「――なにやってるの!?」


  きん、と澄んだ冬の空気を裂いて金切り声が飛んできた。
  耳を覆いたくなるほど、喧しい音だ。

  「‥‥また‥‥」

  邪魔しにきたと沖田が顔を顰めた。
  その視線の先に、彼女の姿がある。

  一体どこから見えていて、どこからやってきたんだろう。

  「理事長‥‥」
  「ほんっと、良いところで邪魔する人だよね。」

  一橋は息一つ乱すことなくカツカツとブーツで雪を踏みしだきながら遠慮なく近付いてきた。
  そうして、と土方の間に強引に入る。

  「‥‥またあなたなの?」

  やれやれといった風に彼女はを見て笑った。

  「本当に懲りない子ね。
  はっきりとふられたっていうのにまだ付きまとうなんて‥‥」
  いい加減にしないと訴えるわよ、と言われたが、は正直彼女と会話する気にはなれない。
  視線をすぐに土方に戻すと、
  「土方さん、答えてください。」
  さっきの‥‥と再び答えを求めた。
  求められ、土方が僅かに表情を歪める。
  それは煩わしそうにも‥‥そして迷っているようにも見えた。

  「‥‥土方さん。」
  「だから言ってるでしょう?」

  代わりに一橋が答える。

  栗色の瞳を、意地悪く細めて、

  「あなたはいらないの‥‥」

  そう告げる。

  は怯まなかった。

  「それはあなたが言ってるだけでしょう?」
  「‥‥なんですって?」
  「私が聞きたいのはあなたの言葉じゃないんです。」

  一橋がどう思っていようが‥‥どうでもいい。
  問題は、土方だ。
  彼が、どう思っているか。

  「土方さん、教えて?」
  「‥‥」

  ふい、と真っ直ぐな瞳から逃げるように男は視線を逸らす。
  は追いかけた。

  「あなたの本心を教えて。」

  もし、それが本心ならば‥‥悲しいけれど認めるしかない。
 諦められるかどうかは分からないけれど、彼が本当に自分を想っていないのならば仕方ない。

  「私、傷ついてもいいです。」

  だから、本当のことを‥‥

  「‥‥俺は‥‥」

  本当のことを‥‥

  ばちりと絡んだ二人の視線が、この時漸く繋がった。
  見えない何かで繋がり‥‥二人だけの何かが通じた気がした。

  何者にも邪魔する事は出来ない‥‥特別な何か。
  確かに二人の間に存在する絆のようなもの‥‥それが、誰の目から見ても‥‥形となって見えた。

  やっぱり彼らは――

  瞬間、
  ひゅ、と何かが唸る音が聞こえた。

  それは誰かが息を吸い込んだ音。

  そうして、

  「しつこいって言ってるでしょうっ!!」

  わめき声と共に、どんっと、は思いきり突き飛ばされていた。

  「!?」

  これが‥‥常の状態ならば踏ん張ることが出来たかも知れない。
  でも、彼女は碌に食べ物を食べていない状態で‥‥
  熱だって‥‥あって、

  どしゃ――

  無様に雪の上に倒れ込む。

  、と誰かが呼んだ。

  それから二つの足音。

  倒れ込んだ瞬間に脳みそをシェイクしてしまったらしい。
  一瞬、意識が朦朧とした。
  視界もそれに倣って歪んで、
  がんがんと耳鳴りがした。

  耳鳴りの向こうで、

  ――クラクション――

  「え‥‥?」

  身体を少しだけ起こした状態のまま、振り返る。
  反対車線を走ってくる車が見えた。

  あれは、
  幻覚?

  ――キィイイイ!!

  嫌な音が聞こえた。

  掠れる視界に運転席の男が真っ青な顔をしているのが見えた。

  あ、前輪がロックしてる。
  あれ‥‥止まれないんだ。

  このままだと、

  「さん!!」

  轢かれる?


  「っ――!!」


  世界を終わらせる音は、派手な衝突音ではなかった。
  よく知った、その人が自分を呼ぶ、音。
  泣きたくなるくらい愛しい人が、自分を呼ぶ音。

  そして‥‥

  「‥‥あれ‥‥?」

  気がつくと、自分は相も変わらず雪の上に転がっていた。
  痛いところはなかった。
  ただ、
  なんだか異様に重たい気がして‥‥

  「‥‥え?」

  瞳を開いて、驚いた。
  自分を見下ろす‥‥紫紺の瞳がすぐそばにあったから。

  「ひじかた‥‥さん‥‥」

  彼はなんだか懐かしいと思うほど優しい瞳で、自分を見ている。
  自分をしっかりと、見つめていた。

  「どこも‥‥怪我は‥‥ねえな?」

  訊ねる声が、いつもより、重たい。
  あれ?
  なんだろう。
  雪の上は冷たいはずなのに‥‥暖かな何かが身体にまとわりついて‥‥

  「っ!?」

  触れるとそれは真っ赤な色をしていた。
  真っ赤な水。
  いや、水じゃなくて‥‥

  「なに‥‥これ‥‥」

  滑る、錆の匂いがするのは‥‥血。
  大量の、血。

  そしてそれは、

  「ひ、土方さん!!」

  彼の腹部から流れ出していた。
  流れ出す血は雪と‥‥そして彼女を真っ赤に塗らしている。
  そこで漸く気づいた。
  彼が‥‥自分を庇ってくれたのだと‥‥

  「だ、誰かっ、救急車!!」

  は青ざめた顔で彼の傷口を押さえ、声を上げる。
  傍らで一橋は顔を真っ青にし、凍り付いたかのように固まっていた。
  「早く救急車を呼んでくださいっ!」
  誰もいいから早く。
  彼を、彼を助けて‥‥

  「無事で‥‥良かった。」

  腕の中で土方は小さく呟いた。

  今までいっぱい傷つけた分‥‥
  最後に守ることが出来て、

  「よかった‥‥」

  「‥‥土方さんっ!!」

  意識が、そこでブツリと途切れた。