紫紺の瞳を真っ直ぐ見るのは久しぶり。
  琥珀の瞳を真っ直ぐ見るのは久しぶり。

  なんだかひどく懐かしい‥‥といったらおかしいだろうか?

  その瞳は今まで見た事がない色をしていたというのに。


  「こんな所にいやがった。」
  このサボり魔め、と言われ、は視線を逸らした。
  「ちょっと現実逃避の旅に出てました。」
  すいませんね、と悪びれた様子もなく彼女はひょいと肩を竦める。
  相変わらず可愛げのない生徒だと土方は内心で呟き、
  「井上先生が心配してたぞ。
  あんまり休みすぎるな。」
  「‥‥一応、聞いておきます。」
  「一応じゃなく、ちゃんとしろ。」
  「勉強はしてますよ。家で。」
  「内申に響くだろうが‥‥」
  おまえ、と彼は呆れたような顔になって言う。
  「大学に行くつもりなんだろ?」
  「‥‥まあ‥‥ね。」
  「だったら、内申も関係するんだからちゃんと授業に出ろ。」
  出て寝とけ、とアドバイスされ、それは教師としてどうなんだろうと千鶴は首を捻った。


  「キモチワル‥‥」

  ふと、沖田が背後で呟くのが聞こえた。

  なんですかと振り返ると、彼は二人の姿をじっと睨み付けるように見ながら、

  「あの二人、すっごい気持ち悪い。」

  なにあれ、と呟く。

  気持ち悪い?

  いや、普通に会話してるように見えるのだけど‥‥なにかおかしいのだろうか?

  「おかしいなんてもんじゃないでしょ?」
  と彼は言った。
  「あの二人、あんなに近くにいるのに全然別次元で会話しようとしてる。」

  言われてみれば‥‥なんだか違和感を覚えた。

  二人は確かに顔も見ているし、言葉も交わしている。
  でも、その言葉はどれも目の前にいる人に掛けているようには思えない。
  というか‥‥二人とも目の前にいる人を認識していないように見える。
  目の前にいるのに‥‥気付かないようにしているというか‥‥
  目の前にいるものを、まるで幻だとても思っているかのような‥‥

  「そのくせ、会話だけは成立させようっていうんだから‥‥」

  気持ち悪いと彼は言った。

  全然相手の事を認めてもいないくせに、人にはしっかりと会話が成り立っているように見せている。

  いい加減、その完璧なまでに取り繕う姿にはむかつきを通り越して、呆れたものだ。

  「ちょっとあんたたちさ‥‥」
  いい加減にしてよねと沖田が口を開く。

  それよりも前に、

  「土方先生――」

  千鶴でも、沖田でも、ましてやでもない別の声が割り込んできた。

  その声はどこか甘く、絡みつくような声で、

  「‥‥一橋さん。」

  振り返った土方が真っ先に彼女を呼んだ。

  一橋はにこ、と口元に笑みを浮かべたまま、こちらへと近付いてくる。
  土方を見て、それから、その前にいるを見て、
  つい、と更にそれが細められる。

  なんだろう‥‥

  その栗色の瞳を見て、千鶴は嫌な色だと思った。

  なんだか人を見下したような‥‥そんな瞳だと。

  「ごめんなさい。お話中だったかしら?」
  「いや‥‥ちょっと注意をしていただけだ。」
  「あら?注意?
  土方先生は怖い先生だから大丈夫かしら?」

  くすくすと茶化すように笑い、一橋はの前へとやってきた。

  ふわ、と香る噎せ返るような香水に彼女は一瞬目を眇めて、嫌そうな顔をした。

  一橋はそんな彼女ににこりと笑いかけ、

  「‥‥でも、先生はとっても情熱的な男性よね?」

  まるで、彼女に確かめるように告げる。

  情熱的な‥‥男性?

  はそっと瞳を細めた。

  今、彼女は何故、男性と言ったのだろう?
  しかも、情熱的な男性?

  それはどういう意味なのだろう?

  その言葉の真意に気付いたのは、ちら、と彼女が土方に送った‥‥熱っぽい眼差しで分かった。
  それと、
  逸らした男の‥‥首に残る、赤い‥‥

  ――――

  「っ」

  ぞわりと寒気が一気に背中を駆け上がる。
  髪までが逆立つような異様な感覚に、は拳を握りしめる事で堪えた。

  なんだろう、この感じ。

  ざわざわして気持ち悪くて。
  熱くて。
  苦しくて。


  「一橋さん‥‥そろそろ行かないと‥‥」
  会議に遅れるんじゃないのかと促され、彼女は「あら」と声を上げてくるりと踵を返した。
  「そうだったわね。
  職員室まで一緒に行きません?」
  「‥‥ああ‥‥」
  こくりと頷くと土方が先に歩き出した。
  その後ろから駆け寄ると、男の腕に我が腕を絡めた。

  「それから、まだ、名前で呼んでくれないの?」

  見せつけるかのように甘える女は、ちらりと、背後をもう一度だけ振り返る。

  その瞳はまるで‥‥勝ち誇ったような色を浮かべていた。



  「やっぱり‥‥なんか私、好きになれません。」
  「好きどころか、僕は今日で大嫌いに格上げだけどね。」
  なにあの下品な女。
  と沖田が呟く。
  「校内だってのに、ひっついて‥‥
  理事長だかなんだか分かんないけどあんなの‥‥」
  「‥‥さん?」

  気持ちが悪い。

  猛烈に嘔吐感がこみ上げてくる。

  気持ちが悪い。

  目の前がぐるぐる回って。

  頭が、痛くて。

  ‥‥なんだか‥‥なんだか‥‥

  吐きそう――

  「さんっ!!」
  「っ!!」

  気がついたときには、まるで逃げるようにその場から走り去っていた。

  逃げる必要なんて、ないのに――

  もう、終わったことなんだから。