入院病棟の、三階。
  そこの奥の個室に土方は移らされた。
  腹部の傷が相当ひどかったようで、モルヒネを投与されていた。
  意識は、まだ、はっきりとしないらしい。

  「‥‥」

  す、と引き戸を開け、は部屋に誰もいない事を確認する。
  人がいないのを確かめると、するりと滑り込むように中に入って‥‥音を立てないように戸を、閉めた。

  個室に設置されたトイレや洗面台と、ベッドを仕切るようにカーテンが閉められている。

  ベッドの傍らには見舞客が置いていったらしい、花束やら果物やらが並んでいた。

  ベッドに横になる彼は‥‥瞳を、閉ざしたまま。

  「土方さん?」

  声を掛けてみた。
  ぴくりとも反応がない。

  よかったとは溜息を漏らした。

  今は起きていられると困る。
  その人の顔を見てしまうと‥‥決心が鈍りそうだったから。

  「この間は勝手な事を言って困らせてごめんなさい。」

  聞こえていない相手に彼女は言った。

  「私‥‥今日はお礼を言いに来たんです。」

  彼に、ありがとうを言いに来た。

  「この間は助けてくれて、ありがとうございました。」

  庇ってくれたお陰で、自分は無傷だ。

  「それから、色々話聞いてくれてありがとうございました。」

  今まで色んな話をした。
  くだらない事もあった、大切な事も話した。
  彼はいつだっての話をきちんと最後まで聞いてくれた。
  聞いて、答えをいつだって見つけてくれた。

  「それから‥‥私のこと、好きになってくれて‥‥ありがとうございました。」

  こんな暖かくて幸せな感情がこの世にはあるのだと‥‥教えてくれた。
  人を愛すことの喜びも、愛されることの喜びも、全部彼が教えてくれた。
  暖かくて、優しくて、
  だけど時々切なくて、苦しくて、
  愛しい感情。
  彼がいなければ、こんなに満たされることはなかっただろう。

  それからそれからとはあれこれ思いだそうとしたけれど、止めた。
  彼に感謝の気持ちを伝えるのは‥‥どこまで言っても止まらなさそうだったから。

  「本当に‥‥いっぱい‥‥いっぱい‥‥ありがとうございました。」

  彼女はぺこりと頭を下げた。

  「ありがとうございました‥‥今まで、ほんとうに。」

  幸せだった。
  とっても幸せだった。
  彼の傍はとても優しくて‥‥幸せだった。
  これからもずっと傍にいたかった。

  だけど、

  「私、あなたの傍にいると‥‥迷惑ばかり、掛けてしまいそうだから‥‥」

  大切な人なのに、
  傷つけて、
  苦しめて、
  駄目にしてしまいそうだから。

  言葉が震えた。
  駄目だ。
  こんな所で震えては。

  は唇を痛いくらいに噛みしめて、腹に力を入れると、努めて明るい声でこう言った。

  「私‥‥もう、あなたのこと‥‥諦めます。」

  泣き笑いみたいな笑顔を向けたら、きっと、千鶴は怒っただろう。
  無理をして笑わないでと。


  でも、最後ぐらいは笑っていたかった――



  「臆病者。」

  ふわりと甘い香りが残っていた。
  彼女が残した香りだった。

  しゃっと沖田はカーテンを開けると、瞳を閉じたままの男を睨め付け、もう一度言った。

  「臆病者。」

  あんな事を言われても、
  あんな苦しい言葉を苦しそうに言わせても、
  何も言わない、
  何も出来ないこの男は本当に臆病者だ。

  これが怪我人じゃなければ本気で殴ってやりたい。

  「臆病者。」