ばんっ。
と机の上に乱暴にノートが置かれる。
その大きな音に、職員室にいた全員が振り返るが、誰も彼を咎める人はいなかった。
彼から、異様なほどの怒りを感じたから。
「‥‥なんだ、総司‥‥おまえ、机を壊すつもりか?」
ただ一人、そんな彼に文句を言ってのけるのは土方である。
ノートを乱暴に置かれた被害者なのだから当然だ。
「どういうつもり?」
「そいつは俺の台詞だ。」
あーあ、と叩きつけられ、折れ曲がったノートの皺を直している。
自分が何のためにここに来たのかわかっているくせに、惚けてみせる彼にひどくむかついた。
「の事ですよ。」
「雪村‥‥?あいつが何かあったか?」
白々しい、と沖田は吐き捨てる。
「あんた‥‥別れたんだって?」
どういうつもり?
沖田はまるで視線だけで人を殺しそうな、殺気立った目で土方を見ている。
へえ、と男は彼が怒る理由も何もかも分かっていながら、口元を引き上げて、まるで挑発するように嗤った。
「おまえ、俺の事が嫌いだったんじゃねえのか?
だったら嬉しいんじゃねえのか?」
「っ」
「俺とあいつが別れて‥‥」
良かったじゃねえか、と両手を広げて見せる彼に怒りが爆発しそうだった。
「沖田さんっ!」
それを慌てて飛び込んできた千鶴が止めなければ確実に顔を一発殴っている。
「やめてっ、くださいっ」
千鶴は小さな身体で沖田の大きな身体に必死にしがみついている。
振り上げた拳は、ぶるぶると震えていた。
そんなこと‥‥彼女は望んでいない。
沖田が彼を殴って停学になることなんて。
絶対に望んでいない。
「‥‥っ」
沖田は悔しげに唇を、噛み切るほどに噛みしめ‥‥やがて、ちっと舌打ちをしながら拳を下ろした。
気がつくと、あたりは静まりかえっていた。
誰もがこちらを見て、言葉を失っている。
生徒が教師に殴りかかろうとしていた。
でも、間に入ろうとする人間はいない。
そんな度胸のある人間など‥‥いない。
「‥‥」
まるで自分を落ちつかせるみたいに、震えた呼吸を漏らすと、沖田は翡翠の瞳をついと土方へと向けた。
その瞳が怒りから軽蔑の色に変わるのを、土方は確かに見た。
どれほどに嫌われても‥‥軽蔑されたのは‥‥初めてだ。
「‥‥やっぱり‥‥あんたなんかに渡さなければ良かった。」
悔しげな一言に、それは同感だと男は内心で同意した。
きい、と扉を遠慮がちに開ける。
扉を開けた瞬間、ふわりと消毒液のにおいがした。
そしてすぐに、
「おや?」
と、奥から眼鏡を掛けた白衣の男が出てくる。
「山南先生。」
保健医の山南だ。
彼は柔和な笑みを浮かべると、珍しいと言いながら彼女の方へと近付いてきた。
「君が保健室に来るなんて‥‥珍しいですね。」
彼女は滅多な事が無ければ保健室を利用しない真面目な生徒だった。
擦り傷程度ならば洗って済ましてしまうし、多少具合が悪くても自力でなんとかしてしまうのだ。
あまりの高熱っぷりに無理矢理保健室に連行された事を除けば‥‥一人で、自主的にやってくるのは初めて、である。
「どうかしましたか?」
山南はどうぞと彼女を招き入れる。
扉を閉めると、室内はまるで外界と遮断されたかのように静かになった。
長椅子に腰を下ろすように促され、は従う。
「具合が悪いんじゃないんですけど‥‥」
「おや、それは堂々とサボり宣言ですか?」
これまた珍しい、と山南は苦笑した。
サボリなら追い出されるか‥‥と思いきや、彼はそう素直に白状した彼女の顔を見て、ついと神経質そうに目を細めて
みせる。
しばらくまじまじと見つめたかと思うと、
「仕方ありませんね。
今日だけですよ?」
と人差し指を口元にあて、内緒ですよと笑ってくれる。
「ありがとうございます。」
「いえ‥‥あまり感謝されるような事ではありませんからね‥‥
ところで、どうしますか?」
横になりますか?それとも‥‥
と訊ねられ、はここでいいと首を振った。
横になると本格的に眠ってしまいそうだったから。
この一時間だけでいい。
時計の針は‥‥授業が始まって、既に5分が経過していると彼女に教えた。
初めて、彼の授業をサボった。
だって‥‥ひどく‥‥
眠たいんだ。
目を閉じたけれど、睡魔はやってこなかった。
「欠席は‥‥雪村一人だな。」
ぽつんと空いている席を見て、土方は呟く。
保健室に行ったらしいと誰かが教えてくれる。
またそれに誰かがさっきまで元気だったのにとも教えてくれた。
因みに沖田は机に突っ伏している。
どちらかというと彼の方が授業をサボるかと思っていたが‥‥そうじゃなかったらしい。
とはいえ、授業を聞く気は皆無、のようだが。
「‥‥」
男はもう一度視線を巡らせた。
それから、手元に戻すと、
「‥‥じゃあ、授業を始めるぞ。」
いつものように授業を進める。
ひとつ、色が消えただけで、
――なんだか世界が味気ない気がする――

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