「今日から俺もこっちで寝起きをしても構わないか?」

  うたた寝‥‥というには長い時間自分が眠ってしまっていた事に驚いたが、それよりも龍之介がその部屋にクッションを
  抱いて居座っていた事にも驚いた。
  だけどそのどれよりも唐突な、
  「今日から俺もこっちで寝起きをしても構わないか?」
  という台詞に驚いた。
  思わずは「は?」と間抜けな声を上げて間抜けな顔を晒すくらいには。
  言っている意味が分からない。
  こちらで一緒に寝起き?
  龍之介が?
  それって‥‥
  「‥‥なに?怖い夢でも見たの?」
  「だ、誰が!」
  見当違いなの言葉に龍之介は憤慨する。
  子供扱いするなと真っ赤な顔で吼えれば彼女は冗談だよと笑った。
  笑った声が微かに強ばっている。理由はすぐに分かった。
  だから、勘違いするなよと彼は先に言っておく。
  「俺は、婚約者だからっておまえに、へ、変な事をしようと思ってるわけじゃない。」
  一緒に寝起きをしようと言ったが、ベッドは別。
  部屋の隅っこのソファで良い。あれでも十分、彼の部屋にあるベッドよりも寝心地が良さそうだ。
  「おまえには絶対に何もしない。」
  「‥‥りゅ、龍之介?」
  「もし、不安なら‥‥そうだな、パーテーションでも用意してもらえばいい。」
  執事に頼めばすぐに用意してくれるはずだ。
  それで仕切ってくれれば彼女だって少しは安心出来るだろう。
  「‥‥‥」
  「そ、それでも、不安だって言うなら‥‥」
  部屋の外で寝起きを、と言いかけるのをは「ストップ」と言って遮った。
  遮られ龍之介は眉間に皺を寄せる。
  「‥‥龍。突然そんな事言われても‥‥」
  は呆れたような顔で言った。
  その言い分は正しい。突然そんなことを言われても戸惑うし迷惑だろう。何故なら龍之介は彼女の彼氏でもなんでもない
  のだから。
  まあ、同じ部屋の中に男が一緒に寝起き、なんて、普通の女性ならば冗談ではないとたたき出すに違いない。
  いくら下心はない、と言っても、だ。
  「そう、だよな‥‥」
  しかし、なんだか信じてもらえていない気がして、龍之介は落ち込んだ。
  彼女ならば無条件で信じてくれる、そう馬鹿みたいに信じていた。
  さっきだって気を許してくれたからこそ、自分の目の前で眠ったのだと思った。
  自分がいることで彼女が心を休められるに違いないと勝手に思いこんでいた。

  「‥‥」
  そう、落ち込んで項垂れる彼には溜息を零す。
  それから苦笑であのね、と口を開いた。
  「龍之介が一緒に寝起きするのがいやだって言ってるわけじゃないよ?」
  「‥‥え?」
  言葉に驚いて顔を上げる。ばちりとぶつかるのは困ったようなでも、笑みを浮かべる琥珀だった。そこに自分への警戒の
  色も嫌悪の色もない。
  「私が戸惑ってる理由は、どうして急に、龍之介がそういう事を言いだしたか‥‥なんだよ。」
  どうして、彼が突然そんな事を言いだしたのか。
  龍之介は「それは」と言いよどむ。
  理由は‥‥とうに見当はついていた。
  「私の、ため?」
  恐らく、彼女が再び襲われる事がないように‥‥なのだろう。
  龍之介は、口は悪いけれど中身は悪い人間ではない。どちらかというと優しい男だ。素直じゃないだけで。

  「‥‥俺は、そんなに力はないけど‥‥」
  じっと見つめているとやがて、龍之介はぶつぶつと不満げに愚痴でも零すかのように呟き始めた。
  「もしかしたら全然、役になんか立てないかも知れないけど‥‥」
  もし大勢で寄ってたかって来られたら、きっと手も足も出ない。
  暴力沙汰だって苦手だからきっと、殴られても殴り返せたりなんかしない。よけれもしないかもしれない。
  殴られて気絶してしまうかもしれない。てんで役に立たないかもしれない。
  それでも、
  「それでも、いないよりは‥‥ましだろうと思って。」
  物の数にもならなくても、いないよりは、いたほうがマシなのではないかと思った。
  一人くらいならばどうにかできるかもしれない。
  誰かが来たならそれをに伝える事ができるかも。
  なんでもいいんだ。
  自分がいることで何か一つでも彼女の役に立てるなら。
  彼女が、たった一人で苦しむ事がなければ。
  その為に、自分がいられたなら‥‥

  「‥‥龍之介。」
  はそんな彼の言葉を黙って聞いていた。
  視線を合わせずに俯く彼の横顔をじっと見ながら。
  己の無力さを嘆くかのように歪められるそれを見ながら。
  そして、
  ふ、と、笑った。

  「‥‥ありがと。」

  は心の底から、思った。

  「おまえが、いてくれて、心の底から心強いと思うよ。」

  誰が無力なものか。
  だって彼がいるだけで、味方になってくれると分かっただけで、心がこれほどに強くなるというのに。
  誰が彼を無力だと思うものか。


  味方が一人増えた。
  たった一人で、まだ、出口だって見えない。
  未だに出口は塞がれて八方塞がりのままだ。
  でも、
  はなんだか希望が湧いてくるのが分かった。
  なんとかなる気がしてきた。
  あの狸婆から、自由を勝ち取れる気が。


  「だからって‥‥熟睡するなよなぁ」


  その夜。
  二人きりの部屋に健やかな寝息と、龍之介の些か不満げな声が小さく響くのだった。