自分になんて何も出来ないと分かっている。
  こんな事をしたってどうにもならないって。
  でも、
  彼女が死んでいく姿を見るのは見たくなかった。

  龍之介は一人で外に出してくれるように叶絵に頼み込んだ。
  どうしても、やらなければならない事がある、と。
  もしかしたら彼のする事など彼女にはお見通しだったのかも知れない。
  だが、叶絵はにこりと歪んだ笑顔を浮かべて、頷いた。

  「井吹さんが仰るのでしたら。」

  それでも何も出来ずに苦しめとでも言われているようで‥‥薄ら寒くなった。

  ――タイムリミットまで、あと‥‥2日‥‥

  着々と式の準備が進められていく。
  昨日は一日中、やれ着物をあつらえるだ、やれ、段取りの打合せだのと忙しくて抜け出す暇がなかった。
  もう2日しか猶予がない。
  龍之介は慌てて門の外へと飛び出した。
  飛び出して、そこに誰の姿もないことに愕然とする。
  勝手に思いこんでいた。
  外に出られたら彼女の思い人とコンタクトを取る事が出来ると。
  を愛し、が愛するような人間だ。
  きっと彼女を助けようと必死になって奔走しているに違いないと‥‥思っていた。
  「‥‥くそっ」
  だが、無人の門の周りを見て彼は自分の考えがいかに甘かったのかを知る。
  せめて彼の連絡先を聞いておくべきだったか。
  そもそも名前も容姿も知らない事自体が間違いだ。
  そんな事でよくコンタクトを取れるだなんて思ってものだが‥‥考えたら行動しないわけにはいかなかった。
  「でも、爺さんたちの話だと昨日も来てたって言ってたし‥‥」
  ただ門前払いだったのでその後どうしたのかは分からない。
  三日連続で四日目だけ来ないというのもないと思うのだが‥‥

  まさか、諦めた?

  そんな馬鹿な、と考えて頭を振る。
  どんな人間かは知らないが、こんな所までわざわざ乗り込んできたほどの男なのだ。
  そんなに簡単にを諦めるはずがない。
  いや、諦めて欲しくない‥‥というのが本音だろうか。
  もし恋人であるその人が諦めてしまったら本当に、は生きる事を止めてしまう。
  ただの人形になって一生飼い殺しだ。
  彼女は自由でなくてはいけない。
  あんな所で死ぬべき人間ではないのだ。

  「ん?」
  その時不意に、車が近付いてくる音が聞こえた。
  龍之介がそちらを見ると見慣れない‥‥といっても彼もこのあたりに詳しいわけではないが、とりあえずそれが地元の人
  間ではないのは分かった。何故なら車のナンバーがレンタカーのものだったからだ。
  車は少し屋敷から離れた所で止まる。
  もしやあれは雪村とは関係ない人なのだろうか。
  運転席から長身の男が、そして、助手席から女が出てきた。
  なんだカップルか‥‥と龍之介は肩を落とした。
  その二人組は何やら会話をしているのが遠目から見えた。
  なんだろう。彼らには全く罪はない。
  だけど、平和そうなその二人の姿に龍之介は八つ当たりめいた感情が浮かんでくるのが分かった。
  いちゃつくのならば他でやれ、と内心で吐き捨て、くるりと背を向けようとしたとき、
  一人がこちらを振り返る。
  男の方だった。
  ばちり、と視線が絡んだ。
  遠くだからそんなにはっきりと見えるはずもない。なのに、その人と視線が絡まった瞬間、龍之介は思わず息を飲んだ。
  その人の紫紺の双眸には、強い、力があった。
  心の強さをはっきりと表す瞳だった。
  そして、
  その瞳はひどく真摯で‥‥誠実な色をしていた。

  それを見た瞬間、似ていると、と思ったのだ。

  彼女のその瞳に。
  似ている気がする‥‥と。
  いや、気がするのではない。
  似ているのだ。
  二人は。
  どちらかが感化されたのか、それとも似ている何かがあるからこそ惹かれたのか‥‥それは分からない。
  でも、龍之介はその人がそうなのだとこの時確信した。

  「お、おいっ!!」

  ばたばたとそちらへと駆けていく。
  近付いてみて、その男が驚くほど綺麗な顔立ちをしている事に気付いた。
  「なんだ?」
  と問いかければその人の双眸が細められる。
  値踏みでもするかのようなそれに、龍之介は一瞬気圧された。
  「あの、あんたは‥‥」
  気圧されながら、それでも彼は口を開く。
  初対面で「あんた」と言われて男の眉間には皺が刻まれる。
  声を掛ける相手を間違えたかも知れない‥‥そう龍之介が後悔するよりも先に、同行していた女がひょこと顔を覗き込ん
  できた。
  黒髪で大きな目を持った彼女は、ひどく愛らしい様相をしていた。
  この色男とは、残念ながら釣り合わないほど‥‥子供っぽく見える。
  「どうかされましたか?」
  柔らかな口調と、きっと、彼を驚かさないようにとの配慮なのだろう。
  微かに笑みを浮かべるその優しい笑顔に『彼女』と何かが重なる。

  龍之介は‥‥雪村の事を何も知らない。
  だけど、この一瞬で、が何故掌を返したのか‥‥なんとなく分かった気がした。

  「頼む」

  名前も何も知らない彼女らに、龍之介は願った。

  「を‥‥助けてくれ」