4
「‥‥?」
青白い月光を受けて、その髪は一層輝く。
輝く銀糸はふわりと風に舞い、落ちる。
くつ、とその口から笑みがもれた。
「まったく‥‥」
常よりも低く、常よりもどこか色っぽい声がその口から零れる。
「?」
誰かがもう一度呼んだ。
それは自分の名前ではないもので、
「‥‥人使いの荒い人間だ。」
ゆっくりと開いた瞳は、神々しい金色に染められ、天霧は静かに姿勢を低くした。
これが戦いの場でなければ‥‥彼は彼女に頭を垂れていただろう。
それほどに、
目の前の女は高貴で‥‥存在感があった。
人を簡単に跪かせる存在感が。
これが、
純血種たる鬼の姿。
天霧は内心で感嘆の声を漏らす。
千姫や千鶴とはまた違う雰囲気を纏う、鬼の姫。
「ふん、純血でもない鬼がわたしに刃向かうとは‥‥」
妖艶な鬼の姫は、良い度胸をしているよと笑った。
「すぐに殺してやる。」
その笑みが一瞬、ぞっとするほどの冷たさを帯びた瞬間、
彼女は風になった。
「っな!?」
驚きに声を上げたのは天霧で、彼は自分の懐に飛び込まれているのをその時になって漸く分かった。
見ればすぐそばに彼女の顔がある。
鬼の姫というにはあまりに血生臭い、獣じみた目が、
にやりと心底楽しげに、笑った。
「っぐ!」
じりっと腹に鋭い痛みが走る。
咄嗟に一歩を引いたおかげで上半身と下半身とでまっぷたつにされる事はなかったが、深く傷を刻まれた。
鮮血があふれ出た。
「っ」
一歩を引かれるのが分かっていたのか、女はさして驚いた様子もなく目を細め、ならばと薙いだその動きを利用して
身体を捻り、
「っが――!?」
鬼の腹を思いっきり蹴り飛ばした。
これはまともに喰らい、天霧はそのまま勢いよく後ろに飛ばされる。
「っ!?」
だん、と激しい音を立てて砂埃が舞った。
近藤と近藤はそれを驚きの表情で見守っている。
もうもうと上がる砂煙のせいで、何も、見えない。
「‥‥興ざめ、だな。」
その力の差は、歴然であった。
ぐったりと木の幹に背を預け、項垂れる鬼の前に彼女は立つ。
とん、とん、と刃で肩を叩く彼女は、面白くもなさそうな顔をしていた。
肩で大きく息をする天霧の腹からは血が流れている。
鬼の能力故、少しずつ回復しているが‥‥彼はすぐには立ち上がれそうになかった。
「これが‥‥」
鬼の姫。
純血種の力。
先祖返りと、怖れられた鬼の力。
彼女の動きは天霧でも捕らえられなかった。
鮮やかな一刀も、強烈な蹴りも。
どれも天霧でも避ける事は出来なかった。
きっと風間でさえ‥‥この鬼の姫には手を焼く事だろう。
それほどの強さだった。
この力を放っておいてはいけない。
放っておけば、彼女は‥‥やがて世界に利用される。
利用され、世界は‥‥
「‥‥壊れる。」
ぽつりと呟いた彼を、は冷たく見下ろしている。
そしておもむろに、
「楽にしてやろう‥‥」
その一言を吐き、はその男の前で刀を振り上げた。
「‥‥」
天霧が力無く顔を上げる。
それを見て、女は口の端を残酷に押し上げて、
「わたしは、世界になど興味はないよ。」
壊れようが、
救われようが、
どうなろうが、
興味など無いよと笑って、
「――」
振り下ろした。
――ぎぃん
甲高い音が夜空に響き渡る。
そしてぎちぎちと刃同士がかみ合う、嫌な音が続く。
砂煙はいつの間にか、収まっていた。
あるいは、その風に吹き消されたのかもしれない。
青白い月光が‥‥まるでそこだけを差し込むように照らしている。
さらりと白銀の髪が揺れた。
近くで見ると一層、鮮やかに見える赤い瞳が目の前にある。
血のようで‥‥
だけど、それよりももっと美しく輝く色だと女は思った。
「トシ‥‥?」
近藤は驚きの声を漏らした。
長い間一緒にいた。
その友の姿は‥‥見た事もない形をしていた。
「あんたは何度もわたしの邪魔をしてくれるね。」
どきなよと鬼は笑う。
初めて鬼の彼女と対面したとき‥‥
彼女には自我が無かった。
ただ、人を斬るだけの人形のようだった。
それが彼女は言葉を紡ぎ、自我を持っている。
これが、静姫‥‥という鬼の姿か。
人を小馬鹿にしたような印象はと被る‥‥しかし、その輝く金色の瞳の奥は濁っていて、
彼女とは全く違うなと土方は思った。
「そいつを殺すなっていうのかい?
お優しい事だね。」
と嘲笑うように言われ、土方は誰がと鼻で笑い飛ばした。
「別にこいつを庇ったわけじゃねえよ。
ただ‥‥」
赤い瞳が真っ直ぐに女を見る。
いや、女を通して、その奥にいる、彼女を見た。
「そいつの意志無く人を殺させるわけにはいかねえんだよ。」
決して天霧の為ではない。
勿論、が天霧に情けを掛けるという事がないのは分かっている。
必要とあらばは迷わず天霧を殺していただろう。
だが、
今ここで天霧を斬るのはの意志ではない。
彼女が決めて殺そうとしているわけではない。
だから、
土方は止めた。
それだけだ。
「てめえの好きにはさせねえ。」
ぎりぎりと鍔迫り合いが続く。
「てめえじゃ役不足なんだよ。
とっとと、に代わりやがれ。」
「そんなにつれなくしなくてもいいんじゃないのかい?」
鬼はにぃと口元を歪めて笑う。
「わたしが出てきたんだから、この子たちは助かったんだよ?」
「‥‥」
「せめて、お礼の言葉の一つでも言ってくれてもいいと思うんだけどねぇ‥‥」
呟き、そっと顔を近づけてくる。
金色の瞳を細めて、悪戯っぽく、
「――ひじかたさん?」
みたいに、彼を呼ぶ。
同じ顔で、同じ声で、だけど、全然違う女が自分を呼ぶ。
色っぽい表情で、甘えた声で。
でも、
何とも思わない。
そればかりか、
「‥‥てめえ、むかつくんだよ。」
ひどく癪に障る。
「終わっただろうが。
いつまでもそいつの身体を好き勝手にしてんじゃねえよ。」
とっととあいつと代われと彼はその誘惑をはね除ける。
つれないねぇと女鬼は呟き、
「これはそもそも‥‥」
わたしの身体だというのに――
言いかけた鬼の中でどくんと、強い反応があった。
小さな光はやがて強くなり、広がっていた闇を一気に押しのけて這い上がってくる。
――も ど れ
やれやれ。
と鬼は肩を竦めた。
「ほんとうに、人使いの荒い人間だ‥‥」
その言葉を最後に、静姫はすっと彼女の奥へと落ちた。
途端、髪の色が元に戻る。
瞳の色も戻り、
「っ」
の足からふっと力が抜けた。
「っ!」
咄嗟に手を出して土方はの身体を抱き留めた。
片腕で支え、顔を覗き込むと濃い疲労の色が伺える。
同時に彼女の身体が小刻みに震えているのが分かった。
「‥‥だいじょう、ぶ。」
自分に言い聞かすみたいに、は零した。
自分の意志で指先が動くのが‥‥当たり前のそれがひどく安心する。
先ほどの自分は、叫んでも、暴れても、身体を動かす事は出来なかった。
そのうち、の存在は邪魔だというように、闇の世界へと閉じこめられる。
身体が闇に飲まれ、あたりは冷たく、凍えていく。
世界に、一人、取り残されたような孤独感が襲った。
なんの感覚もなかった。
何も見えない、聞こえない。
感じない。
――そのまま目を閉じれば消えてしまうのではないかという錯覚を覚えた。
自分はここにいる。
はそれを確かめるみたいに、もう一度手を握りしめた。
その手に、大きなそれが重なった。
「‥‥」
見れば土方が、心配そうな顔で覗き込んでいる。
「だいじょうぶ‥‥」
は決まり悪そうな顔で笑った。
触れる温もりが、これは現実なのだと教えてくれた。
ようやく、地面に着いた足に、力が戻った。
「ごめんなさい。」
自分の足でしっかりと体勢を立て直し、は困ったように笑う。
「私‥‥また‥‥」
言いかけたのを土方が首を振って遮った。
「いや、構わねえ。
おかげで鬼をどうにかする事が出来た。」
振り返り、天霧を見下ろす。
漸く傷の癒えた彼は、よろよろと覚束ない足取りで立ち上がる。
一撃を受けた名残が服だけに残り、青く冷えた瞳がを見た。
「‥‥まさか‥‥ここまでの力とは‥‥」
腹を一度ゆったりと撫で、苦々しげな口調で言う。
「やはり、君は、ここにいてはいけない存在だ。」
存在を全否定するような言葉に、土方は彼女の前に立ち、咎めるような視線と言葉からを守る。
「そんなことをてめえに決められる筋合いはねえよ。」
「‥‥あなたたちも、いずれ、彼女を持てあますことになりますよ。」
それでもいいのかと聞かれ、土方は迷いもせずに頷いた。
「手は昔っから焼かされてる。
こいつはじゃじゃ馬でな‥‥」
「土方さん、余計な事は言わなくていいです。」
は顔を顔色一つ変えずに反論し、そっと彼の影から天霧を見た。
長身の男と視線をばっちりと絡めると、は一度だけ溜息を吐いた。
「危険なのは‥‥分かってる。」
「。」
「‥‥私自身が一番痛感してるよ。」
この中にある力を解放したら、とんでもない事になると分かっていた。
戦いには興味がない。
どちらの人が生きようが、生き残ろうが、何とも思わないだろう。
もし求められても『あれ』は拒むだろうし、求めた人間を殺す。
しかし、
気まぐれに、
その手を取ってしまうと厄介だ。
『あれ』が戦いに関わると‥‥
きっと、敵対する人間は皆殺しだ。
下手をすると‥‥味方も殺すかも知れない。
ほんの気まぐれで人を殺して‥‥全てを壊して。
無に返す。
その中にの大事な人もきっといて‥‥
そんな事お構いなしに『あれ』は壊す。
それに、
「私自身も‥‥」
思い出してぶるりと震えた。
彼女はも簡単に消してしまえる。
実際、今だって、消そうとした。
彼女にとっては造作もない事だろう。
の意識を自分の闇の中に閉じこめ、じわじわと、彼女が落ちるまで待てばいい。
「。」
そっと背中を手が支えた。
気がつけばふらついていらしい。
その手に支えられると同時に、なんだか後押しされた気がして、は唇を引き結んでしっかりと天霧を見据えた。
「でも、諦めるわけにはいかない。」
諦めて彼女に全てをくれてやるわけいもいかない。
だからといって、天霧に殺されてやるわけにも。
は決めたから。
「私は、新選組の一員として、真っ直ぐに生きる。」
鬼とか、人間とか、
そんなこと関係なく、ただ新選組の一隊士として‥‥は生きると決めた。
生きて、彼らを支えると。
「‥‥」
その真っ直ぐな瞳を受け、天霧はそっと目を細める。
そこにある決意がどれほどのものか見極めるみたいに。
「それに」
土方が呟いた。
「‥‥俺がいる限り、こいつは大丈夫だ。」
彼は絶対の自信を込めた瞳を鬼へと向けていた。
端から聞いていると、どうしようもない口説き文句にも聞こえるのを‥‥二人は気付かない。
天霧はじっと羅刹である土方を見つめた。
さあと風が、彼の白銀の髪を攫った。
「そうまでして‥‥あなたは勝ちたいと言うのですか?」
羅刹となった彼をしっかりと見据えて彼は問う。
「その比類なき力は、呪われた力です。
そうまでして‥‥あなたは戦に勝ちたいと言うのですか?」
幕府のために――
そう問えば、土方は鼻でくだらねえと笑い飛ばした。
「俺が戦ってるのは幕府の為なんかじゃねえよ。」
そんなもの、取るに足らないものだと土方は言った。
「では何のために、あなたは戦うのです?」
天霧は問いかけた。
真っ直ぐな眼差しを真っ直ぐに返して、土方は口を開く。
「大切なもんを守るために決まってるだろ。」
言葉に、背に添えられた手に力が込められる。
まるで、彼女も彼の言う『大切な一つ』に入っているのだと、彼女に刻みつけるみたいに。
「そのためなら、呪われた力だろうがなんだろうが、俺は手に入れてやるつもりだ。」
そして、これからもその力を振るい続ける。
大切なものを、傷つけないために。
にらみ合いは‥‥ふっと漏れた天霧の溜息で途切れる。
「鬼である我々は、本来人間の世界に関わるべきではない。
羅刹となった君も、表に出てはいけない生き物だ。」
独り言のような言葉に、土方は分かってると頷いた。
「ああ、そりゃ分かってる。
俺は別に歴史に名前を残してえとか、そんな大それた望みは抱いちゃいねえ。」
「分かっているなら‥‥後は君に任せます。」
天霧は言って、一度、言葉を切る。
「風間は‥‥我が強く、気位の高い鬼だ。
以前屈辱を味あわせた君を、絶対に許しはしないでしょう。」
「‥‥」
「‥‥あなたが勝つ可能性は低い。
ですがそれでも守りたい何かがあるというのなら。」
天霧の瞳から、
「守るためのその力‥‥大切に使ってください。」
殺意が消えた。
ふいに緩む緊張の糸に、は知らずほっと溜息を漏らした。
一方の土方はその言葉の真意を探るみたいに天霧を見つめた。
斬られた腹の具合を彼は一度確かめ、上衣を正して、それからもう一度土方へと視線を向けた。
「一つ君に伝えなければならないことがある。」
「なんだ?」
土方は訊ねた。
「羅刹の力は決して神仏からの授かりものではない。」
「っ!」
言葉には一瞬驚きに声を上げかける。
その言葉は先日、薫から聞いた言葉だった。
人並み異常の腕力、敏捷性、そして驚異的な回復力――
それは全て、羅刹となった人間の身体に秘められた物だと。
彼らの優れた能力は、本来数十年かけてつかい果たしていくはずの力を借りているに過ぎない‥‥と。
薫の言葉では信じ切れなかった。
いや、信じたくなかったのかもしれない。
それを、彼とは接触のないはずの人間から言われてしまった。
「‥‥つまり、力を使えば使うほど、残りの人生が短くなっちまうってことか?」
問い返しながらちらりと隣に立つを見る。
彼女は目を眇めて、唇を噛みしめていた。
その様子は、事実を知って衝撃を受けた‥‥というそれではない。
どちらかというと、納得できない事実を受け入れざるを得なくて苦しんでいる‥‥そんな感じだ。
「なるほど‥‥話がうますぎると思ったんだ。」
土方は苦笑した。
「土方さん‥‥」
やけにあっさりとした様子で、彼は呟く。
「こんだけの力と神通力が手に入るんだ。
それくらいの代償があんのは当たり前、だよな。」
当たり前‥‥
と彼は、抵抗なく羅刹の力を‥‥そこに込められた最大の欠点を受け入れた。
つまり、
文字通り、
命を削って戦っている事を受け入れてしまった。
それはまるで、自分の死を受け入れてしまったような感じがして‥‥
「‥‥」
はなんだか少し悲しくなった。
「では、私はもう行きます。」
天霧は言うべき事は言ったという風に、くるりと踵を返す。
「ちょっと待ってくれ。」
本当にこのまま立ち去ってしまう彼に土方は声を掛けた。
「今、俺を見逃しちまっていいのか?
このまま放っておいたら、俺はきっとあの風間って男を殺すことになるぜ。」
すると天霧は静かな湖面のような感情の見えない表情でこう切り返す。
「君に倒されるならば、その程度の男ということでしょう。
我ら鬼は、情で繋がっているわけではない。」
どこか冷たささえ感じる言葉を吐いて、
彼は今度こそ背を向け、振り返りもせずに闇へと消えた。
それをと土方は無言で見送り、やがて、完全に気配は無くなる。
ふ、
と土方が溜息を吐いた。
それを合図にはそうだと声を上げ、振り返った。
「近藤さん!」
「っと、そうだ!」
言葉に反応して、土方も振り返る。
見れば近藤は斎藤に支えられて身体を起こしていた。
「近藤さん、無事か!?
どこか、怪我してねえか。」
刀を仕舞いながら、土方は彼へと駆け寄る。
「‥‥」
問いかけに、近藤はどこか魂の抜けたように、その場に立ち尽くしていた。
近藤さん?
とが問いかけるが、その声は届いていない。
ふと、は気付いてしまった。
ぼんやりとしたその瞳に、白い髪に赤い瞳の、
羅刹となった土方の姿が映っていたのを‥‥
「トシ、その姿‥‥」
「あ‥‥」
その一言で、近藤が何を言わんとしているのか悟ったらしい。
罰が悪そうに目をそらす。
「‥‥なったのか?羅刹に。」
悲しそうな響きの問いかけだった。
「ま、まあな。
しょうがねえよ。これも、新選組を勝たせる為だ。」
なんでもない事のように土方は言うが‥‥その瞳は、彼から逸らされていた。
彼の瞳から逃れるように。
不意に落ちる沈黙に耐えかねてか‥‥空からぽつぽつと雨粒が落ちてきた。
「早く行きましょう。
本降りになったら大変です。」
少しずつ強くなる雨足に、が進言する。
そうだなと頷いた土方は、
「近藤さん、早く行こうぜ。」
と促した。
だが、彼はまるで歩き方を忘れてしまったかのように‥‥その場に立ちつくしている。
「近藤さん?」
が呼んだ。
近藤の目は、何も映していなかった。
「俺は今まで‥‥一体何をしてたんだろうな。」
ぽつんと呟きが落ちる。
雨の音にかき消されてしまいそうな弱い声が。
「今日の戦で俺を信じてついてきてくれた若い連中をたくさん死なせてしまった。」
と泣き出しそうな顔で、近藤は呟く。
「その上、昔からのつきあいのおまえを‥‥羅刹にしてしまうなんて‥‥」
「近藤さん、いきなり何を言い出すんだ?」
少しおかしい近藤の様子に土方は苦笑を漏らす。
「誰もあんたのせいだなんて思ってねえよ。
どんな名軍師だって、刀じゃ銃にはかてねえ。」
俺だってと、土方は言う。
「鳥羽伏見の戦いじゃ判断を見誤って、源さんを‥‥死なせちまってるんだ。」
僅かに顔を顰め、何かを思いだして、緩く首を振る。
それから強い声で、こう続けた。
「負けちまったのはしょうがねえ。
大事なのはこれからどうやって勝負をひっくり返すかってことだろ?」
それに、と彼は言う。
「俺は羅刹になったことを後悔なんてしてねえよ。
むしろ、人間を遙かに超えた力を手に入れて――それをあんたの為に役立てられる。
うれしくてしょうがねえさ。」
雨粒がいくつも顔を叩く。
ふと見上げれば‥‥その青白い顔を雨が流れていく。
「すまん‥‥弱気になってしまったな。
今の言葉は忘れてくれ。」
それはまるで‥‥泣いているかのように見えた。

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