「お待たせしました!」

  どうにかこうにか、顔を洗って着替えをして、バタバタと降りてきた。
  必要最低限の身だしなみだけ整えてやってきた彼女の姿に、山南はおやおやとのんびりした声で言う。

  「女の子なんですからもっと時間が掛かるかと思っていましたが‥‥」
  まさか十分で出てくるとは思わなかった。
  普通三十分くらいは掛かるものなのではないだろうか‥‥
  とはいえ、降りてきた彼女は化粧の一つもしていない。
  今時珍しい、とは思うけれど、なるほど、元がいいのだからその必要はない。

  「どうぞ。」

  と優雅な所作で助手席のドアを開けてくれる。

  失礼しますと言って乗り込めば、ほんの微かに消毒液の香りがした。

  「‥‥それで、どこへ行くんですか?」

  彼も運転席に乗り込み、ベルトを締めると緩やかに発車する。
  山南は、かなりの安全運転だった。

  「まあ、着けば分かりますよ。」

  にこにことこちらを見もせずに答える彼の言葉に、一抹の不安を感じると言ったら‥‥どんな顔をするだろう?



  やってきたのはならまず確実に入らないだろうブランドの店。
  大通りに面したそのお洒落な作りの建物の入り口、両脇にはスーツの男が立っている。
  なんとなく入りにくいのが庶民の意見だろう。

  「‥‥先生、こんな所に一体何の用なんですか?」

  「実はちょっと‥‥ああ、やっぱりここにいましたね。」

  店内に入ると、彼は見知った人を見つけたらしく軽く手を挙げた。
  それに気付いてやってくるのは‥‥年頃は達と同じくらいか、それよりも一つか二つ上くらいの女性だ。
  くりくりと大きな目をした、愛らしい印象である。

  「ご無沙汰してます、千姫さん。」
  「こちらこそ、お久しぶりです、山南さん。」

  千姫、と呼ばれた彼女はにこりと笑った。

  それから、すぐに隣に立つに気付くと、
  「あれ、まさか山南さんの彼女?」
  興味津々といった風に聞いてきた。
  「残念ながら違います。」
  の代わりに山南がにこやかに否定する。
  「私の‥‥友人の‥‥なんですよ。」
  「なるほど。」
  「それで、あなたに頼みたいのですが‥‥」
  彼はぽん、との肩を叩くと、

  「彼女を変身させてあげてください。」

  「‥‥はぁっ!?」

  彼の言葉に頭の中で、何故か昔見た子供向けアニメの変身シーンが流れて‥‥消えた。



  その店の二階にはVIPルームがある。
  その空間には何故か、フィッティングルームのみならずジャグジーやらベッドやらまで完備されていた。
  まさしく、美のトータルコーディネートがこの部屋で出来る‥‥と言った感じである。

  「‥‥わお、別世界。」

  勿論こんな馬鹿高いブランドの店に入ったのも、VIPルームとやらに入ったのも初めての、一般庶民である。
  思わず目が点になり、次の瞬間、そんな言葉が漏れた。
  前を歩いていた千姫が振り返りくすくすと笑っている。

  「そんな畏まらなくていいわよ。
  あなた今日はお客様なんだから。」
  「‥‥はあ‥‥」
  「それじゃまず、そこに立って?」

  千姫はちょいちょいと手招きするとを柔らかそうな絨毯の上に立たせた。

  そうして上から下までじーっと品定めでもするかのように見ると、
  「うん、決めた。」
  と一人頷く。
  彼女の中では成立しているがにはちんぷんかんぷんである。
  「それじゃ、洋服脱いで。」
  「‥‥は?」
  これまた突飛な注文には訝る。
  その間に千姫は自分の部下らしい人を呼びつけて、あれこれと指示を出していた。
  「ってことで、菊、頼むわね。」
  「分かりました。」
  君菊、と言うのが彼女の名前らしい。
  どう見ても千姫よりもずっと年上っぽい‥‥やけに色っぽい女性だった。
  彼女はを見ると、にこ、と男なら完全悩殺ものの極上の笑みを向ける。

  「ほら、早く脱いで。」
  「いや、早くと言われても‥‥」
  千姫はこちらの都合などお構いなしに、脱がないのならば脱がせるだけと豪快に人の服を引っ剥がし始めた。
  女同士なので恥ずかしがる事はないが‥‥ちょっと対応には困る。

  「時間がないのよ。
  こっちはあなたを2時間で変身させないといけないんだから。」

  ほら早く、と言う彼女にはやっぱりワケが分からないと思いながらとりあえず、従っておくことにした。


  まさか一流ブランド店にやってきて、最初に風呂に入れられるとは思わなかった。
  しかも、上がったらマッサージ付きという豪華っぷりである。
  アロマオイルの良い香りに癒されてうとうとしていると、これを着てと下着と何故か、
  「ドレス‥‥?」
  を渡された。
  淡い光沢のあるパールピンクのショートドレスだ。
  滑らかな感触はシルクだろうか‥‥値段は怖くて聞けない。

  「なんで、ドレス?」

  「うん、まあいいから、着て。」

  質問は受け付けないらしい。

  は分かりましたと首を傾げたまま、下着へと手を伸ばして‥‥

  「これってガーターベルトですよね?」

  真っ黒という所からもうツッコミ所満載である。
  しかも、生まれてこのかた着けたことがないようなシロモノまで用意されているのだ。

  「そうよ。付け方分かる?」
  「‥‥わけがない。」
  「そうよね。
  それを先に穿くの。」

  いや、付け方云々が言いたいのではなく‥‥
  もういい、突っ込むのはもう止めよう。

  は言われるまま、下着を身につける。

  「大きいわね。」

  千姫がしみじみと呟く。
  元々胸が大きい事もあるが、左右、おまけに下から押し上げて紐を調整すれば、見事な谷間が出来上がる。
  シルエットもなんとも綺麗な所を見ると、若干補正する力もある下着なのだろう。
  なんとか初体験のガーターベルトも装着し、黒のストッキングを身につける。
  蝶のポイントとラインストーンがさりげなく足首を飾っている。
  そして次はドレスだ。
  さらりと柔らかな素材は素肌の上を滑っていった。
  膝よりもだいぶ短い丈のそれは、背中と、胸元が大きく空いている。
  しかも吊っているのは細いストラップで心許ない。
  というか、冬場にこれは寒い。

  と思っていると、

  「はい上着はこれね。」

  ふわりと暖かそうな毛皮の上着を渡された。

  「でも、そのまえにまずは髪。」
  菊、と呼べば彼女が待ってましたとばかりにやってくる。
  そうしての手を取ると、こっちへと大きな鏡の前に座らせた。
  ケープをつけると、即座に長い髪を纏めに掛かる。
  同時進行で千姫がメイクだ。

  もう突っ込まない。
  はなるようになれ、と目を瞑って、とにかく彼女らが仕事を終えるのを待った。