「大奥様。
一つ、提案がございます。」
ぽたりと水に墨汁を落としたように。
暗い闇が静かに広がる。
「そんじゃ、おやすみー」
「ああ‥‥おやすみ。」
「さっき怖い話したからっておねしょとかしちゃ駄目だよ?」
「誰がするか!!」
「怖かったら呼んでもいいからね?
って私ここから出れないけど。」
怒鳴り出す前に龍之介を追い出し、は早口にまたねと言った。
龍之介と一緒に外に出ればこの部屋から出る事は出来る。が、そこから出たとしてもこのフロアから出る事は出来ない。
外に出られなければ意味が無く、下手をして部屋から一切出られないとか、更にひどく終始監視がつくとかになったら敵
わない。
ということで、大人しくは部屋の中にいることにした。
「さてと‥‥」
はノートの切れ端を再び取りだして、腕を組む。
結局今日も大した情報も得られず、ここから抜け出す方法も思いつかなかった。
ただひたすら龍之介と下らない話をしていただけだ。
話をしている内に何かとっかかりでも見つかればと思ったが、龍之介もこの屋敷に来たのは昨日が初めてで‥‥何も知ら
ないようである。
ああ、自分のせいで彼も巻き込まれたのかと思うとちょっぴり心苦しかった。
「あいつもちゃんと助け出してやらないとな。」
龍之介に聞かれれば「余計なお世話だ」というかわいげのない一言が返ってくることだろう。
などと考えながら、は切れ端を枕の下に差し込んで、布団に潜り込んだ。
明日は彼に少し協力して貰おうか‥‥などと考えている内に、気付けば意識が落ちていた。
それまでは相当気を張りつめていたのだが、見知った人間がいることで気が緩んだに違いない。
――かちゃ――
寝入って、どれくらいした頃だろう。
扉が微かに開くような音がした。
は夢現を彷徨いながら、メイドでも入ってきたのだろうか。でも、何も用事など頼んだ覚えはないし、彼女らがこち
らの返答も無しに勝手に入ってくるはずもない。
だとしたら龍之介か。
なんだよ忘れ物か?
もしかしたらあれか、怖い話を思い出して眠れなくなったとか。
まさか、あいつならば意地でもここに来ないだろうな、じゃあ、なんだろう?
などと思いながらごろりと寝返りを打って入室者を確認しようとした所で、
ぎしっ
「っ!?」
ベッドが強く軋む。
侵入者が突然の上に飛び乗ったからである。
何事かと思って目を凝らすと、それは龍之介ではなかった。
顔も知らない男である。
しかも、龍之介よりも少しばかり年上の、だ。
誰だ?
は内心で疑問に思いながら、すぐに男の意図に気付いた。
彼はのパジャマの上から身体をまさぐりはじめたのである。
こいつっ!
意図に気付いた瞬間、その男が何者なのか悟った。
恐らく雪村の人間だ。
でなければこの屋敷に入る事は出来ない。
出入りには暗証番号と指紋認証をパスしなければいけない。
それをパスできたと言う事は、彼は雪村家の誰かが招き入れたという事で。
こんな狼藉を働くと言う事は、それは雪村家の意志という事で。
つまり、その意図は――
雪村家の子を産ませる為に、彼女を犯そうというのである。
何が大事なお嬢様だ。
大事な跡取りだ。
無理矢理孫を襲わせて、妊娠させるような祖母がどこにいるというのだ。
「こ、のっ!」
は思いきり男の股間を蹴り上げた。
うぐ、という声が漏れ、次の瞬間はベッドから飛び降りながら大声で叫んだ。
「龍之介!!」
今、ここで助けを求められるのは彼だけだ。
彼が味方か敵かは分からない。
でも少なくとも、彼は子供を作るためだけにを犯すような行為を良しとしないはずだ。
「龍っ‥‥」
もう一度叫んだ時、立ち上がった男に襲いかかられ、口を塞がれる。
そのままどさりと床に引きたおされ、下が柔らかいカーペットだったから良かったものの、そうでなければ脳震盪を起こ
しているだろう。
男はの口を押さえたまま、身体全体で抑え込み、片手でパジャマの下をまさぐった。
ぞわりと嫌悪に肌が泡立つ。
もう一度お見舞いしてやろうとした蹴りは勿論封じられ、その間に身体をねじ込まれてついでに足を広げさせられた。
思い切り押し返してみたが、びくともしない。
『だからおまえはもう少し危機感を持てって言ってるだろ?』
苦い顔でそう何度も忠告してくれた恋人の事を思い出す。
大丈夫だ、平気だとタカをくくっていたのは、相手がの事を大事に思ってくれる友人だったからで‥‥
今自分を襲っている男にはそんな思いの欠片もない。
男女の力の差というのをまざまざと思い知らされ、は焦った。
まずい。
本能的な恐れが身体を支配した。
このままでは犯される。
無理矢理この男に孕まされる。
そんなのは御免だ。
――あの人以外に絶対に身体を開いてたまるものか!
「土方さんっ」
くぐもったその下では叫んだ。
愛しい人がここに飛び込んでくるはずなどないのに。

|