カツン、と階段を恐る恐る降りてくる音に気付いて山南は顔を上げる。
顔を上げて、眼鏡の奥が驚きに見開かれるのを見て、千姫はやったとガッツポーズを作って見せた。
「これは‥‥」
「どう?大変身でしょ?」
目の前にやってきたの姿に、ええ、と山南は驚きを隠しもせずに頷く。
「まさか、ここまでとは‥‥」
ドレスアップし、髪も綺麗に纏めてもらって化粧をした彼女は、このままモデルショーに出しても恥ずかしくないという
ほどのできばえであった。
とりあえず誉め言葉が出てこない。
ええと‥‥と山南は言葉を探したが、下手に何かを言うのを止め、苦笑になり、
「とってもよく似合っていますよ。」
無難な言葉を口にしておいた。
はありがとうございますと照れたように笑った。
「欲を言うと、胸元に何か着けたいんだけどな。」
大変身をさせて満足気味の千姫は、そこだけが心残りだと呟く。
確かに大きく胸元が空いているのにそこに何も着けていない‥‥というのはちょっと寂しかった。
が、
「そこは駄目です。」
何故か山南はそう言って千姫を窘める。
分かってますよと彼女は肩を竦めた。
「このお礼はいつか必ずさせてもらいますね。」
「いえ、こっちこそ楽しかったです。」
山南は千姫と君菊に頭を下げ、さあ、と彼女を促して歩き出す。
「さて急ぎましょう。」
「急ぐってどこへ?」
細いヒールに悪戦苦闘しながらは彼の隣を歩いた。
山南は悪戯っぽく笑うと、
「今日のメインイベント‥‥です。」
人差し指をそっと口に当てるのだ。
さて、どこへ連れていかれるのやら――
メインイベントの会場は‥‥一流ホテルの上層階。
本日の締めはそこが舞台のようだ。
「‥‥わ‥‥」
すごい、とは広間に入るなり感嘆の声を上げる。
広いホール内にはドレスアップした男女で溢れかえっていた。
そしてそのホールのあちこちにドレスが展示されている。
見るからに柔らかそうな色とりどりの生地で作られたドレスやら、生花で出来たドレス。
また目が眩んでしまいそうなキラキラと光を跳ね返す宝石を着けたドレスやらが展示されているがどれもなんとなく見覚
えがあった。
それもそのはず、今自分が身につけているドレスもその展示品の一つだ。
ただ、色は違ってそちらはシャンパンゴールド。
その胸元にはきらりと輝く大きなダイヤで飾られている。
そういえば‥‥とあたりを見回すと、居並ぶ女性達の着ているドレスは皆、ここのブランドのもののようだ。
展示会‥‥とかそういうものだろうか?
「‥‥山南先生‥‥ここは‥‥?」
とは声を掛け、その時になって横に彼がいない事に気付いた。
「あれ?」
振り返るが男の姿はどこにもいない。
どうやらはぐれてしまったようだ。
「‥‥うっそ‥‥」
マジ?
とは一人呟く。
こんな所で一人置いてけぼり‥‥なんて、御免だ。
「すいません。」
は人混みをかき分けて、今来た道を戻ろうとした。
しかし、
「わっ!?」
入ってこようとする人の勢いに押し戻され、はホールの中央まで流されてしまう。
「ちょ‥‥ちょっと通して‥‥」
高価なドレスを着ているので、無理矢理人混みをかき分けるわけにもいかない。
もし万が一破ってしまったら弁償出来る自信はなかった。
しかしどういう事だろう。
すれ違う人、全てが何故か自分を見ている。
わざわざ振り返る人や、自分を指さして何やらこそこそと内緒話をする人までいる。
なにかおかしいところがあっただろうか?
慣れないドレスなんか着ているからきっと変なんだろう。
もう早く脱ぎ去ってしまいたい。
というか、早くこんな所から出てしまいたい。
「君。」
どうにか人を避けつつ出口へと向かっていると、声を掛けられた。
見たことのない男だ。
顔は‥‥まあそこそこ。
年齢は三十手前、といった所だろうか。
お洒落なスーツにはちょっと、着られているという印象を受ける。
「‥‥君、一人?
良かったら僕と一緒に飲まない?」
シャンパンを差し出され、は困った。
一人ではない。
それに、一応、未成年だ。
「‥‥その‥‥人を探していて‥‥」
は一人ではない、と言って頭を下げるが、どんと人に押されてはよろめいた。
それを男が手を出して支えてくれ、
「大丈夫?
こっちに‥‥」
と自分の方へと引き寄せられる。
「ごめんなさい、私人を‥‥」
急いでいると言うけれど、さりげなく腰に回された手が思ったよりも強くて抜けられない。
ふわりとアルコールの香りが自分を包み込む所を見るとかなり密着されていた。
「あの‥‥離してください。」
困りますと一応丁寧に言う。
男はいいじゃないとにこにこ笑っている。
穏やかな印象を受けるが、かなり強引だ。
「君、可愛いね。」
気がつくと、壁際まで移動している。
しかも、壁と男の間に挟まれて身動きが取れなくなっていた。
「なんていう名前?」
訊ねるならば自分から名乗れ、とは内心で呟いた。
代わりに、にこやかに笑って、
「退いてください。
人を呼びますよ。」
と警告してやる。
男は笑っていた。
「君、気が強いんだね。
僕はそういう女性が好みだな。」
「‥‥趣味が悪いですね。」
「そうかなぁ‥‥」
男は言いながらそっとこぼれ落ちる飴色の髪を撫でる。
初対面の女の、しかも髪に触れるとはどういうことか。
不躾にも程がある。
もうこの際騒ぎになってでもいいから、この男を蹴り飛ばして会場を出てやる――
は決心し、軽く足を後ろに振って反動を利用して蹴り飛ばす、
そうしようとした瞬間だった。
「っ!?」
唐突に、伸びてきた手が男の頭をがしりと掴んで、
「あいたたたたたっ!?」
無理矢理後ろ引っ張られる。
まるで頭をべきんっと後ろに折ってしまいそうな力に、男はどさっとその場に無様に尻餅を着いた。
目の前から男の姿がなくなる、
瞬間、
そこに立っていた人の姿が飛び込んできて、
「誰に手ぇ出してんだよ。」
きちんとした正装に、とても不似合いな凶悪な表情を貼り付けた人は、へたり込んだ男を睨み付けて顎で外を指した。
「てめぇじゃ役不足だ――」
失せろと傲慢に言ってのけるその人は、
「ひじかた‥‥さん‥‥?」
予想外の人物。

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