ばたばたばた。
  と複数の足音が響く。
  浅葱色の羽織に身を包んだ彼らは、険しい顔をして通りを走り抜けた。
  先頭を行くのは沖田と土方だ。

  偵察に出ていた山崎の話によれば、三条の方に茶屋は出ていたらしい。
  勿論もう看板は出ていないが、店の近くに蔵か‥‥もしくはその近辺にいかつい顔をした男たちがいることだろう。

  「副長。」
  あれを、と後ろを走っていた斎藤が声を掛けた。
  三条より一つ筋を中に入る。
  そこに、いかにも強面の男が数名‥‥あたりをきょろきょろと見回しながら立っている。
  ああ、あれだ。

  「っ」

  それを見つけると、沖田は一足先に走った。
  そして、

  「ぐぁっ!?」
  男たちが何かを言う前に、抜刀し‥‥斬る。
  一呼吸の間に、4人いた内の、3人が斬られた。

  「お、おまえたちは新選組!?」
  残された一人がぎょっとして声を上げる。
  その肩に、沖田は刃を深くめり込ませた。
  「ぎ、ゃ!」
  激痛に顔が歪み、悲鳴が上がる。
  沖田は煩わしげに「うるさいよ」と言って今一度深く傷口を抉り、その瞳に殺意を込めて、訊ねた。

  「あの子たちは‥‥どこ?」

  背筋が凍り付くほどの冷たい瞳で見つめられ、男は血の気が引いていくのを‥‥感じた。


  隣室からは物音が聞こえない。
  それが何より怖いと千鶴は思う。
  いや、だからといって叫び声とかが聞こえても、女の嬌声が聞こえても嫌だ。
  「さん、さんっ!」
  ぼろぼろと涙を零しながら千鶴は身体を折り曲げる。
  ぎゅうと縛られた手を握りしめ、唇を噛みしめて、ただ彼女の無事を祈るしかできない。
  歯がゆかった。
  何も出来ない自分が。
  悔しかった。
  彼女を犠牲にして、操を守った自分が。
  悔しくて、悲しくて。

  がたん、

  「っ!?」

  その時初めて、隣から音が聞こえた。
  荒々しい音だ。

  「いやっ、お願い‥‥っ」

  千鶴は壁に取りすがって泣いた。
  やめて、
  お願いやめてと。
  どんどんと肩で壁を叩く。鈍い傷みが走った。

  「さ‥‥さんっ」

  声にまるで応えるように、女のくぐもった声が漏れる。

  「お願い、誰かっ」
  誰かと千鶴は壁に額を押しつけながら叫ぶ。

  「誰か助けて――!!」

  絶叫が、千鶴の口から迸った。


  瞬間、

  「うぎゃぁああ!?」
  ばたん!!
  「っ!?」
  男の絶叫と、何かをぶち破る音が響く。
  驚きにそちらを見れば、ぱらぱらと舞い上がる砂埃の中。
  光を背に受けて立っている男の姿がある。

  陽に透ける、浅葱のそれが、ばさばさと揺れている。
  ああ、と千鶴の口から声が漏れた。

  「無事?」
  「お、ぎだ‥‥さっ‥‥」

  心配そうな沖田の顔を見て、千鶴はぐしゃと顔を歪ませる。
  ぼろぼろと大粒の涙がこぼし「沖田さん沖田さん」と泣きながら自分を呼ぶ彼女にすぐさま駆け寄った。
  袷は乱されてもいない。
  どうやら間に合ったらしい。
  ほ、と安堵のため息をつきながら、手を縛る縄を外してやると、彼女は取りすがって泣いた。
  「と、なりに、さっ‥‥がっ‥‥」
  助けてと嗚咽交じりに彼女は訴える。
  「ああ、そっちは土方さんが行ってるから大丈夫だよ。」
  安心して、と背中を優しく撫でる。
  そうすると今度こそ千鶴は安心したのか、うわあと恥も外聞も捨てて、大声を上げて泣き出した。
  「ああもう、すごい顔。」
  お世辞にも可愛いとは言えないよと沖田は苦笑を漏らした。
  そして、気付く。
  その彼女の顔は埃に汚れ、そして頬を赤く腫らしている。
  殴られたのだ。
  それが分かると、背中に回された沖田の手に、力が込められた。
  怒りのあまりに、震えていた。


  「っ!」
  ばんっと男が飛び込んでくる。
  その瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、組み伏せられる女の姿で‥‥
  「‥‥っ!!」
  土方は目にもとまらぬ早さで、覆い被さっていた男を両断した。
  「ぎゃあ!?」
  血飛沫が上がり、男が一瞬の内に絶命するのを目の当たりにし、恐れたもう一人が慌てて逃げようとする。
  それを、
  「――」
  後ろに控えていた斎藤が無言の内に斬り伏せた。
  男は断末魔の声を上げることさえできず‥‥ばたりと倒れ、二度と動かなくなる。

  「!」

  土方は刀を収め、男を蹴り飛ばして彼女の上から退けた。
  しかし、彼女からの返事はなかった。
  冷たい床の上にごろんと転がったまま、目を瞑っている。
  まさか‥‥
  ざあ、と血の気が引いた。

  まさか、と口から掠れた声を出すよりも先に、

  「大丈夫です。」

  斎藤の静かな声が聞こえる。
  傍らに膝を着いた彼は、の呼気を確認し、少しだけ表情を緩めて言った。

  「気を失っているだけのようです。」

  しかし、

  「――」

  彼は手放しで喜ぶことが出来なかった。
  恐らくはのし掛かっていた男に殴られたのだろう。
  あまりに強く殴られたせいで昏倒してしまったのだ。
  それを物語るように、頬は赤く腫れている。
  なにより、その間に彼らが何をしようとしていたか‥‥というのが土方を激昂させた。
  彼女は着物の袷を乱され、サラシを解かれて胸元を暴かれた、あられもない格好を晒していた。
  白い肌に所々残る赤い痕を塗りつぶすみたいに目の前が真っ赤に染まっていく。怒りで、一瞬我をも忘れてしまいそうに
  なった。

  「‥‥」

  無言のままに斎藤が羽織を脱ぎ、彼女の身体へと掛ける。
  そうしてすっと視線を上げると、紫紺を見てこう告げた。

  「副長‥‥ここは俺に任せてください。」

  冷静な彼の声には、土方と同じように怒りの感情が見えかくれしている。
  彼とて大切な仲間をこんな目に遭わせた敵を、許せないのだろう。
  一矢報いるためには、そう、彼らを殲滅する必要がある。

  外ではばたばたと慌ただしい音が響いており、剣戟の音も続いている。
  土方は細い息を吐き出すと、ゆっくりと唇を開いた。

  「斎藤‥‥ここは頼む。」
  「御意。」

  やがて土方は拳を握りしめると、ばさりと衣を翻して、背を向けた。
  冷めた瞳の奥に、揺るぎない怒りの色を湛え、

  「ねずみ一匹逃すな!
  刃向かう奴ぁ、容赦なく斬り捨てろ!」

  彼の鋭い声が、青空へと抜けて、響いた。