「沖田さん‥‥」

 

呼びかけに瞼をゆっくりと押し上げる。

一瞬だけ霞む瞳に、千鶴の表情が映り込んだ。

現れた翡翠みたいな瞳を見て千鶴は少しだけ安堵したものの‥‥その表情はまだ、晴れない。

 

「なんで、君がそんな苦しそうな顔するのかなぁ」

 

茶化すように言ったが、声は掠れていた。

それが更に少女の不安を煽ったようで、

 

「っ」

 

その顔が瞬時にして歪む。

 

「泣かないの。

僕はもう平気だから。」

泣きそうな顔になった彼女に釘を刺し、よいしょと彼は気怠い身体を起こした。

じわと首筋に浮かんだ汗が伝い落ちる。

着物に染みこんだ汗のせいで‥‥少し気持ち悪い。

 

「‥‥もう、大丈夫ですか?」

 

千鶴は声を掛けた。

その目も、髪もいつもの沖田のものに戻っている。

それでも心配そうに聞いてくる彼女に、沖田は本当に心配性だなぁと苦笑した。

 

「大丈夫。

君の、薬のおかげだね。」

彼の言うとおり、薬のお陰で沖田の吸血衝動は収まった。

しかし、大丈夫と言うにはほど遠いほど‥‥彼は痛みに長い時間耐えなければいけなかったのだ。

薬は効いた。

ただ‥‥薬が効き始めるまで時間が掛かった。

その間、彼は痛みを堪えなければいけなくて‥‥苦悶の表情を浮かべる彼を前に千鶴は己の無力さをただ

ただ呪った。

「ごめん、なさい‥‥」

「なんで謝るの?

ちゃんと薬は効いたのに。」

と言えば、彼女は頭を振った。

 

違う。そうじゃない。

 

『彼の苦しみを消し去ってあげたい』

 

そう思っていたのだ。

それなのに、結局彼には苦しみを、痛みを与える事になった。

薬が効くまでの長い時間‥‥彼は耐え続けなければいけなかった。

 

こんなんじゃなくてもっと‥‥

もっと、

 

 

「君とはよく似てるよね。」

不意に、沖田に言われて千鶴は顔を上げた。

それは今日、別の人にも言われた言葉だ。

「‥‥山崎さんにも言われました‥‥」

彼には、一途なところが似ていると言われた。

そう言えば、沖田はなんだか面白く無さそうな顔になって、

「山崎君に?

そんな事分かっちゃうくらい、君、山崎君と仲良しなの?」

と言ってくる。

どうしてそこで不機嫌になられるのか千鶴は分からなくて首を緩く振った。

仲がいいかと聞かれたらそうではない。

かといって思いっきり否定すると彼に悪い気がして、曖昧になってしまう。

そんな彼女を見て、まあいいやと沖田は呟いた。

 

「とにかく、似てるよ。」

「‥‥そう、ですか?」

うん、と沖田は頷く。

「お節介な所とか‥‥心配性なところ。」

「‥‥それ、誉めてませんよね‥‥」

半眼で千鶴は沖田を見遣った。

「あと、自分に厳しいところ。」

「厳しくなんかないですよ。」

「あ、一人で溜め込むあたりも似てるかも。」

「‥‥やっぱり誉めてない。」

千鶴はむむと眉を寄せた。

その反応に沖田は少しばかり笑みを漏らし、

 

「それと‥‥男の趣味が悪いところ。」

 

小さく呟いたそれは聞こえなくて千鶴はなんですか?と訊ねた。

「ううん、なんでも」

と誤魔化しながら、沖田は内心で自嘲した。

 

本当にも千鶴も男の趣味が悪い。

多分、本人は気付かれていないと思っているのだろうが‥‥沖田には分かった。

彼女が土方に対して他の人間とは違う感情を抱いている事。

だって、ずっと一緒にいた。

だから分かる。

の気持ち。

 

なんて趣味の悪いと思ったけど‥‥千鶴も同じだ。

どうして自分たちのように面倒な男を好きになったのだろう。

 

土方のように優しさに素直に甘えられない不器用で、頑固で、変な所だけ真面目な男と。

気まぐれで、優しくもなくて、苛める事で相手に好意を示すような子供みたいな沖田。

 

二人とも互いに死に場所を求めている。

自分が、こうと決めた死に方を求めて生きている。

矛盾があるかもしれないが、そうだ。

彼らは戦いの中でしか自分を見いだせない。

だって。

自分たちは武人だから。

戦うことしか知らないから。

だからきっと、好いた女との幸せなど見向きもしない。

そんな男についてきたら、きっと彼女たちだって幸せになれないのに。

 

でも、

も千鶴も彼らを選んだ。

悲しいくらいに真っ直ぐなまでの心で‥‥

彼らを信じ、どこまでも付き従うのだろう。

 

そして、

彼女たちは小さい癖に、その大きくて優しい心で‥‥

彼らを包み込むのだろう。

 

「‥‥似てるよ、ほんと。」

「‥‥」

「あ、でもは君みたいに泣き虫じゃないけどね。」

ちょんと鼻の頭をくすぐられ、千鶴ははっと自分が涙目になっているのに気付いて慌てて目を擦った。

「ち、違います!泣いてるんじゃなくて‥‥これはっ」

「あ、素直じゃない所は似てるかも」

「沖田さん!」

くすくすと笑う彼は、もう随分と具合が良くなったように見える。

ただ先ほどのは決して幻ではない。

首筋に残る汗や、零す吐息の熱さからそれはよく分かった。

 

と似ている‥‥というのならば‥‥

どうして自分はもっと役に立てないのだろう。

彼を支える事が出来ないのだろう。

彼女のように、相手に気を遣わせる事もなく、気丈に振る舞えないのだろう。

それとも、

も千鶴のように悩む事があるのだろうか。

自分の無力さに歯がゆい思いをする事があるのだろうか?

 

「また悩んでるの?」

君はよくよく悩みの尽きない子だねと沖田に笑われた。

千鶴は唇を尖らせ、だってと呟く。

「私‥‥何も出来ない。」

「薬作ってくれたじゃない。」

それで十分だよと言うと千鶴は首を振った。

確かに薬で彼の吸血衝動は抑えられた。

でも、根本的な解決には至っていないし、なにより、

「沖田さんが‥‥苦しみを‥‥」

消し去ってやる事は出来ない。

それは彼が越えなければいけないことで、自分は横で見ているしかできなくて。

結局何も出来ていないじゃないか。

 

「それは仕方ないじゃない。」

しかし沖田はあっさりと告げた。

「僕が選んだ事だから。」

それは、君は気にしなくていいんだよと言われているようにも、千鶴には関係の無い事だと突き放されたよう

にも感じる。

千鶴は奥歯を噛みしめた。

「なんでそんな顔するのさ。」

沖田は苦笑して、千鶴の頭を撫でた。

 

「僕が羅刹になった事は僕が決めた事。

だから、僕が苦しんでそれを乗り越えるのは当たり前じゃない。」

「でもっ」

口を開けば、その先を笑みで遮られた。

こうなると平行線だ。

「そうやって、僕にいちいち反応してくれるあたり‥‥僕の玩具として役に立ってくれてるよね。」

「沖田さん!」

もう、と千鶴は頬を膨らませた。

ああまた、誤魔化された。

くすくすと笑う沖田は、やがて、視線を自分の手元へと落として、呟いた。

 

「でも本当に‥‥僕は君が傍にいてくれるだけでいいんだよ。」

「沖田さん?」

「君は僕を必要としてくれるでしょ?」

「当然です!」

千鶴は強く頷いた。

それは聞きようによってはとんでもない愛の言葉だと思うけれど、そんなの彼女は気づいていないだろうと沖田

は苦笑を漏らす。

 

「君は‥‥僕が労咳になっても、いつ血に狂うか分からない羅刹になっても‥‥僕を必要としてくれた。」

「‥‥沖田さん?」

「それだけで、僕には救いなんだよ。」

 

沖田の静かな呟きは、窓を叩く風の音でかき消えた。

 

それが救いだった。

彼女が自分を必要としてくれるだけで。

自分にはまだ存在価値があるのだと‥‥

やるべき事があるのだと。

彼女が教えてくれている気がしたから。

 

そう、

彼女は意味をくれた。

 

自分がここにいる意味。

在り続ける意味。

 

「だから僕は‥‥」

 

狂わずにここにいられる。

 

沖田はそっと呟き、目を閉じた。

 

「沖田さん?」

眠るんですか?と控えめに聞いてくる声に、沖田は答えられたか分からない。

 

ただ、心の中で彼は応えた。

 

狂わずに‥‥ここにいられる。

狂わずに、

あの人を‥‥

 

そして、

 

君を、

 

守り抜きたい――