「一橋理事長が辞任したぁあああ!?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で戻ってきた彼から伝えられた事実に、は声を上げた。
「ど、どういう事なんですか!?それ!」
「‥‥俺もさっぱりだ‥‥」
理事長室には彼女の姿はなく、代わりに‥‥前までいたあの松平という理事長が座っていたのだ。
そして笑顔で、
「一橋理事長は本日付けで辞任され、代わりに私が理事長職に就きましたが、君が辞める理由は私が理事長に就任したせ
いでしょうか?」
と言われた。
そんなことはないと首を振っていると、その退職願をこれまた笑顔で破り捨てられた。
彼女が突然辞めた理由は分からない。
ただ、
「総司が絡んでいるって事は確からしい。」
去り際、松平理事長はこういった。
「沖田君に感謝を‥‥」
「うん?僕はただ、ありのままの事実を突きつけただけだよ?」
一年生の教室に千鶴と一緒にいるところを強引に連れ出され、土方の仕事部屋‥‥もとい、資料室へと千鶴ともども連行
された。
ソファに腰を下ろした沖田を、土方とが凝視した。
千鶴はなんのことかとおろおろするばかりである。
「だから、ありのままの事実ってなんだよ!」
なんだってそんなもので一橋が辞めることになったのかさっぱりわからない。
分かるように説明しろと言うと、沖田はしれっとした顔で告げる。
「まずはあの人がを雪の中に置き去りにして、肺炎寸前の状態にさせたって事を言った。」
雪の中?
一瞬3人が揃って首を捻る。
「って‥‥もしかして‥‥」
はクリスマスの?と訊ねると土方が苦い顔をした。
それもそのはず、元々の原因は彼にあるわけだし、おまけに、一橋と同様、を置き去りにした事にもなる。
「まあ、確かにそこをついて、土方先生を辞任に追い込む事も出来るんだけど‥‥」
「てめ‥‥」
「証言者は一橋理事長しか見てないって言うし。」
「‥‥証言者‥‥って、あ!」
は大きな声を上げて、
「山南先生!」
雪の中で倒れている彼女を発見してくれたのは彼だ。
そ。と沖田は頷き、
「山南さんが見たのは雪の中で倒れると、それを放って遠ざかる理事長だった‥‥って事を包み隠さず報告した。
下手をすればは死んでいたかもしれない状態だったからね。」
と答える。
なるほど‥‥確かに、そこを突かれれば一橋もただではおきない。
でも、
「‥‥証拠があったわけじゃないだろ?」
「うん。そんなの知らない‥‥って言われたらおしまい。」
沖田はこくっと頷く。
あくまでそれは目撃者の証言だけで、絶対的な証拠にはならない、と彼は言った。
でもね、と彼は続ける。
「絶対的な証拠が一つ、あるんだよ。」
「‥‥それ‥‥なに?」
一同が真剣な眼差しで見守る中、沖田はたっぷりと間をおき、皆を焦らしに焦らしてから、にや、と悪魔の微笑みを浮か
べた。
「一橋理事長は‥‥生徒に手をあげた。」
「‥‥‥は?」
生徒に、手?
一体なんの事かと首を傾げていると、思い当たったらしく珍しく千鶴が声を上げた。
「まさかそれって‥‥」
「よく分かりました。」
「ちょっと、総司、分かんないってば。」
「いいから詳しく説明しろよ。」
と土方にせっつかれ、仕方ないなぁと彼は肩を竦めて種明かしを始める。
「‥‥土方さんが事故にあった時、あの人に殴られたでしょ?」
「‥‥あ‥‥ああ、うん。」
そういえば、と言う彼女に土方は思いきり顔を顰めてみせる。
その時は病室へと移動をしている‥‥とはいっても意識はなかったのだから知るよしもないのだが‥‥大事な彼女が手を
あげられた、などと聞いて平然としていられる男ではない。
とりあえず、ぎり、と奥歯を噛みしめ、沖田を睨み付けた。
その目は何故庇わなかったんだと言いたげだ。
「僕が庇ったら、あの人へのダメージが小さくなっちゃうでしょ?」
「‥‥ダメージって‥‥なんなのさ。」
言ってる意味が全く分からない。
「ちゃんと話してあげるから、聞いて。
あと、土方さん、僕を睨まない。」
「っ‥‥」
沖田はひょいと肩を竦めて、最初から説明を始める。
「はあの時、一橋理事長に殴られた。
それを僕はちゃんと看護士さんに手当てして貰いなって助言した。」
「‥‥ちゃんと手当てして貰った。」
優しい看護士さんだったよと思い出して言うと、そうだったねと沖田は頷いた。
「で、僕その時に看護士さんに言ったんだよ。」
「なんて?」
「その怪我、教師に殴られた‥‥って。」
「‥‥うん。」
「普通、生徒が教師に殴られた‥‥なんて言ったら、放っておけないよね?」
まあ、な、とそれぞれが納得したように頷く。
「看護士さんはその旨を医師に伝えて、カルテにもしっかりと書かれてるはず。
怪我の処置の時に写真‥‥取られたよね?」
「デジカメでこうパシャっと‥‥」
なんでだろうと思ったけど、あの時は正直それどころじゃなかった。
だから、スルーしていたんだけど‥‥
「まさか。」
ここで土方が気付いた。
そして苦い顔をして、
「おまえ、えげつない事するな。」
と呟く。
はさっぱり分からず「え?え?」と土方を振り返って、なんで分かったのかという顔になった。
本当にどうしようもなく自分の事になると疎い女である。
「つまり‥‥だ。
こいつはおまえを殴ったという証拠を、公的な言い逃れのできねえ完全な状態でつきつけたって事だよ。」
「‥‥そういうこと。」
こくっと頷いた沖田に、は一瞬、間の抜けた顔になり‥‥
「えぇええええ!?」
次の瞬間、驚いたような声を上げた。
「まあ、雪の中置き去りは言葉でしか証明できないけど、そっちは証拠が文書と写真で残ってるでしょ?
おまけに、あの場には僕以外の目撃者もいるし、病院のあちこちには監視カメラもある。」
「‥‥そ、それで沖田さん、あの時私を止めたんですか?」
千鶴の言葉に沖田はその通りと頷いた。
「だってあれで君が殴ってたらこっちの立場が危なかった。」
これで納得である。
近藤と千鶴の次に大事なに手を挙げた相手を、どうして放っておいたのか‥‥
全てこのために、ということか。
「それに、僕が殴られても男だからあんまり重たく見てくれないし。」
それになにより、と彼はまだ驚きから戻って来れないを見て、笑った。
「は一応‥‥優等生だし?」
本当はとんでもない問題児でも、教師の目からは成績優秀・品行方正‥‥という良くできた生徒としてインプットされて
いる。
そんな生徒がまさか理事長を怒らせるなどと思わないだろう。
外見の派手さや、職務の不真面目さから、恐らく‥‥一橋の方が不利になる。
加えて言うと、元々男子校であった薄桜学園は女子生徒にとんでもなく甘い所がある。
まあなんせ、二人だけの女子だ。
大切にもしたくなる。
「これらを突きつければ、あの人も何らかの責任を取らざるを得ない。」
今のご時世、マスコミやら保護者が煩いからねと他人事のように彼は言った。
「こと、病院の資料に関しては提出するには警察が介入することになるでしょ?
そうしたら、薄桜学園のイメージが悪くなる。」
「‥‥」
「ってことで、運営側は考えた結果、一番楽に事を片付ける方法を取った。」
「つまり‥‥」
焦ったように先を促す土方ににやっと笑いかけ、と自分の手を自分の首に当てた。
「問題を起こした理事長の首を切って、すげ替えること。」
すぱん、と自分の手を刃物がわりに首をちょん切る仕草をしてみせる。
「幸い、代わりはすぐに見つかるしね。」
「つまり‥‥前の?」
「そ、前の理事長。」
辞めたくて辞めたわけではないのだから、戻ってこいと言えば喜んで戻ってくる事だろう。
「ということで、一件落着。
めでたしめでたしー。」
ぱちぱちと手を叩いて茶化す彼に、はまだぽかんとした面持ちで呟く。
「それじゃ‥‥土方さんは‥‥」
こぼれ落ちそうなくらい丸く見開かれた琥珀を受け、彼はなんて顔をしてるのさと笑った。
「うん、辞める必要はないよ。
あ、別に辞めて貰っても構わないけど?」
「‥‥てめぇはいつも一言多いんだよっ」
それでも強く言えないのは、彼のおかげで助かったからだ。
彼も‥‥それから、も‥‥
「‥‥‥」
徐々に、頭の中で言葉が整理されていく。
一つ一つ、
ゆっくりと、
まるで噛みしめるみたいに、
整理されていって‥‥
「二人は、このまま一緒にいていいって事。」
このまま、一緒に‥‥
いてもいい‥‥ということ。
ぱちり、とピースが嵌り、漸く、の中で完成した。
その瞬間、
「っ〜〜〜!!」
はぐしゃっと顔を歪めて泣きそうな顔になり、
「ありがとうーっ!!」
がばっと悪友に飛びつく彼女に、沖田は役得と嬉しそうに彼女を抱きしめ返し、
「そ、総司!どさくさに紛れて抱きしてんじゃねえよっ!!」
「おおお、沖田先輩っ!」
土方と千鶴が慌てふためくのを、は涙を堪えながらどこか遠くで聞いていた。

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