「‥‥無駄に大きい家だね。」
  沖田は門の向こうにそびえ立つ屋敷を見てぽつりと呟いた。
  因みに「無駄」という所には悪意を感じるように、だ。
  「こういう無駄に大きな家を建てる人って、成金ってイメージだよね。」
  その雪村の血筋である千鶴が立っている‥‥というのにあははと沖田は笑いながら言った。
  彼の中で「雪村本家」に千鶴は入っていないらしい。勿論も、だ。
  「‥‥でもどうします?これから。」
  雪村の本家の場所を聞いたのは良かったが、この先どうするべきだろうか。
  千鶴は別として、全くの赤の他人でなおかつ得体の知れない人間がやって来たのでは通してくれるはずも無かろう。
  用事がある、と言ったとしてもまさか「を返せ」と言われて入れてくれるはずもないだろうし。

  「‥‥そう、だな。」

  土方はしばし考え込んだ。
  それから、千鶴と沖田を見て、
  「おまえら、ちょっとだけ車ん中に戻ってろ。」
  と言い放つ。
  沖田は勿論、千鶴も首を振った。
  「おまえらがいると話がややこしくなんだよ。」
  「でもっ」
  「安心しろ。俺一人では行かねえからよ。」
  約束したのだ。
  ちゃんと、二人も連れていくと。
  土方は言って、二人にもう一度、
  「戻ってろ。いいな?」
  と念を押す。
  二人は暫く顔を見合わせていたが、やがて、
  「‥‥分かりました。」
  不承不承といった感じで頷き、ぱたぱたと車へと戻っていく。
  二人がしっかりと離れた所に停めた車に戻ったのを確認すると、土方は緩めていたネクタイをしっかりと直し、コートの
  前をきちんと留めるとゆっくりとした足取りで門の傍へと近付いていった。
  一定の距離になるとセンサーが作動してカメラが動く仕掛けのようだ。
  レンズが土方の姿を捕らえる。
  古い家と聞いていたが、かなりハイテクじゃねえかと内心で呟きながらインターホンに手を伸ばした。

  ポーン

  という柔らかな音がして、
  すぐに、

  『どちらさまでしょう』

  壁に埋め込まれている小さなモニターに、老人が映り込む。
  出で立ちは品の良い執事、といった感じである。
  土方は背筋を正した。
  「突然、失礼いたします。
  私、薄桜学園で教頭をしております土方歳三と申します。」
  『薄桜学園の‥‥教頭先生?』
  老人が怪訝そうな声を上げた。
  こんな時、土方は自分が教頭という役職についていて良かったと思う。
  担任‥‥では恐らく彼らは土方を入れてはくれないだろう。
  だが、教頭、では無碍にあしらうわけにもいかない。
  一担任ではなく、教頭が出てきた‥‥というのには重大さが違うからである。
  教頭が直々に出なくてはいけない状況にある――そう彼らには印象づけられたはずだ。

  「雪村さんについて、少々お話したいことがありまして‥‥」

  土方はちらり、と周りを見た。
  勿論周りには人の姿などはないが、それでも人の目や耳というのはどこにあるか分からない。
  大事な跡継ぎが周りから噂されるようになってもいいのか?とでも言いたげな彼の態度に、執事は表面上取り繕って、
  『少々、お待ち下さい。』
  そう言ってモニターがぶつんと消えた。

  恐らく、本家の人間‥‥それも偉い人間に伺いを立てにいっているのだろう。

  「さて‥‥と‥‥」
  土方は腕を組んだ。
  とりあえず、第一関門突破できるかどうかは向こう次第ということになる。
  これを突破できなければ、そうだな、あまり大事にはしたくないが、誘拐されたということで警察にでも駆け込むか。
  歴とした孫だと言われればそれまでだが、あまりに事が大きくなるのを雪村の家も望まないだろう。
  こと、こういう閉鎖的な田舎というものは噂というものに敏感だから。

  『お待たせいたしました。』

  再びモニターが映る。
  しかし、そこに映っていたのは先ほどの執事ではなく、着物姿の女性だった。
  まだ、若い。
  よりも少し上、だろうが、彼女が当主、というわけではなかろう。

  『お話、お聞かせ願いたいのですが、生憎、本日、主は検査のために外出しております。』
  「‥‥そうですか。」
  『ですので、明日。改めてもう一度お越しいただいてもよろしいでしょうか?』

  やんわりとした口調だが、その瞳には歓迎するような色は見受けられない。
  しかしそれは土方を不審がる、というよりは、全ての者に対して拒絶をしているような‥‥
  それでありながら他者を羨み妬むような色で。
  「‥‥」
  土方は気付かれないように眉根を寄せた。

  なんだ?この女‥‥

  何かが危ない。
  そんな気がする。
  彼女は何か脆いのだ。
  隙のない出で立ちをしているというのに、どこか、一つでも揺らげばねじ曲がって壊れてしまいそうな脆さを感じる。
  何なのだろう?

  『‥‥明日、もう一度お越しいただけますか?』
  にこりと笑うその目に、生気はない。
  とんでもねえ人間がいるものだなと土方は内心で呟きながら、こくりと一つ頷いた。
  「わかりました。」
  ここで駄々をこねて、相手にへそを曲げられては困る。
  「明日、もう一度伺います。」
  『よろしくお願いいたします。』
  ぺこりともう一度頭を下げた後、ぶつんと映像が切れた。

  「‥‥」

  土方は静かに踵を返して少し離れると、再び立ち止まって振り返った。
  雪景色の中、そびえ立つのは大きな大きなお屋敷だ。
  しかし何故だろう?
  その屋敷からは全く暖かみというものを感じなかった。


  あの男はきっと、彼女の特別な人なのだろう。
  叶絵は思った。
  確証はない。
  ただの勘だ。

  でも間違いなく‥‥あの男にとってはという人は特別なのだろう。

  「‥‥」
  そう思った瞬間、彼女の目がついと細められた。
  赤い唇の奥でぎりと嫌な音が響く。
  しばし、何かを堪えるかのように叶絵はその場に立ちすくみ、

  「‥‥?」

  やがて上階から聞こえてきた賑やかな声に顔を上げる。

  この屋敷の中であんな馬鹿でかい声を上げるのは、彼しか、いない。
  いや、正確には、彼らしか。

  喧しい人たち――

  内心で呟きながらそっと立ち上がり、叶絵は階段をゆっくりと登る。
  その所作はどれも優雅で、美しい。
  誰が見ても恥ずかしくないように‥‥と厳しく育てられ、今の彼女は漸くここに在る事が出来る。
  どこにいても、彼女は常に雪村の一族として恥じないようにと心掛けてきた。
  大声で笑った事も怒鳴った事もない。
  外を走り回るなんて事もなかった。
  知っているのは、冷たい屋敷の中だけ、だ。

  「‥‥」

  扉を開けて中に入る。
  三階の大部分は今は軟禁の為であるが、のために作られたといっても過言ではない空間である。
  彼女が当主を継げば、何億という財産が彼女のものとなるのだ。
  屋敷の人間も彼女が好きに使う事が出来る。
  雪村の全てを彼女は手に入れる事が出来るのだ。

  そっと、三階部分の一室に入る。
  そこはモニタールームである。
  普段は執事がここに控えており、モニターにての様子を伺っているのだ。
  今は所用で席を外しているため、いない。
  叶絵はモニターに映し出されると龍之介の姿を冷めた目で見つめた。
  真っ赤な顔で怒鳴る龍之介に、はけらけらと腹を抱えて笑っている。
  大声で何か喚いていて、大声で笑っていて、
  叶絵は正直、
  下品だと思った。

  あんな風に声を荒げるのも、あんな風に大口を開けて笑うのも。

  「‥‥雪村には相応しくない。」

  叶絵はぽつんと呟いた。

  は、
  雪村に相応しくない。

  自分のように上品でもなければ、慎ましやかでもなく、
  第一雪村を愛してなどいない。
  だというのに、何故だろう?
  何故、
  彼女が跡継ぎなのだろう。

  「‥‥‥なぜ‥‥」

  ぎ、と嫌な音が再び聞こえる。

  何故。
  と叶絵は思った。

  モニターの中で笑う彼女は‥‥あんなに幸せに笑うのだろう?

  わたしはこんなに苦しいのに。