それは鬼の副長の提案だった。
「、千鶴。
たまにはおまえら二人で骨休めでもしてこい。」
いつも、忙しく動き回る二人に、たまの休みをやろうと、彼なりに考えた提案。
一瞬顔を見合わせる女二人。
「ああ、それはいいんじゃないかな。」
居合わせた沖田が、ゆっくりしておいでと二人を促す。
それが‥‥今回の事件の発端だった。
ざわざわとざわめく通りを、と千鶴は並んで歩く。
「しっかし‥‥どういう風の吹き回しなんだか。」
は眉を寄せて呟く。
「いきなり休みをくれてやるって言われても‥‥困るっての。」
非番の時も滅多に外に出ない二人は、どう休みを費やせばいいものかと‥‥時間をもてあましていた。
「そうですねぇ‥‥」
千鶴は隣でうーんと唸る。
「あ、そうだ。」
それからふと何かを思い出したように彼女は声を上げる。
「この間、すごく評判のお茶屋さんの話を聞いたんです。」
なんでも、珍しいお茶を出してくれるとかいうので今、京の人々に有名なんだとか‥‥
お茶の他にも美味しい甘味を出してくれるというので、お客さんが後を絶たないと噂を聞いた。
「へえ。」
「行ってみませんか?」
きらきらと千鶴の目が輝く。
基本、はあまり甘味には興味はない‥‥が、千鶴はやはり女の子だ。
「‥‥いいよ、行ってみようか?」
期待の眼差しで見つめられたら否を唱える事は出来ない。
苦笑で答える彼女に、千鶴はやったと嬉しそうに飛び上がった。
しかし、
噂を少し耳にした程度では、広い京の市中を探し回るのは大変というわけで。
人々に聞けば、
やれ、五条だ、河原町だ、京の外れだ、
まるで一貫性がない返答ばかり。
勧められた場所に足を向けてはみたが、どれも噂とは違うような気がする。
やはり、もう少し話を聞いておくべきだっただろうかと千鶴が僅かに落胆の色を浮かべたとき、
はそれを見つけた。
「‥‥あれは?」
三条大橋のそばにある、一軒の茶屋。
真新しい店の前には、人の列がある。
見れば男ばかりなのだが、ふわりと香るお茶と、甘い香りは、なるほど茶屋のものだろう。
「‥‥あ、きっとあれです!」
千鶴は顔を輝かせた。
とはいえ‥‥
「並んでるみたいだけど‥‥」
並んでいる人々を前に、は腕を組んだ。
戸を閉めてあるので中は見えない。
準備中というわけではないだろうが‥‥その前にずらりと並ぶ人々を見ると、この店は大繁盛、らしい。
「うーん‥‥これじゃ無理かなぁ?」
待っている間に日が暮れるだろうか、と千鶴は困ったような顔をする。
「無理な事はないけど‥‥でも、多分結構‥‥」
待つことになるとは思うけど。
そうが言いかけた時、
「‥‥」
ちらりと店先にいる男がこちらを見た。
じっと、上から下まで見るその目はまるで獲物を物色するようなそれで‥‥
「?」
怪訝に思い眉を顰める。
「さん?」
どうかしたんですか?
と千鶴が彼女の難しい顔に気づいて問いかけた。
「いや‥‥」
なんでも、と視線をそちらから逸らさずに答える。
入り口の前で店の人間らしい人と、先ほどこちらを見ていた男がなにやら話をしているようだ。
そして店の人間もこちらへと気づく。
なんだ?
は目をすがめた。
やがて、
「おお、これは可愛らしいお嬢さんだ。」
店の男がにこやかな笑みを浮かべながら近づいてきた。
「え?え?」
言われたのは千鶴で、彼女は驚きの顔をし、そしてすぐに慌てた素振りを見せる。
それもそのはず、彼女は一応男装をしている。
本人は見事に変装しているつもりらしいが、見る人によっては簡単に見破られてしまう‥‥という程度の男装なのだが、
驚くことに店の男は見抜いたらしい。
おまけに何を言い出すかと思えば、
「よろしければうちで、甘味でもいかがですか?」
と言ってくる。
「で、でも‥‥あのお客さんがあんなに並んでいらっしゃるので‥‥」
「いえいえ、女性のお客様は別でございます。」
男は言った。
にこりと人のいい笑みを浮かべたまま、
「本日は、女性優先の日となっており‥‥あちらのお客様方には少々お待ちいただいている所なんです。」
普段、良く通ってくださる女性の方々へのせめてものお礼として‥‥と男はいかがですか?と勧めてくる。
「‥‥」
千鶴はを見た。
どうしますか?
と訊ねるようなそれは、もう行く気満々の顔で‥‥
「勿論、おつきあいしますよ。」
は僅かに笑みを零した。
その瞬間、店主の顔がにやりと歪むのも見逃さない。
何かを企んでいる顔‥‥
「‥‥」
はそれを見ながら、まあ、何を企んでいるにせよ、自分が一緒にいるのだ。
刀も、腰に差してる。
万が一‥‥と言うことにならないだろうと、たかを括って店へと一歩踏み入れた。
からら。
と戸を開くと、
ふわり、
その瞬間、白い煙と茶の香りが押し寄せる。
少し苦みのある‥‥だけどいいにおいだ。
「わ‥‥」
千鶴が声を上げた。
「すごいにおいですね。」
「ええ‥‥奥で茶葉を煮詰めている所なんです。」
店主は言って、引き戸を閉める。
深みのある茶のにおい、そこにそこはかとなく甘い香りが混じる。
「‥‥ん、なんだろ?」
このにおい。
と千鶴はすんすんと鼻を鳴らす。
その間、は店の様子を見回した。
あれほど外に人がいるというのに、店内には人の姿はない。
女どころか、男も、だ。
並べられた椅子や、机の数々。
別段怪しい所はない。
が‥‥
なんだろう‥‥
嫌な予感がする。
とは思った。
ぴりぴりと肌を刺す感覚。
その正体を探ろうとするが、強すぎる茶のにおいがそれを邪魔する。
このにおい、どうにかならないだろうか。
五感が敏感なにとってはどうにもうるさすぎる。
茶のしぶいにおいがやけに鼻につくのだ。
ふいに、
「‥‥?」
茶のにおいにかすかに違和感を覚えた。
なんだこれは‥‥
甘いような。
嫌に神経を刺激するにおい。
嗅ぎなれないそれは‥‥一体‥‥
「っ」
がその正体を見極めるよりも先に、前を立っていた千鶴が突然、膝から崩れ落ちた。
「千鶴ちゃん!?」
咄嗟に抱き留め、彼女の顔を覗き込む。
「ん‥‥」
腕の中の少女は目を閉じている。
しかし、具合が悪そうではない。
そう、ただ眠っているとそういう事だろう。
「おや‥‥あなたには効きませんでしたか?」
くつくつと、男の笑い声が降ってくる。
顔を上げれば店主が、にやりと悪人そのものの笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「‥‥何を‥‥した?」
ふわりと白い煙が濃くなる。
男はにやにやと笑って立っていた。
「いえ、この煙に少々、眠り薬を混ぜて炊いていたのです。」
「‥‥へえ‥‥」
言われて、気づく。
ぴり、と先ほどまで感じていたはりつめたものは感じなくなっていた。
多分このにおいは、神経を麻痺させるものなのだろう。
「おっと‥‥刀は抜かない方がいいですよ。」
隙無く腰に手を回しただったが、それよりも先に後ろにいた男に切っ先を突きつけられた。
それはに‥‥ではなく、千鶴に、だ。
「可愛いお嬢さんの顔が傷ついてもいいというのならば‥‥止めはいたしません。」
「‥‥」
は内心で舌打ちをした。
彼女を人質に取られては、も無茶は出来ない。
仕方ない‥‥とばかりに、彼女は手を挙げてみせた。
瞬間、男の笑みはひどく不快なものに変わったのをは睨み付けるように見つめた。

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