屯所に戻ってきてからも、千鶴はぐすぐすと泣き通しだった。
  も無事だったと聞いて、余計に気が緩んだのだろう。
  まるで体中の水分を使ってしまうのではないかという程、千鶴は泣いた。

  「だから言ったでしょ?」
  茜色に染まる縁側で、沖田は呆れたような声で呟く。
  「‥‥はい。」
  その隣にはしゃっくりを上げる千鶴の姿がある。
  あれからずっと泣き続けていたせいで、目がありえないくらいに腫れていた。
  顔も涙でぐしゃぐしゃで‥‥見られたものじゃない。
  ぐすと、手拭いで顔半分を覆ったまま、俯く千鶴に、沖田は続ける。
  「あまり人を信用しない。」
  優しい顔をして近付いてくる悪い人なんて、この京にはいっぱいいるのだ。
  今回は助かったからいいかもしれない。
  だけど、次はどうなるか分からないのだ。

  もしかしたら、殺される事だってあるかもしれない。

  「‥‥ごめ、ん、なさい‥‥」
  随分と掠れた声で千鶴は答える。
  すっかり落ち込んだ様子の彼女に、これ以上言うのは酷というものだ。
  今回ばかりは彼女も嫌というほど分かっただろう。
  容易に人を信じればどうなるのか‥‥ということが。

  「‥‥次から、気を、つけます」
  「分かればよろしい。」

  沖田は言って、それから、彼はひょいと千鶴の顔を覗き込む。
  彼の顔が視界に飛び込んでくると、千鶴は慌てて手拭いで顔全部を覆った。
  顔を見られたくない、らしい。

  「千鶴ちゃん、顔、見せて。」
  「い、いやです‥‥」
  「どうして?」
  「今すごく‥‥不細工な顔してる。」
  「ああ、そんなの気にしないよ。」

  沖田はさらりと言ってのけた。
  まるで見慣れてると言わんばかりの言葉に、千鶴は僅かに顔を顰める。
  お世辞でも、
  そんなことないよ、
  とか言えないのだろうか、この人は。

  「‥‥千鶴ちゃん。」
  そんな事を思っていると、沖田の手がそうっと千鶴の頬を包む。
  大きなそれに、びくんっと千鶴は一瞬震えた。
  思い出したのは、先ほど自分を襲った男の手だ。
  瞬時に恐怖に強ばる彼女に、沖田は気付く。
  「‥‥」
  一瞬だけ、触れるのに躊躇った。
  だが、
  「僕は‥‥ひどいことなんかしない。」
  ことさら優しい声で言えば、千鶴の身体から少し‥‥力が抜けた。

  「顔、見せて?」

  もう一度言って、彼はその手首を取った。
  あまり強くない力で、引きはがす。
  今の彼女に男の力は暴力だったから。

  「‥‥」

  そうすれば、もう千鶴は抵抗しなかった。

  手拭いの下にある、彼女の顔は。
  埃と涙で汚れていた。
  泣きすぎたせいで、目は真っ赤に染まり、鼻の頭も赤くなっている。
  だけどそれよりも鮮やかな赤に見えたのは、彼女の頬だ。
  まだ‥‥赤い。
  殴られた痕。
  あれから、冷やすこともなかったから。

  「‥‥ほっぺた‥‥」
  「え?」
  呟きに千鶴は視線を上げた。
  見れば、沖田は目を眇め、少し不機嫌そうな顔でこちらを見ている。
  「‥‥誰かに叩かれたの?」
  頬を、男の手が包む。
  「あ‥‥」
  千鶴は言われてようやく思い出した。
  そうだ、自分は殴られたんだった。
  抵抗して殴られて、それで、頭がぼうっとして‥‥

  「残念だな、僕が斬り殺してあげようと思ったのに。」

  なんとも物騒な言葉を彼は口にした。
  しかし、頬を撫でる手は優しいまま。
  まるで、痛みを取り除くように、彼の手は何度も何度も千鶴の頬を撫でた。

  「‥‥痛かった?」

  問われ、千鶴は首を振る。

  「平気‥‥です。」
  「嘘吐きだね。」
  沖田は笑う。
  「平気です‥‥これくらい。」
  の事を考えれば‥‥こんなもの。
  「痛くなんか‥‥」
  「‥‥」
  そう言って無理矢理笑う千鶴に、沖田は目を眇め、

  そっと、屈み込む。

  真っ赤に染まる瞳が、驚きに見開かれるのを見ながら、触れていた手を離した。
  そうして、

  ――柔らかい、桃を思わせる頬に、
  一つ口づけを落とす。

  その瞬間に、千鶴の目はこれ以上ないくらいに大きく見開かれた。
  すぐ傍で、その瞳を見つめて、沖田は笑った。

  「‥‥消毒。」
  なんちゃって‥‥と茶化すように言うと、次の瞬間、その顔は真っ赤に染まる。
  殴られた場所がどこだか分からないほど真っ赤に染め、千鶴は視線を伏せた。

  「あ、ぅ‥‥そのっ‥‥わたし‥‥」

  ぎゅうと自分の膝についた手を握りしめる。
  その初な反応に、沖田はくつくつと喉の奥で笑いを漏らした。
  ああ良かったと思う。
  一足遅れていれば‥‥
  もし、彼女が醜い男たちの手に掛かっていたとしたら。
  確実に、彼女は二度とこんな反応を返してはくれなかったはず。

  男を恐れ憎み、そして二度と自分に近付くことを許さないだろう。

  「君が無事で良かった。」

  沖田は心の底からそう思う。

  そうしてから、そっと、千鶴の顎を押し上げた。
  まだ真っ赤な顔をしている彼女は‥‥だけど、視線が絡むと、そっとその瞳の色を変えた。
  幼さが残るけれど、そこに浮かべるのは女の表情。
  それを見つけると、沖田は吐息を一つ漏らして、
  静かに、
  唇を合わせた。

  願わくば。
  彼女を女に変えるのは‥‥この自分であればいい。