「ん‥‥」
  小さなうめき声を漏らし、閉ざされていた瞼が微かに揺れる。
  、と声を掛けるとその瞳がゆっくりと姿を現し、
  「っ!」
  焦点の合わない瞳が見慣れぬ天井を見つめるのに気付いて傍らに腰を下ろしていた男が声を掛ける。
  はぼうっと天井を見上げたまま、言った。
  「‥‥後少しで、魚が食べ放題だったのに‥‥」
  どうやら、幸せな夢を見ていたらしい。
  なんというか、緊張感のない言葉に拍子抜けをしつつ、土方はこの馬鹿野郎と呻きながら強引にその視界に姿をねじ込んだ。
  「‥‥土方さん?」
  「‥‥目が覚めたか。」
  「おはようございます。」
  おはよう、という時間帯ではない。
  外は闇色だ。
  むしろ「おやすみなさい」の方が合っている。
  「‥‥ええと、ここは?」
  はごし、と目元を擦りながら上体を起こした。
  起きるな、と言いたかったが彼女は病人ではない。身体を起こしてもなんら問題はない‥‥はずだ。

  「近藤さんの別宅だ。」
  「ああ、道理で。」

  は見覚えがないと思った、と天井をもう一度見上げて呟いた。
  天井で認識しているというのだろうか、そんな馬鹿な。天井などどれも同じ‥‥ようなものだ。

  「それにしても、なんでここに‥‥」

  は呟いた。
  瞬間、空気がちりと張りつめたのを感じて、はしまったと思う。
  やぶ蛇だ。
  目覚めたばかりで頭が回っていなかったらしい。
  自分が、ここに来る前、何をしていたか、を思い出すと、とてもではないが彼に顔向けできない。

  「‥‥‥‥‥‥すいませんでした。」

  視線を背けながら謝る。
  あんな雑魚に遅れを取るなど、副長助勤として失格だ。
  しかも自分だけが捕まるならばまだ間抜けで済むのだけど、保護対象である千鶴まで巻き込んだとあっては厳しい処罰が
  待っているに違いない。

  良くて切腹。
  悪くて降格。
  これは決して寝起きで寝ぼけていたわけではない。
  にとっては彼の傍にいられなくなる方が辛いのだ。自分が死ぬよりも。

  「その、二度とこんなヘマはしません。」
  だから、とは頭を下げた。
  「‥‥幹部返上だけは勘弁――」
  「そうじゃねえだろうが。」

  唸るような声に遮られ、はえ?と顔を上げた。
  すると絡む視線は、ひどく不機嫌なもので、やっぱり怒ってるんじゃないかと思いながら、微妙に何かのずれを感じて、
  は怪訝そうに眉を寄せた。
  そうじゃない、なにが?

  「‥‥そうじゃねえ‥‥」
  「‥‥」
  「そうじゃねえだろ‥‥」

  一体何の事か分からずに首を捻ると、土方は一層不機嫌な顔になって、

  「俺が、言いてえのは!」

  怒鳴るように声が上がる。
  が、すぐにその感情もどうしたらいいのか分からないといった風に迷って、急速に怒りがしぼんで、

  「‥‥おまえ‥‥あいつらに何をされた?」

  答えにくい問いを、彼は真っ直ぐにの目を見て、訊ねた。
  来る、と分かっていても、は肩がぴくりと震えるのを抑えられなかった。
  気にはしていない。
  だが、彼にそれを知られたくはなかった。
  自分が、彼以外の男に触れられた、などとは。

  「‥‥なにも。」

  は答えた。

  なにも。
  とだ。

  土方の眉間の皺がより濃くなり、彼がその言葉に怒りを覚えている事を示す。
  は言った。

  「あなたが気にするような事はなにも、ない。」
  「‥‥そいつはどういう意味だ?」
  土方の心を乱すような事はなにもない。
  例えが誰に触れられ、汚されたとしても、彼には関係のないことだ。
  何故ならばの彼への気持ちは何一つ変わらないからで‥‥

  「っ!?」

  しかし、その想いが彼に伝わるわけもなく、その言葉を「強がり」や「拒絶」と取ったらしい彼は、荒々しく彼女を組み
  敷いた。
  どさと身体を布団に押さえつけられ、さらりと零れてきた黒髪が肌を擽った瞬間、はまたぎくりと身体を強ばらせた。
  彼女は身を清めていない。
  あの男たちに触れられて、身を清めていないはずだ。
  何をどうされたのかは覚えていない。
  顔を殴られた瞬間に意識が飛んで、目が覚めたのはつい先ほどだ。
  その間に何があったか、などとには分かるはずもない。
  ただ、胎内で放たれていないのだけは、中から何も溢れてこない事から分かったけれど、だからといって犯されていない
  とは限らない。

  「だめっ!」

  とが言うけれど、土方は聞かず、暴れる手をかいくぐってぐいと袷を乱してしまった。
  サラシを切られてしまったせいで、胸には何も巻いていない。
  開けばたわわに実る二つの実がこぼれ落ち、はその時になって初めて、自分の肌にあの男たちの痕が残っていること
  を知った。
  柔らかそうな山のてっぺん付近に、赤い、痕。
  それから、歯形。
  噛みつかれた。
  鬼だというのに、傷口はすぐに癒えても鬱血は消えないものなのだろうか。
  早く消えてくれれば、彼にそんなものを見せずに済んだものを‥‥

  「‥‥くそがっ。」

  その鮮やかな鬱血痕を見て、土方が心底苛立ったように吐き捨てる。
  そして、怒りのままに、

  じゅ、

  「ひっ!?」

  その痕に食らい付いた。

  は背を撓らせた。
  のっけから弱い部分を吸われては、堪らない。

  男がつけた痕が、一層、濃く、赤く染まった。

  「や、ひじ、やめっ‥‥」

  しかも、それは一度だけでは飽きたらず、彼は露わになった胸のあちこちに唇を寄せては吸い上げる。
  胸の先に、膨らみの途中に、始まりに。
  唾液で肌を濡らし、そして吸い上げて、あるいは噛む。
  固い歯の感触に肌の下で疼きと熱が生まれて散っていく。

  「やめっ、土方さんっ!」

  悲鳴みたいな声を上げ、は柔肉を貪る男の髪をぐいと引っ張る。
  ぶちりと抜けた感触があったが、この際気にしていられない。
  それよりも彼の行動を止めなければならなかった。

  しかし、

  「‥‥」
  ぎらりとこちらを見る瞳に、言葉を飲み込んだ。

  紫紺の瞳に映るのは、
  怒りと、
  激しい嫉妬の色。

  彼女の身体に痕を残した男への怒りと。
  彼女の身体に触れた事への、嫉妬。

  「‥‥おまえは、俺のもんだ。」
  「っ」

  獰猛な、欲に濡れた瞳をした男はそう告げた。

  「誰にも、指一本触れさせねえ。」

  この身体に触れて良いのは自分だけだと、何様だと言ってやりたいような言葉に、は身体の芯がぞくりと震えるのが
  分かった。

  ――この男に執着されている――

  それが死ぬほど嬉しいと思った。
  こんな風に、無理矢理されているというのに。

  その乱暴なまでの独占欲が、嬉しいのだと。

  「‥‥何を、笑ってやがる。」

  呻くような声に、は自分がその時になって初めて笑っている事に気付いた。

  「どういう情況かわかってんのか?」
  「あ、違うの。ごめんなさい。」

  別に、彼を笑ったわけではない。

  「‥‥あなたが私を独占してくれるのが‥‥」

  嬉しくて、と照れたようには笑う。
  その笑顔はとても眩しくて、とても、美しくて。

  恐らく誰一人、土方さえも彼女を汚すことが出来ないのだと思うと、なんだか癪だ、と彼は思い、

  「黙ってろ。」

  憮然とした面持ちでそう告げると、馬鹿げた事を言い出しかねない彼女の唇を、塞いだ。



  「‥‥ひ、ひじかた、さ‥‥ま、だ?」
  「待て、もうちょっと。」
  「ッンっ――」
  「‥‥どうやら、濡れちゃいるが、出されてはいねえみたいだな。」
  「っう‥‥く‥‥」
  「それに、こんだけ狭いんだから‥‥ねえだろうな。」
  「‥‥じゃ、じゃあ‥‥もう‥‥」
  「まあ、穿き物は脱がされちゃいなかったから、大丈夫だとは思ってたけどよ。」
  「っ――じゃ、じゃあなんでこんなこと!?」
  「念のためってやつかな?」
  「絶対嘘だ!!私の反応見て楽しんでたんだ!」
  「半分は正解、だな。」
  「なにそれ、ちょ、早く抜いてっ!」
  「あと、半分は‥‥」
  「っ」

  「‥‥‥逃げ場を、奪うためだ。」

  何のだと言うことを、は聞かなくてもその欲情した瞳を見て、分かった。