同時刻。
  壬生屯所では、沖田がつまらなさそうな顔でごろんと横になっていた。
  「土方さん‥‥つまんないです」
  「‥‥人が仕事してる横で何をほざいてやがる。」
  いつもはこの部屋にさえ立ち寄らないというのに、今日に限って人の部屋で主以上に大きくなっているとは‥‥
  嫌がらせか、と彼は沖田を睨み付けた。
  「だって、あんまり平和だから‥‥」
  退屈です。
  と彼は大あくびをしてみせる。
  俺は退屈じゃねえよ、と鬼の副長は一人ごちて、続きを書き進めようと筆を動かした時、
  「副長。」
  きまじめな彼の声が襖の外から聞こえた。
  「斎藤か、入っていいぞ。」
  「失礼します。」
  す、と襖が開く。
  と、彼は副長の部屋で大きく横になっている男を見つけて、瞳を僅かにすがめた。
  それは明らかに不満げなそれではあるが、彼は沖田を無視することにして、土方に向き直った。
  「お知らせしたいことがあります。」
  「なんだ?」
  土方は筆を止めた。
  斎藤は彼の前に座すると、
  「先日から、市中を騒がせている人攫いの事件ですが‥‥」
  と話し始める。

  少し前から、あちこちで人攫いの被害が出ている。
  それは揃って若い女ばかりで、どこぞへ出かけてくると言って出て行ったきり、行方が分からなくなっているのである。
  しかし、そのいなくなった女たちが、どこぞで死体になって見つかるわけでもなく、手がかりもないままで、手をこまね
  いていたのだが‥‥

  「二日ほど前にいなくなった、金物屋の話ですが‥‥
  いなくなる日に、茶屋へ行くと言って出て行ったそうです。」
  「茶屋?」
  土方はひょいと片眉を跳ね上げた。
  茶屋に行って人攫いに遭う‥‥というのは聞いたことがないが‥‥
  「副長は、ご存じでしょうか?」
  斎藤がぽつりと呟く。
  「市中で今、有名になっている茶屋があると聞きます。」
  たいそう美味しいお茶と、甘味を出すというので市中の女たちの噂になっている店がある。
  しかしその茶屋は、何故か一所に店を構えずあちこちに看板を出しているのだという。
  そして、
  「この間捕らえた人買いの男も‥‥その店に出入りしていたそうです。」
  「っ!」
  土方は思わず目を見開いた。

  甘味で女を釣って、売りさばくとは考えたものだと沖田は思う。
  甘味処ならば、女ばかりが集まる。
  その中で手頃な娘を捕まえれば‥‥いい金になるだろう。

  まあ、考えたとは思うがばかばかしい。

  甘味が好きだなんて‥‥

  「‥‥ちょっと待って‥‥」
  ふいに沖田は思い出してしまった。
  がばりと身体を起こし、青い顔で呟く。
  「‥‥有名な甘味処‥‥っていったよね?」
  「ああ‥‥あちこちで噂になっている。」
  あちこちで噂になっている‥‥というのならば、きっと彼女の耳にも入っただろう。
  そして耳に入ったならばきっと‥‥
  彼女ならば行く。
  何故なら、彼女も相当の甘味好きだ。
  同行しているもう一人は甘味に興味はないだろうが、きっと彼女に強請られればついていくに決まっている。

  「まずい!」

  沖田は、叫んで部屋を飛び出した。



  薄暗い部屋に押し込まれてから、どれほど経っただろう。
  4畳ほどの広さの部屋に、窓はない。
  板戸で閉められた入り口の外には人の気配がある。
  そして部屋の中。
  血やら、よくわからない痕があちこちに残っている。
  ここにどれほどの女が連れ込まれたか分からない。
  そして、
  どこへ行ったのかも‥‥

  「‥‥さん‥‥」

  ぴったりと寄り添った千鶴が不安げに名を呼んだ。
  彼女から薬が抜けたのはつい先ほどだ。
  捕まったという事態を理解してから、彼女はずっと青い顔をしていた。
  そりゃそうだ。
  武器を取られ、部屋に押し込まれ、おまけに拘束されていれば誰だって不安になる。
  「‥‥縄さえ外れてりゃあね。」
  ははぁ、とため息をついた。
  ご丁寧に手首は荒縄で戒められている。
  しかも最悪な事に、隠し持っている武器がないか改められた際、身体を触られて自分が女だとばれてしまった。
  そういうわけで、も売られる事となってしまったわけだ。

  「人一人二人くらいなら相手になってやるんだけど‥‥」
  生憎とここにどれほどの人がいるのか分からない。
  迂闊に行動すれば自分だけではなく、千鶴に危害が及ぶ。
  それは避けたい。

  「‥‥ごめんなさい。」

  と千鶴が謝った。
  「なんで謝るのさ?」
  が苦笑で答えると、だって、と千鶴はうつむいて唇を噛む。
  「私が‥‥無理を言わなければこんな事には‥‥」
  なるほど、千鶴らしい。
  捕まったのは自分の責任と思っているわけだ。
  は苦笑した。
  「ちがうよ、それを言うなら私の方だ。」
  迂闊というならば彼女だ。
  副長助勤でありながら、こんな雑魚に簡単に捕まってしまうだなんて‥‥
  「土方さんに知られたら、助勤役を返上させられるんじゃないかなー」
  「そんなっ!
  それは私がいたからさんは逃げられなかったわけで‥‥」
  なおも言いつのる彼女だが、ふいに足音を感じて、
  「しっ!」
  は鋭い視線を向ける。
  咄嗟に言葉を飲み込めばやがて、

  から、

  戸が開く。

  薄暗い部屋に光が差し込み、千鶴は眩しさに僅かに顔を顰める。
  はじっと、そこに立つ人を睨み付けた。

  「気分はいかがかな?」

  やってきたのは、先ほど彼女たちを招き入れた店の店主だ。
  相変わらず、嫌な笑みを浮かべている。
  そしてその後ろにがたいのいい男が二人。
  にやにやといやらしい笑みを浮かべて、と千鶴とを見ている。

  「もうじき、君たちを買いたいという方々がお見えになる。
  それまでもう少しばかり辛抱してもらえると有り難い。」

  やっぱり、
  とは言葉に目を眇める。

  「あんたらが、噂の人買いか。」

  ここ最近、京を賑わせている人攫いの話は聞いていた。
  攫われたのが女ばかりと聞いてきっと人買いに囚われたのだと思っていたが、なるほど、自分がそれに捕まるとは思わな
  かった。

  「人‥‥買い‥‥?」
  逆に千鶴は青ざめる。
  当然の反応だ。
  これから自分たちが売り飛ばされる先は、どこなのか分からない。
  ただ小間使いに欲しいという人は少なく、大抵が肉体的快楽を求めるために買う人間ばかりだ。
  裏でこっそりと買わなければいけないほどの変質的な思考の持ち主や、最悪人殺しに売られる事だって、ある。
  あるいは‥‥外の国に売り飛ばされる事だって。

  売り飛ばされる前にここを抜け出さなくてはならない。
  一人ならば売り飛ばされた先から逃れる事は出来るだろうが‥‥千鶴は無理だ。

  さて‥‥
  どうやって逃げ出そうか。

  は思案した。

  「‥‥彼女たちは、大事な商品です。
  丁重に扱いなさい。」
  男は控えた男二人に言うと、ばさりと衣を翻して、背を向ける。
  ゆっくりとまた、差し込む光は細くなり‥‥やがて、また薄闇の世界へと閉じこめられた。

  最悪なことに、
  男二人も残して。

  「‥‥こいつぁ、上玉だなぁ‥‥」
  やがて一人の男がこちらへと近付いてきた。
  太い指での顎をくいと持ち上げる。
  不細工な顔が傍に寄せられ、は僅かに目を細めた。
  身体が自由ならば思いっきり蹴り飛ばしてやりたいところだ。
  「こっちも、なかなかのもんだぜ。」
  「っ!」
  もう一人に目を付けられた千鶴は、怯えた表情を見せた。
  「まだ、ちょっとばかし幼いが‥‥磨けば光るだろうな。」
  「ちがいねえ」
  くくくと二人は笑う。
  そして彼らは顔を見合わせると、
  「売りさばく前にここはいっちょ‥‥」
  「試しておかないとな‥‥」
  下卑た笑いを浮かべて、こちらを見た。

  やはり。
  とは短絡的な思考を持つ二人をさげすむような目で見た。

  売りさばく前に、一時、美味しい思いをしてもばちは当たらないだろうという、彼らの見解だ。

  ああ、自由になったら、こいつらは殴るだけじゃなく斬り殺してやろう。
  は本気でそんな事を思った。

  「や、いやっ!!」
  いやらしい笑みを浮かべながら、一人が千鶴の足を掴む。
  恐怖に顔を強張らせ、悲鳴を上げた。
  「いやぁ!離してっ!!」
  「おいおい暴れるなよ。そんなにひどい事はしねえよ。」
  男はげへへと笑みを浮かべながら続けた。
  「ちょっと俺たちといいことをしようって言ってるだけだ。」
  彼の言う「いいこと」というのは、初な千鶴でも分かったらしい。
  「い‥‥いや‥‥」
  震える声で彼女は拒絶を訴えた。

  ふるふると首を振るが、腕は拘束されている。
  逃げ道は男が塞いでいるし、脚も掴まれている。
  それはも同じで‥‥逃げようが、ない。

  「いやぁっ!」
  「こら、大人しくしろ!!」
  滅茶苦茶に暴れる彼女を、男は引きたおす。
  それでも抵抗を止めない彼女に焦れたのか、男は一発彼女の頬に平手を食らわした。
  「っ」
  平手でも、男の力だ。
  一発食らえばぐわんと頭が揺れた。

  「‥‥ぅ‥‥」
  意識が一瞬、飛んだ。

  その隙に、男は千鶴にのし掛かり、

  「さて‥‥いただくとするか。」

  手を擦り合わせて彼女の袷へと手を伸ばした。


  「ちょっと待ちなよ。」


  唐突に、声が掛かった。
  口を開いたのは、それまでじっと黙っていただった。
  「なんだ?」
  男はこちらを見る。
  同時に、も横倒しにされながら彼女を見た。
  は、もう一人の男に袷を乱されながら、それでも、にやりと笑みを浮かべていた。
  「その子は生娘だ‥‥
  傷をつけない方が高く売れると思うよ。」
  「‥‥」
  言葉に、二人は顔を見合わせ、次いで千鶴を見る。
  確かに。
  生娘は生娘のまま売った方が、高値がつく。
  それはその通りだが‥‥

  「‥‥それより‥‥」
  は瞳をすいと細める。

  次の瞬間、その目に映るのは、驚くほど艶めいた女の色だ。
  甘く誘うようなそれで、千鶴にのし掛かった男を見て、

  「‥‥私に、しない?」

  強請るように、彼女は囁く。

  甘い琥珀の瞳に見つめられ、男はまるで魅入られたように彼女を見つめた。

  「締まりがいいだけで、感じる事も出来ない生娘よりも‥‥ずっと良くしてあげられる自信があるんだけど。」

  言って、彼女は千鶴を組み敷いている男と、それから、自分の前でその気になっている男とを、交互に見た。
  そうして、誘うように、
  「なんなら‥‥二人いっぺんに相手、してあげよっか?」
  ちらりと何かを意図するように赤い舌をつきだして、己の唇を舐めた。

  その妖艶な様と言ったら‥‥どうだろう?

  「っ」
  「‥‥」

  二人は揃って、股間を押さえた。

  本能のままに反応する雄に、二人はもうすっかりその気になって、立ち上がる。

  「じゃ、じゃあ俺も。」

  と千鶴の上から退いた男は、の傍へと近付いてくる。

  早速褌からそれを取り出そうとするので、はちょっと待ってと甘い声で強請った。

  「出来れば、その子が見えないようにして。」
  「なに?」
  男がいぶかる。
  その子‥‥というのは千鶴の事だ。
  ちら、と見る彼女は漸く殴られた衝撃から思考が回復し始めたらしい。
  目を見開いてこちらを見ている。
  はそんな千鶴から視線を逸らして、唇を尖らせる。
  「だって‥‥青ざめた顔で見られちゃ、興ざめでしょ?」
  だからお願い、と上目遣いに見られ、二人は顔を見合わせ、一も二もなく頷いた。

  「よ、よし、じゃあ、隣に部屋がある。」

  そっちで。
  と男は言って、を立たせた。
  は立ち上がり、もう一度千鶴の方を見る。

  「‥‥さ‥‥」

  彼女は泣きそうな顔で彼女を見た。
  がそんな事をした理由はすぐに分かった。
  千鶴を‥‥自分を守るためだ。
  彼女の純潔を守るため。
  それだけの為に、は見知らぬ男二人の相手を買って出た。
  彼女とて女‥‥
  そんな男たちにいいようにされるのは嫌だろうに。
  なのに。

  「‥‥大丈夫。」

  そんな彼女に、はばちりと片目を瞑ってみせた。
  そして音に出さずに、唇だけを動かして、

  「きっと‥‥助けに来てくれるよ。」

  そう、彼女を元気づけるように言って‥‥隣室へと消えていった。