「そろそろ、手を打たないといけませんね。」
  千歳は冷たく呟く。誰にともなく呟いたその声に応える人間はいない。
  ただ、闇に飲まれて消え、静寂が返ってくるばかりだった。
  その瞳には虚無の色が浮かんでいる。闇と同じ色だった。いや、それよりもずっと濃く、深い。
  千歳はついと笑みを浮かべる。
  その視線の先には写真立てが並んでいた。
  過去を切り取り、閉じこめたそれの一つには彼女の最愛の息子の姿がある。
  それを見て、千歳は本当に優しい笑みを浮かべた。
  「‥‥大丈夫。今度こそ、絶対に失ったりはしない。」


  タイムリミットまで、あと4日――



  翌日も懲りずに土方らは雪村邸を訪ねていた。
  チャイムを押せばすぐに執事が応え、此度は何も聞かれずに門を開かれた。
  「‥‥罠?」
  訝る沖田に土方は「さあな」と言って歩き出した。
  すたすたと恐れもせず、ただ前だけを彼は見て、
  「罠だったら、ぶち破るだけだろ?」
  やけに自信たっぷりに言い放つ。
  回避じゃなく、正面切ってぶつかってぶち当たるあたりが彼らしいと言うのかなんというのか‥‥
  「僕ならば逆に罠を仕掛け返してやりますよ。」
  その後に続く沖田の台詞は、物騒なんだか頼もしいんだかよく分からない。
  ただ、土方はそれを振り返りにやりと笑っただけだった。


  さて、今日はどういう手で来るか‥‥
  昨日のように行儀良く待つのではなく、長い足を組んでふんぞりがえる土方はやってきた千歳を見てすいと目を細めた。
  彼女はにこりと笑いもせずにやってきたかと思うと彼らとは距離を取ったままで口を開いた。
  「あなたは、あの子を渡さない限り何度でもここに来るのでしょうね。」
  さも迷惑そうな言葉に土方は口元に笑みを深くする。
  「ああ、その通りだ。」
  「それは困ります。あの子は大事な式を控えているというのに‥‥」
  少しも困った様子もなく千歳は言う。
  土方たちの抵抗など、まるで関係ないとでも言いたげに。
  「ああそりゃ、残念だが。式は当然滅茶苦茶にさせてもらうぜ。
  なんせ、が望んでねえんだからな。」
  「‥‥」
  どうかしら?と言いたげに千歳は口元にわざとらしく笑みを浮かべる。
  そしてすぐに、これまたわざとらしく溜息を吐いて見せた。
  「それは‥‥困ります。」
  困ってるようには見えねえよ、と土方は内心で吐き捨てた。
  それは口にせずにすいと目を細めてその言葉の真意を探ろうとすると、彼女は軽く頭を振って、

  「一つ、提案があるのだけど‥‥」

  と言い出したのだった。



  人間というのは希望が膨らめば膨らむほど、叶わないと知った時の絶望は大きい。
  あれだ。
  高い所に上れば上るほど、たたき落とされる恐怖や強さというのは増すというものだろうか。
  そして希望が膨らめば膨らむほど‥‥たたき落とされた次には、抗えなくなる。


  「‥‥なんの、じょう、だん?」
  は自分の口から零れる言葉がひどく掠れて揺れている事が分かった。
  この感情をどうすればいいのか、分からない。
  吐き出せばいいのか、飲み込めばいいのか。
  どうしたらいいのか分からなくて、声が迷うように震えた。
  叶絵はにこりともせず、ただ見開かれた琥珀に絶望を押しつけるが為に唇を開く。
  「冗談ではございません。大奥様がお決めになったことです。」
  これは決定事項です、と彼女は言った。

  「様。あなたを解放いたします。」

  それは願ってもいない言葉だった。
  それに続く言葉が無ければ。

  「その代わり、本家は千鶴様に継いでいただくとの事です。」