる。
  刹那はその背中を見送りながら、ふと、思う。

  自分がここにいるのはいつまで許されるのだろうか――と。



  「そりゃいつまでもいていいんじゃないの?」
  沖田の言葉に刹那はそうかなと首を捻る。
  首を捻ると、動かないのと怒られた。そういえばリボンを留めて貰っているところだったのだ。
  ごめんと謝ると後ろで苦笑が聞こえた。
  「だって、土方として引き取るって言ってくれたんでしょ?」
  「そうだけど‥‥」
  確かに、彼はそう言ってくれた。
  雪村がいらないと言うのならば土方で引き取る‥‥それはつまり、土方の家族にして貰うという事なのだろう。
  それは両親を喪って以来家族が欲しいと思っていた彼女にとっては嬉しい申し出であり、いつか彼がしてくれた約束を果
  たすものでもあっただろう。
  『俺がおまえの家族になってやる』
  まだ恋人という関係でさえなかった時に、彼が言ってくれた言葉だった。
  亡くした家族を恋しく思う余りに全てに対して投げやりになっていた自分に彼はそう言ってくれた。
  その約束を果たしてくれると思うと嬉しいし、何より彼の家族になりたいと刹那は心の底から思う。
  でも、
  と刹那は口を開いた。
  「土方さんに申し訳ない。」
  「‥‥」
  彼女の言葉に沖田は盛大な溜息を吐いてみせる。
  またそんな下らない事を、と彼は思う。
  刹那を自分が貰い受けると言うのは決して彼女を不憫に思ったからではなく、それは土方自身の願いであり、つまり彼の
  我が儘であるというのに。
  「あのね、刹那‥‥」
  そんなの気にする必要ないんだよと沖田が口を開くよりも先に、手を離した瞬間に刹那が振り返って口を開いた。
  「まさかこの年齢で養子っていうのも土方さんの今後に影響するだろ?」
  「‥‥は?」
  この発言に、悪友は見た事もないほど不思議な顔で固まった。
  珍しく彼は驚いているらしい。
  どうして驚かれるのだろうかと刹那が不思議がれば、悪友はたっぷり一分程度驚きの表情のまま固まって、やがて解ける
  と同時に思いっきり馬鹿にされた。

  「刹那って、本当にどうしようもないくらいに鈍いよね。」