「お時間です。」
時間を告げに来たのは、叶絵である。
控えめながらにいつもよりも豪華な着物に身を包んだ彼女は、を見ると酷薄そうな笑みを浮かべた。
さながら死刑宣告を告げる看守のようだ‥‥とは思った。
死刑宣告とは物騒かも知れないが、事実はその通りだ。
今日、この日を境に、は死ぬのだから。
「‥‥」
ゆっくりと立ち上がるに、龍之介は付き添う。
本来ならば新郎は先に降りて別の場所に待機しているべきなのだろう。
だが、重たそうだから付き添いたい、と彼は強く言って、押し通した。
「手を」
と龍之介が差し出す。
支えられなければいけないほどの重さではなかったのだが、龍之介が無言でもう一度差し出すので従っておいた。
二人は揃って、部屋から出る。
廊下を進みその先の広間から、出る。
が焦がれて焦がれてやまなかった自由の場所へ‥‥永遠の従属を誓うために出るなんて、滑稽だと、思った。
厳重なセキュリティを突破するとその先には廊下があった。
壁に沿って階下へと伸びている階段が待ちかまえている。
ぱん、
と軽い破裂音が階下から聞こえる。
クラッカーの音だろうか‥‥叶絵は微かに顔を歪めると階段の直前で止まるようにと指示をして、ぱたぱたと一人先に降
りていってしまった。
きっと前のならこれを好機とばかりに逃げ出したのだろうが、今のにはそんな気も起こらなかった。
ただ、じっと待った。
どうせここから走った所で一階であの婆の配下の連中が待ちかまえているのだろうと思えば、無駄な気がした。
と、この時、突然龍之介がすぐ傍の窓を開けた。
「龍?」
どうした?と訊ねるが、彼はやけに真剣な面持ちで階下を睨み付けているだけで、何も答えてくれない。
きょろきょろと何かを探しているようだ。
「龍、言っておくけど、ここ三階だから飛び降りるのは止めておいた方がいいぞ。」
は力無くあははと、笑う。
きっとこれも前の彼女ならば「やってみようじゃないか」と意気込んだところだろう。
でも、飛び降りたところでやはり辿る結末は同じだ。
飛び降りれば無事では済まない。
そして五体満足ではない身体で走った所で逃げ切れない。
上に、どこまで逃げても無駄‥‥だ。きっと。
しかし、の忠告などまるで聞いていないといわんばかりに、龍之介は地面に視線を走らせた。
気ばかりが焦る。
早く見つけなければ叶絵が戻ってきてしまう。
そうしたらもう‥‥もう、
「井吹っ!」
一瞬、最悪のシナリオが過ぎり、思考が停止する。
そんな自分をまるで叱りとばすかのように強い声が呼んだ。
「っ!?」
聞こえた瞬間、は弾かれたように顔を上げる。
聞き間違うはずもないその声は、自由よりももっともっとが求めたものだった。
「っ!」
思わず龍之介を押しのけるようにしては窓枠に齧り付く。
ばたばたとこちらに駆け寄ってくる二つの影があった。
そして、それの先頭に、
「ひじかたさんっ!!」
彼女のこの世で一番愛しい人の姿を見つけた。
この一週間‥‥会いたくて会いたくてたまらないと思ったその人がそこにいた。
やっと会えた。
やっと、声が聞けた。
は今すぐに飛び込んでいきたかった。
だけど、それを無粋にも邪魔する乱暴な足音が階下から上がってくるのが聞こえた。
きっとすぐに窓枠から引きはがされ、絶望の世界へとたたき落とされる。
それが分かっていたけれど、は窓枠から離れる事が出来ない。
無理だった。
彼を忘れる事なんて出来ない。
だって、こんなにも好きなんだ。
愛してるんだ。
他の誰でもない土方歳三という男を愛しているんだ。
だから‥‥あの人以外と一緒になんか、なれない。
「龍之介!?」
その時突然、角隠しを引っ剥がされた。
それだけではなく、突然帯を解かれてごとりと重たそうな音を立ててそれは床に落ちた。
こんな状況で一体何をするつもりなのかと目を丸くして見つめると、龍之介は着物の帯をいささか申し訳なさそうに解き
ながら口を開く。
「諦められないんだろう?」
自由を。
最愛の人を。
諦めてきれないのだろうと、龍之介は訊ねた。
は返答に一瞬、迷う。
何故ならばそれを望む事は叶わないと分かっていたから。
だが、
「諦めたくないんなら、諦めるなっ」
龍之介は噛みつくように言って、ぐいと引きちぎるように着物をはぎ取る。
「い、井吹さん!?なにをっ」
階下から上がってきた叶絵が悲鳴みたいな声を上げる。
それも当然だ。彼はの着物を脱がせているのだから。
しかも、もうほとんどが脱がされて、彼女を守るのは襦袢一枚になってしまった。
「いけっ!」
龍之介は叫んだ。
叫んだ瞬間、階下から駆け上がってきた男に取り押さえられた。
彼は喧嘩に強くない。
だから、負けるのは分かっていた。
それでも必死に抵抗して、龍之介は叫んだ。
「あの人を、信じろっ!!」
絶対に、手を離さないと言った自分が惚れた男を。
龍之介は信じろと叫んだ。
きっと届かないと、手は届かないと諦めるのではなく。
届かないのならばあの男は絶対に掴んで引き寄せてくれるに違いないから。
何があっても、どんなことがあっても、
あの男ならばを離さず、幸せにしてくれるに違いないから。
「っ――」
その言葉に、背中を押された。
は迷わず窓枠に脚をかける。
ここは三階だ。
落ちたら怪我をする。いや、最悪死ぬかも知れない。
でも、下には彼がいた。
「っ!」
彼は必ず受け止めるとその目で教えてくれた。
ならば、迷う事はない。
「行かせませんっ!!」
叶絵はヒステリックに叫びながら襦袢をひっつかんだ。
ぐいと、強く引っ張られびりりと破ける音が聞こえる。
「あなたはっ、絶対に、行かせません!!」
こちらを見上げる叶絵の目には、怒りと、憎しみと、それからどこか羨望するかのような色が浮かんでいる。
まるで、自由になるを‥‥羨むような。
囚われてしまった彼女も、また、心のどこかで自由を求めていたのだろう。
この世界しか知らないから。
だから、その他を拒絶しながら、それでもどこかで自由を望んでいたのだ。
そんな彼女を‥‥は哀れに思った。
「なっ」
ずる、と手応えが無くなるのが分かった。
驚いて顔を上げると、が襦袢の帯を躊躇うことなく解いているのが見えた。
勿論その下には下着しか身につけていない。
叶絵には到底出来ない事だった。
いくらここから逃げ出したいと思ったって、そんなあられもない格好を晒すなんて。
そして、
それを受け止めてくれるだろうと、誰かを信じる事さえ。
「っ‥‥」
ふわりと身体が浮いたのは次の瞬間だけ。
そして次の瞬間には、身体をとてつもない重力が襲う。
それはまるで地の底へと引きずり込もうとするような恐ろしく、頼りない感覚だ。
地面に叩きつけられたら、は無事では済まない。
でも、不思議とその落下する感覚は恐ろしくなかった。
何故なら、は信じていたから。
何があっても、
彼が、
受け止めてくれる、と。

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