「着替えは、明日千鶴と総司が持ってきてくれるって事になった。
  もし必要なものがあったら俺に言え。すぐに用意する。」
  逃げるように新幹線に飛び乗り、一週間ぶりに地元へと帰ってきたは、本家の人間がいつのマンションに来るか
  分からない‥‥という事で、今日から土方のマンションに泊まる事になった。
  最初は千鶴の家でという話も上がったのだが、本家の人間に家を知られている以上、万が一がないとも限らない。
  一方の土方は所在を学園に問い合わせでもしない限り分からない上に、学園側もおいそれと教師の個人情報を開示する事
  はない。
  暫くは警戒して家に帰る時に気を付けなければならないかもしれないが、マンションを知られたとしてもセキュリティの
  関係上内部にまで入るのは難しいだろう。
  入ってきたとしても、家の中に入れなければ彼女の所在がどこにあるのか‥‥というのは分からない。
  「おまえは絶対に家を出るな。」
  「はい。」
  「必要な物があったら俺に言え。」
  「分かりました。」
  迷惑を掛けたという自覚があるからなのか、は粛々と言った様子で頷く。
  「あと、今日から俺の部屋で寝ろ。」
  「は‥‥え?じゃあ、土方さんは?」
  「俺はソファで寝る。」
  「‥‥でも。」
  「その為にソファを買ったんだから。おまえは気にせずに使え。」
  些か乱暴に言い切ると、は眉を寄せ‥‥それでも反論は許されないのだと分かれば、はい、と小さく頷いた。
  「部屋の中にあるものは好きに使って良い。」
  「はい。」
  はこくりと頷くのを見て、因みに、と土方は呟く。
  その声があまりに真剣なもので、は背筋を正してなんですか?と面を上げた。その彼女に土方は告げる。

  「エロ本はねえからな。」

  それは彼なりに笑わせようとしたのだろう。
  予想外の言葉に、は呆気に取られ、漸く‥‥笑った。



  とりあえず随分な時間になっている事に気付き、を部屋に戻らせると土方は電話をかけ始めた。
  遅い時間だったために詳しくは説明できなかったがとにかく、無事に戻って来れた、と言えば近藤も山南も、原田も永倉
  も「よかった」とただ一言それだけを言ってくれた。
  それから「もしなんかあったらまた言ってくれ」という優しい言葉まで掛けられ、土方は申し訳なさとありがたさに思わ
  ず苦笑が漏れる。
  ただ一人、
  「貸しは高いですよ?」
  なんて言う、山南の不穏な言葉に背筋が寒くなったのは気のせいではないだろう。

  コンコン。
  と控えめに扉をノックする。
  彼女を部屋に戻してだいぶ時間が経っているから彼女はもう眠ってしまっているだろう。
  眠っているならばそれで良い。ただ起きていたら断りを入れておかなければいけないだろうと思ってノックしたまでで、
  返事はむしろ期待していなかった。
  「‥‥」
  無反応に、彼女が眠ってしまった事を知り、土方はそっと扉を開けた。
  薄く扉を開いて中を覗き込むと、ベッドが盛り上がっている事が分かった。
  ちゃんとベッドで眠っているようだ。
  土方は起こさないように足音を殺しながら部屋に入ると、着替えを取るためにクローゼットの方へと近付いていく。
  極力音を立てまいとしているものの開閉の音はどうしても立ってしまう。その度に彼女を起こしてしまうのではないかと
  冷や冷やした。
  ぱた、と着替えを取りだし再びクローゼットを閉めながら、ちらりと振り返る。
  ベッドの中では動きはなく、相変わらずこちらに背を向けたまま身動ぎ一つしない。
  「‥‥」
  その小さな背中をじっと見つめ、やがて、土方は歩き出した。
  そうして、
  「。」
  きし、と微かにスプリングが軋み、重みが加わった事で一方へと沈む。
  「‥‥気付いてた?」
  呼びかけに返ってきたのは寝起きではない、はっきりとした声だ。
  は、眠って等いなかった。
  ずっと起きていた。土方が入ってくる前からずっと。
  「そんなに緊張して眠る奴ぁいねえだろ。」
  強ばった肩を指摘され、は苦笑を漏らす。
  それで少しだけ力が抜けたらしい。でも、纏う空気はまだ‥‥張りつめた硬質なものだった。
  ベッドの端に腰を下ろした土方はちろりとそんなを振り返りながら、訊ねる。
  「ばあさんの事か?」
  「‥‥はい。」
  一瞬、隠そうと思ったが、止めた。
  きっとどんな言葉で取り繕った所で彼にはすぐに見抜かれてしまうのだから。
  それに自身‥‥もう、去勢を張るほど余裕もなかった。

  『あなたはもう雪村の人間ではありません』

  その言葉で、は再び孤独の縁へと叩き落とされたのだ。
  両親を喪ってから‥‥はずっと孤独だった。
  突然大切な家族を亡くしてから、は孤独を恐れていた。恐れるがあまりに家族というものを求めなくなった。
  だけどそのくせ‥‥彼女は家族と言うものに飢えていたのだ。
  それを克服した先に、待ち受けていたのがこれだ。
  血の繋がりがある祖母から‥‥大好きな父親を産んでくれたその人から『赤の他人』と言われた。
  雪村を名乗る事さえも許されなくなった。
  は本当に一人になってしまったのだ。
  例えばどれほどに千鶴の両親がの事を我が子だと言ってくれても‥‥頭首である千歳から雪村ではないと言われてし
  まえば、それを、自分が受け入れてしまえば‥‥もう雪村ではいられない。
  だから‥‥はもう、一人ぼっちだった。
  この世でただ、ひとりぼっち。

  「私‥‥」
  「なあ。」

  ひとりぼっちだと哀しげに嘆く彼女の言葉を、土方は遮る。
  なんですか?と振り返りもせずに応えれば、一瞬の間の後に、こう、告げられた。

  「俺と、一緒に暮らさないか?」

  は一瞬。
  その言葉の意味が分からなかった。
  その言葉が示す事が分からず、きょとんとして、
  「‥‥え?」
  小さな驚きの声と共に振り返る。
  土方はゆっくりと身体ごと振り返り、に向き直った。
  「前から、考えていた事なんだ。」
  実は、と彼は零す。
  「おまえが高校を卒業したら‥‥切りだそうって。」
  が卒業して、もう誰の目も憚ることなく恋人だと宣言できるようになったら‥‥一緒に住もうと思っていた。
  この家で、二人で、暮らそうと思っていた。
  そうすればもう、彼女は孤独を恐れる事も、孤独に一人泣くこともないと‥‥そう思ったから。
  いや、それは言い訳だな。
  本当は彼女のため、ではなく、自分のためなのだろう。
  土方自身が‥‥彼女と一緒にいたかった。
  泣かせたくなかった以上に、彼女とずっと一緒にいたかった。
  だから、
  共に暮らそうと思ったのだ。
  「‥‥」
  は目をまん丸く見開いている。
  まるでその言葉は思いも寄らない言葉だと言いたげで、土方はなんだよと苦い顔をしてみせる。
  「俺と一緒に暮らすなんて嫌だってのか?」
  「あっ!いや、そうじゃなくてっ!」
  不満げな問いかけにははっと我に返り、飛び上がるようにして起きあがり頭を振った。
  頭を振りながらそれでも予想もしなかった提案に、頭の方はまだパニック状態で、
  「だ、だって、私と一緒にとかそんなことっ‥‥」
  視線を左右に泳がせながら、その両手が意味もなくぶんぶんと振られる。
  そんなに予想外な言葉を言ったつもりはない。
  これは自然な流れだと思うのだ。
  だってこの先もずっと、彼女とこうしていたいと思っていたし、彼女もそう思ってくれていると信じていたから。

  「でも、私が一緒に暮らすってなったら土方さんの迷惑に‥‥」
  「なるか、馬鹿。なるならこんな提案なんかしねえよ。」
  いや‥‥と土方は自分の言葉を覆すように笑って、言った。
  「迷惑を掛けてくれ。」
  「っ」
  「今までみてえに、遠慮せずに、これからは俺を巻き込んでくれ。」
  優しいその言葉には、思わず息を飲んだ。
  土方は心の底から願う。
  この優しい人がただ一人で悲しむ事は二度とないように。苦しむ事はないようにと。
  もし苦しい事があれば分けてくれればいい。
  一人で我慢なんてしなくていい。
  重たい荷物は分け合えば軽くなるのだ。
  その為に自分がいる。
  彼女を守るために、助けるために、自分という存在があるはずなのだ。
  「迷惑だなんて思わなくて良い。」
  精一杯巻き込めばいい。
  こちらが頭を抱えるくらい引っ張り回してくれて良い。
  「おまえの力になりたい。」
  彼女の力になって、彼女を支えたい。
  が自分のためにと思ってくれている以上に‥‥
  「ひじかた‥‥さん‥‥」
  驚きに見開かれた瞳が、今度はゆらゆらと揺れる。
  その言葉に迷うみたいに。
  ゆらゆらと、頼りなげに何度も揺れる。
  そんな瞳をじっと見つめて、土方は頭を振った。

  「おまえが心苦しく思う必要なんざねえんだよ。」
  だって、と彼は優しく笑った。
  本当に優しくて、でも、父親とも、兄とも、違う‥‥熱い眼差しで、言った。

  「俺は、おまえの家族になるんだから。」

  彼とは血は繋がらない。
  だから、が無条件で甘えられるような親にも兄にもなる事は出来ず、彼女は何度だってこうして遠慮をしてしまうか
  もしれない。
  それでも、
  親とも兄とも違う‥‥
  対等である家族にはなれるのだ。
  支えられるだけでも、支えるだけでもなく。
  与えるだけでも与えられるだけでもない。平等な関係。

  その関係は、どれほど尊いものだろうか。

  は迷いを浮かべていたそれを、そっと細めて、
  「っはい‥‥」
  強く頷いた。

  彼の家族になりたい。
  心から、そう思った。
  彼の支えになり、彼に支えられる関係に。
  そうしてずっと、共にいられれば‥‥これ以上の幸せは、ないのだ。

  「よし。」
  返答に、土方は嬉しそうに笑い、くしゃっと頭を優しく撫でる。
  内心は冷や冷やだったと悟られないよう穏やかに笑うと、その手を離して立ち上がった。
  「それじゃ、今日は寝ろ。」
  ゆっくり休めと言って背を向けだが、くん、とそのシャツを強く引かれ、引き留められる。
  「‥‥なんだ?」
  首だけを振り返ればベッドの上に起きあがったは、彼のシャツの裾を掴んだまま、じーっとこちらを見つめている。
  「どうした?」
  「‥‥もう、遠慮はなし‥‥なんですよね?」
  は念を押すように言葉にする。
  そうだ、と土方は頷き、それがどうしたのか?と訊ねた。
  くん、とシャツを、もう一度引っ張られる。
  意図する事が分からずに首を捻れば、が恨めしげにこちらを睨んで‥‥睨むと言うにはあまりに弱い眼差しで、見上
  げてきて、

  「今日は、ひとりに、しないでください。」

  傍にいてください。

  その言葉に、彼自身が彼女に遠慮をしていると言うことを見破られたのだと突きつけられ、土方は苦笑を零すしかなかった。