「――」

  どす、という鈍い音と共に身体を衝撃が走る。
  一拍遅れて、置いていかれた重力が追いつき身体を押しつぶすかのように掛かり、は小さく呻いた。
  考えられない重みが身体の上にのし掛かり、そのまま沈み込みそうになる。
  目を瞑り、は身体をくの字に折り曲げてやり過ごした。
  着地に失敗した‥‥一瞬、そんな事を考えた。
  もしかしたらは今、地面に叩きつけられているのではないかと‥‥

  だけど、

  「

  近くで、彼の声が聞こえる。
  耳のすぐ近くで、彼が自分を呼ぶ声。
  それを感じれば今更のようにやってくるのは、吹き付けるような冷たい風と、それに相反する肌に触れる温もり。
  そして、
  とくんと、
  布越しに感じる、自分とは違う、鼓動。

  「ひじかた‥‥さん‥‥」

  閉ざしていた瞳を開けば、傍に見下ろす紫紺がある。
  こちらを見下ろすそれは、困ったように笑っていた。
  彼にしては珍しく、どこか頼りなげに瞳を揺らして‥‥
  やっと、やっと、会う事が出来た。
  彼女の顔を見る事が、触れる事が、出来た。
  この腕に抱きしめる事が。
  もう二度と叶わないかもしれない‥‥そう思わなかった事はない。
  決して諦めないと心に決めながら、どこかで、もしかしたらという弱気な自分がいたのは確かだ。
  その弱気な自分が「これは夢ではないのか」と囁く。
  そんなわけがない。土方は確かめるようにその手に力を込める。
  返ってくる温もりと柔らかさは‥‥本物だった。
  本物の、だった。

  「ひじかた、さんっ」
  呆然と目を見開いていたも、彼のように徐々にこれが現実なのだと自覚していったのだろう。
  彼の腕の中にいることにひどく喜び、安堵し、同時に今まで押し込めていた不安や恐怖が顔を覗かせる。
  「土方さんっ!」
  くしゃと顔を歪めるとは彼の逞しい首に齧り付く。
  二度と離れるものかとでも言うようにきつく、齧り付いた。
  その背を土方は優しく抱き、彼もまた、二度と離すものかと言うかのように抱きしめる手に力を込めた。

  「いい雰囲気の所、悪いんですけど‥‥」
  そんな二人に水をさす声がある。
  「早く逃げた方がいいと思いますよ。」
  沖田だった。
  彼は自分が着ていたコートを脱ぐとこちらに押しつけてきた。
  そういえば、自分は下着姿だったことを思い出し、は慌てて彼のコートを受け取って慌てて袖を通した。
  他の男の服を着る‥‥というのは些か面白くなかったが、彼女を抱き上げている土方にはコートを脱ぐ事は出来ない。
  まあ、それ以前にここでのろのろと何かをしている時間はないのだが。

  「総司、行くぞっ」
  「分かってます!」
  足音が遠くから近付いてくるのが聞こえる。
  二人はくるりと踵を返すと、もう屋敷の方は振り返りもせずに門の外へと駆け出した。
  「ま、まって!」
  その時、は思いだした。
  「中に、龍之介がまだっ」
  見上げる三階の窓からは叶絵がこちらを忌々しげに見下ろしているのしか見えない。
  龍之介は雪村の人間ではない。
  だから、ほど丁重に扱ってもらえないだろう。
  しかもを逃がした、となれば彼はただでは済まない。
  きっと酷い目に遭わされる。
  しかし、土方は脚を止める事はなかった。
  「土方さん!待ってよ!龍之介がっ‥‥」
  自分を助けてくれた人がいるんだ。
  その人を置き去りにして逃げるなんて出来ない。
  そう訴えるに、土方は振り返りもせずにこう言い放った。

  「あいつなら、大丈夫だ。」

  何故?
  どうしてそう言い切る事が出来るというのか。
  視線だけで問いかければ彼はちろりと視線を向けて、にっと口元を吊り上げて、笑った。
  「俺が大丈夫だって言ってんだ。何も言わずに、信じろ。」
  どこまで俺様なんだ、と突っ込んでやりたいそんな高慢な台詞も‥‥今のには泣くほど安心できるのだから、不思議
  だった。