それから数分も経たない内に、救急車がやってきて、彼は救急医療センターに運び込まれた。
  車と接触した際、エンブレムが折れ、それが運悪く腹部を貫いたらしい。
  おまけに右足には罅が入っており、到着するや否や手術室に運び込まれた。

  それから‥‥一時間が経つが‥‥まだ、固く閉ざされたドアが開く気配はない。

  「‥‥」

  はじっと手術中と点灯しているライトをじっと見ている。
  その横顔は‥‥決して良くない。

  「大丈夫ですよ、さん。」

  そっと握りしめていた拳を千鶴が取った。

  「土方さんは強い人ですから。」

  これくらいじゃ死んだりしませんと、彼女は励ましてくれる。

  「そうそう。
  あの人悪運だけは強いと思うよ。」

  その横で沖田が茶化した。

  「‥‥そう‥‥だよね。」

  は静かに呟いた。

  「こんなことで‥‥死んだりしないよね。」

  まるで、自分に言い聞かすみたいには言って‥‥微かに笑った。

  その瞬間、まるで応えるようにふっと手術中のランプが消える。

  そうしてがたんと中から手術着を着た年輩の医者が出てきて、

  「あのっ」

  先に立ったのはだ。
  医師に駆け寄ると、慌てて口を開く。

  「せ、先生の容態は‥‥?」

  不安げに恐る恐るという風に訊ねる彼女の傍に、千鶴と沖田も集まる。
  そして少し離れて‥‥一橋が。

  「‥‥」
  医者はじっとこちらを見つめてくる琥珀の瞳を見つめた。
  やがて、眼鏡の奥をそうっと細めると、

  「もう大丈夫。
  先生は強い人だったよ。」

  そういって、ぽんと、安心させるようにの肩を叩いた。

  もう、大丈夫――

  その瞬間、まるでかくんと力が抜けたかのように膝に力が入らなくなり、

  「おっと‥‥」

  後ろに立っていた沖田がを支えてくれる。

  「さん、大丈夫ですか!?」

  すぐに千鶴は彼女の顔を覗き込む。
  は目をまん丸くして、

  「‥‥あ、安心して‥‥ちから、抜けた‥‥」

  はは、と乾いた笑いを漏らした。

  そうしてすぐにストレッチャーが手術室から出てきた。

  膝に力の入らないをよいしょと持ち上げて、つかつかと近付いていくと、看護士らが立ち止まってくれる。

  まだ意識は戻っていないだろう。

  青白い顔を見ると胸が痛むが‥‥それでも‥‥生きてくれている事がすごく嬉しかった。

  「よかった‥‥」

  溜息が出た。

  「ほんとに、よかった。」

  次に出た声が、震えて、変だった。

  唇を噛みしめて、こみ上げそうになる嗚咽を噛み殺した。


  泣き出しそうな声だった。
  なんだか今にも泣き出しそうで‥‥頼りない声。

  暗闇の中で確かに聞こえたのはその人の声。

  どれだけ耳が耄碌しても、聞き間違える事のない‥‥声。

  凛と高く澄んだ、
  でも、
  どこか甘さを含んだ、声。

  いつもかわいげのない事を、
  時々心臓に悪いくらい嬉しいことを言う、
  彼女の声。

  その声が‥‥今にも泣き出しそうに震えていた。

  彼女は‥‥一度だって、涙を見せたことがない。

  甘えてもいいと言っても。
  弱くてもいいと言っても。

  絶対に、
  彼女は、
  泣かない。

  そんな彼女が、今にも泣き出しそうな声を漏らしている。

  何か悲しいことがあったんだろうか?
  苦しいことがあったんだろうか?

  ああそうか、
  苦しめたのも、
  悲しませたのも、
  自分だったか。

  今更、
  今更こんな事を言うのはおかしいのかもしれない。

  でも、

  「――くな‥‥」

  でも、

  「な‥‥くな‥‥」

  泣かないで――


  「‥‥」

  すぅ、と規則正しい寝息が再び漏れる。
  その唇からもう音が紡がれることはなかった。

  「‥‥」

  はじっと彼を目をまん丸くして見つめていた。

  どうして‥‥そんなことを彼は口走ったのだろう。

  どうして、

  『泣くな』

  なんて。

  もしかして、聞こえたのだろうか。
  自分の声が‥‥
  深く沈む彼に。
  泣き出してしまいそうな弱い声が。

  聞こえたから‥‥そんなことを言ったのだろうか?

  「‥‥っ」

  はくしゃと顔を歪めた。
  馬鹿と罵ってやりたい気分だった。
  そうじゃなければ‥‥彼に縋って‥‥泣きたい気分だった。

  「‥‥泣かしてるの誰だよって話だよね。」

  沖田にも聞こえたのだろう。
  苦笑でそんな事を呟いたから。

  「お願いします。」

  そうして少し離れてぺこっと頭を下げると、看護士は足早に病室へと向かっていった。
  その後ろ姿を見送りながら、はもう一度、安堵の溜息を漏らすのだった。

  穏やかな空気はそこまでだった――