土方さん――

  呼んでいるような気がする。
  彼女が、自分を呼んでいるような気がする。
  助けを求められているような気がして、土方は奥歯をぎりと噛みしめた。
  窓の外に流れる景色には星と月明かりしか見えない。あとは闇一色、だ。

  「‥‥」
  時計を見る。
  時刻は既に0時を回って、日付が変わっていた。
  なんだか無性に時間が経つのが遅くて、焦れったい。
  早く。
  願った所で早まるわけでもないのに土方は願った。

  早く、彼女に逢いたい。
  早く、無事な姿が見たい。
  この腕に抱きしめて、
  二度と、
  離れないように。

  「‥‥。」

  ぽつんと名前を呼ぶ。
  その声に応える人はここにはいない。
  だけど、呼びかけに、彼女ならばどこにいても応えてくれている気がした。
  きっと二度と二人の想いがすれ違う事などないと、確信していたからだろう。

  ただ、彼は願った。

  無事でいてくれと――

  もう十分傷ついた彼女を、これ以上、傷つけるのだけは止めてくれと。


  「っ!!」
  ばたん、と扉が壁を叩く音が大きく聞こえる。
  そしてすぐに闇の中で何かを見つけたらしい彼が「この」と怒りを孕んだ声を上げ、
  「なに、してるんだ!!」
  そう叫びながら男を引きはがしてくれる。
  普段はまったく力なんて出なくて、大抵喧嘩をしても負ける事が多かった龍之介ではあったがこの時ばかりは驚くほどの
  力が出たようである。
  男を引き離して、大丈夫か、と声を上げ掛けて喉の奥に声がへばりつく。
  何をされていたか、というのが一目瞭然に分かるほど、の着衣は乱れていた。
  パジャマの前がはだけられ、ズボンも下ろされていて下着が見えている。
  だが、辛うじて死守したらしい。
  はすぐさま露わになった胸元を隠しながらズボンを引き上げてゆらりと立ち上がった男を見る。
  その瞳は襲われたばかりだというのに決して涙など浮かべていなかった。
  ただ、怒りに目をつり上げ、決して屈さないと言う強い意志を宿して男を睨み付けている。
  その強さが、恐らく男の加虐を煽るのだと龍之介は思った。
  何故ならば、彼も‥‥この時確かに思ってしまったからだ。
  『この瞳が屈する瞬間を見てみたい』と。

  「‥‥っ!?」
  ゆらりと立ち上がる男に、龍之介は慌てて我に返り、男から庇うように立つ。
  「俺の後ろにっ」
  手を広げ、守るようなそれにやはりこの選択は間違っていなかったとほっとしながら、まだ欲を湛えた瞳で見る男を睨み
  付けた。
  にたりと男は舌なめずりをした。
  恐らく彼は頼まれてここにやってきただけなのだろうが、その本能に火がついてしまったらしい。
  男は思った。
  この女を本気で犯したいと。
  まさか一回り以上下の女に、これほど欲情すると思わなかった。
  ひどく欲情した色で自分を見る男を、は冷めたようなそれで見つめて、こう言い放つ。

  「こんなことしても、無駄だって婆様に言いな。」

  凛とした声に、揺らぎは一切見えない。

  一方の龍之介はこんなことを指示したというのが彼女の実の祖母であることに驚き、思わず振り返る。
  本当か?と言いたげなそれには答えなかった。
  確証はない。
  しかし、男が否定しない所を見ると、事実なのだろう。
  間違っているとは思うけれど、なんとも確実な方法である。
  もしが犯され、子が出来たら逃げようがない。
  そうでなくとも、他の男に犯されたという事実からは好きな男の所へとは戻れないだろうと彼らは思ったのだ。
  忌々しいほど確実で、最低な方法だ。
  はぎゅっと破られたパジャマの胸元を握りしめ、不思議と静かな口調で言い放った。

  「私は、絶対にあんたたちのものにはならない。」
  「‥‥」
  「この身体は、雪村のものでも、私のものでもなく、あの人のものだ。」

  他の誰にだって触れさせてやるものか。
  他の誰にだって開いてやるものか。
  この身体を好きにしていいのは‥‥愛していいのは‥‥彼だけなのだから。

  「二度と私の身体に触るな――」

  次の瞬間、その口からぞくりと背筋が凍るような冷たい声が発せられ、龍之介も、そして男もぎくりと身体を震わせた。
  琥珀がついと、細められる。
  澄んだ美しいそれが浮かべているのは紛れもない、殺意だ。
  他の男に無理矢理犯されるくらいなら死んでやる‥‥
  はそう考えるほど可愛らしい女ではない。

  ――殺してやる――

  そう、
  自ら命を絶つくらいなら、相手を殺してやろうと思った。
  はったりではなく、本当に、殺してやろうと、今の瞬間本気で考えた。

  ――殺してやる。

  その言葉の代わりに、は言い放つ。

  「次は、大事なものを使い物にならなくさせてやる。」

  言いしれぬ恐怖に二人の身体が戦慄した。
  言葉の意味も勿論恐ろしかったが、彼女が放つ殺気とやらも恐ろしかった。

  だがなによりも恐ろしいと思ったのは、
  その人に、
  千歳の影を見たからだろう。

  間違いなく、彼女は雪村の人間なのだと、この時龍之介は思った。


  その細い肩が小刻みに震えている事に気付いた人間は、いない。