タイムリミットまであと6日――

  龍之介はその日から本家で寝起きをする事になった。
  とは言っても、部屋は別室。彼は隣の部屋で寝起きするらしい。
  因みに彼の部屋はの部屋ほど広くない‥‥らしい。これぞ本家とそれ以外の違いと言う事か。
  許嫁だというのならばもう少し優遇するべきじゃないだろうか。

  「、起きてるか?」

  ノックもせずに外から声を掛けられ、は窓の外に向けていたそれを扉に戻す。
  「起きてるよ。どぞー」
  どこか間の抜けた返答に扉が開く。
  顔を覗かせたのは龍之介だ。
  「おはよう。」
  ひら、と手を振る彼女はすっかり身支度を整えている。
  だが、着ている服は昨日と同じで、龍之介は不思議に思って首を捻った。
  「ぐっすり寝れた?」
  「‥‥まあ‥‥それなりには。」
  「そ。それはなにより。」
  まあ良かったら座ったら?とベッドの、自分の横をぽすぽすと叩く。
  いや、仮にも女のベッドに座るわけにはいかないだろうと龍之介は思ったのだが、は気にした様子もない。
  それがまるで当たり前、という風にされて、些か腑に落ちない思いで、しかし、隣に腰を下ろした。
  彼女は何やらノートの切れ端に走り書きをしているようである。
  「‥‥何を書いてるんだ?」
  「ん?脱走計画?」
  「‥‥脱走‥‥?」
  龍之介は訝る。
  本気か?とでも言いたげなそれで、はにっと意地悪く笑ってみせた。
  どうだと思う?とでも聞きたげなそれだ。
  「いや、無理だろ。
  俺はともかく、あんたは部屋から出る事さえ出来ないんだし。」
  「龍ちゃーん。そういう無神経な事を言うから女の子からモテないのよ?」
  呆れたような口調で言われ、龍之介はなんだと、と目を剥いた。
  「俺は事実を、だなっ」
  「ここは嘘でもいいから頑張れって言うところなんだってば。」
  事実なのはにも分かっている。
  それでも諦めずに逃げる方法を考えているのだ。
  「‥‥」
  龍之介の口にした言葉は、そのを追いつめる事になる。
  彼は別として、には確か好きな男がいるのだ。
  なのに自分と結婚させられるかも知れないのだ。
  口にしてから気付いたのか、その、と言いよどんだ。
  は決してそれ以上責めず、ただにこりと笑うと、龍之介の肩をぽんぽんと叩いた。
  まるで「気にするな」とでも言いたげで、そいつは立場が逆ではないのだろうかと思った。
  励ましや慰めの言葉が欲しいのは彼ではなく、彼女の方だろうに‥‥

  「‥‥ところで、。気になっていたんだが‥‥」
  「なに?」
  ああでもないこうでもないとペンを走らせる彼女に龍之介は入室してからずっと抱えていた疑問をぶつけてみた。

  「その服‥‥昨日と同じじゃないか?」
  「あ、気付いた?」
  やっぱり、と言って笑う彼女はあっけらかんとしている。
  以前、同じように女性に指摘した所、平手打ちを食らった事がある、と思い出したのはその時だ。
  まずい、と口元を覆うと、はそうなんだよねーと気にした風もなく自分の格好を見て呟いた。
  「二日くらいならなんとかなるんだけど、三日四日と同じ服を着てるとさすがにやばいかな?」
  におうかも、とはすんすんと自分の袖口のにおいを嗅いでみせた。
  いや普通女はそんなことしないだろ。
  龍之介は心の中で突っ込んだ。
  「っていうか、着替えは用意してもらってないのか?」
  まさかそんな事はないだろう。
  自分とは違って彼女は大事な後継者だ。
  きっと豪華な着替えが、しかも新品が、何着も用意されているに違いないと言うと、はうーんと唸って首を捻る。
  「あるにはるんだけど‥‥」
  「‥‥けど?」
  「趣味じゃない。」
  「‥‥」

  どういう事だ?
  と言いたげに眉を寄せる龍之介。
  は百聞は一見しかず、と思い、無言で立ち上がるとすたすたとクローゼットの中から適当に、一枚、持って出てきた。
  それをぺいっと龍之介に放り投げる。
  「な、なんだよ、いきなり!」
  「広げてみ?」
  「‥‥?」
  言われるままに広げる。
  広げた瞬間彼が無言になったのが分かった。
  それは女の子らしい可愛い洋服だったのだ。
  誰の趣味だ?
  思わず突っ込みたくなる。
  あの祖母の趣味でも怖いが、かといって執事の趣味でも怖い。
  おそらくは取引のある店から、こんな感じの洋服をと言って揃えさせたのだろう。
  それがずらりとクローゼットの中に並んでいる、というのだからとしてはうんざりだ。
  「‥‥似合わないっしょ?私には。」
  「‥‥そう‥‥だな?」
  言いかけ、いや、そうでもないかも、とその洋服を見ながら思った。
  確かにはカジュアルな方が似合いそうだが、こういう甘めな服装だって似合わなくもないと思う。
  例えば髪の毛を下ろしたりしたらきつい印象は消えるのだし‥‥
  というか、正直、見てみたい気もする。
  好奇心というやつで。

  「‥‥着ないのか?」
  「冗談。」
  はははっと笑った。
  「着たら指さして笑う癖に?」
  「わ、笑わないぞっ!」
  「本当かなぁ?」
  「本当だ!」
  「‥‥でも、いや。」
  はふるっと頭を振った。
  どうしてだろうかと訊ねるよりも前に、は教えてくれる。
  「それを着たら‥‥私が消える気がするから。」
  そう。
  は思った。
  たかだか彼女らしくない服を着た所で何が変わるわけでもない。
  でも、はそう思った。

  「‥‥私は、人形じゃない。」

  それに袖を通した瞬間、彼女らの人形になってしまう気がした。
  彼女らが選んだものを着せられて、綺麗に飾られている気がした。

  は人形ではない。
  人間だ。
  雪村静香という人形ではなく、
  雪村という人間だ。

  「それに。」

  とは洋服を困ったような顔をして見ながら言う。

  「着飾って見せたい相手、ここにいないしね。」

  きっとこんならしくもない格好を他に見せたと聞けば、あの男は拗ねてしまうだろうから。