6
自分が決めた事だ。
それは自分が決めた事。
だから誰を責める事も出来ないのは分かっていた。
そして、決めたからにはそう‥‥するべきだって分かっていた。
でも。
分かってはいてもやはり――
それから何日かが経った。
あいかわらず土方は多忙を極め、あちこちを走り回った。
しかし、あれから彼は食事も睡眠も‥‥少なくとも『誰か』が心配をしない程度には取るようになった。
顔色も以前よりも良くなり、たまに疲れた表情を見せたが、いつかのように危うげな印象は無くなっていた。
そして、旗本屋敷が屯所として宛がわれ、全員がそこに移ったある日。
近藤が漸く、肩の傷を癒して新選組の元へと戻ってきた。
そんな事にほっとしたのはつかの間。
彼は徳川幕府より、さらなる地位と、金と、そして武器をもらって、甲府城へと向かうように命を下したという。
意気揚々と出陣を口にする近藤とは違って、永倉と原田が渋い顔をしてみせた。
殿様気取りな彼の態度が気にくわないと言わんばかりで‥‥
は僅かに不安を覚えた。
近藤と永倉達の間に、何か見えない壁ができはじめたと思ったからだ。
それは何かの予兆のようにも感じた。
「誰?」
甲府城へと出立する事が決まった、朝。
はいつもよりも早めに目を覚まし、広間へと向かった。
中から賑やかな声が聞こえ、戦いの前にしてはなんとも楽しげなものだとは声を掛け、襖を開く。
しかし、
広間に入った瞬間、見慣れない容貌の男達の姿に、の口からは思わずそんな言葉が漏れていた。
「お、相変わらず早いな、。」
振り返り手を振るのは、確かに、
「新八さん‥‥ですよね。」
永倉の物だが、その装いが違う。
いつもの着物姿ではなく、何故か鮮やかな鶸萌葱色の陣羽織に、下は黒の洋服だ。
「なんで、洋服?」
と訊ねれば隣にいた男が口を開く。
「副長の指示だ。
今日から戦の時は洋装にすべし‥‥とな。」
こちらは、以前と同じ黒だが‥‥羽織っているのは着物ではなく、黒の外套だった。
そしてどういうわけか、髪の毛がばっさりと、結っていた所から切り落とされている。
「は‥‥一?」
ぽかんと口を開け、間抜けな顔を顔をしてみせる彼女に斎藤は少しばかり口元に笑みを浮かべる。
の驚いた様子が新鮮だったのだろう。
「はは、さすがのも驚いたか?」
その後ろでけらけらと朗らかな笑い声が聞こえてくる。
「そ、そりゃもちろん‥‥」
驚きますよと続いた言葉も、また、ぽかんと口を開いた事で止まる。
声で判断すれば原田だった。
しかし彼もまた、以前のような着物姿ではなく、白と黒の羽織を身に纏っていた。
普通は首元まで留めるものなのだろうが、だらしなく緩められた胸元に、やはり彼らしいと思いつつも、
「髪‥‥」
彼もまた、髪の毛を結った所から切り落としてしまっていた。
なんで。
ともう一度口にすると、原田が教えてくれる。
「敵は全員洋装だからな。
勝つ為にはこっちの方が都合が良さそうだ‥‥って土方さんが。」
なるほど‥‥とは納得した。
洋装とは言っても彼らの腰にはしっかりと刀が差してある。
洋装になっても持つ武器は変わらないのだ。
「どうだ、似合うか?」
永倉が何故か力こぶを作って、見せつける。
似合っているが中身はやっぱり変わらないなぁとは笑い、
「ええ、とっても。」
と答える。
それは決してお世辞ではなかった。
永倉も、原田も、斎藤も。
着物でばかり見慣れていたが、洋服姿もなかなか様になっている。
これは元がいい、と誉めるべきか‥‥
「それじゃ、私も洋装にした方がいいのかな?」
は自分の着物を見て呟いた。
彼女もさして着物に執着がある方ではない。
洋服の方がいいと言われればそれに従う。
「あ、おまえの洋服も用意してあるぞ。」
永倉の言葉と共に、斎藤が手にしていたそれを差し出す。
「‥‥これ?」
やはり白と黒、らしい。
が受け取ると、斎藤は静かに言った。
「土方さんが、これを、と。」
その彼は一体どこへ?
「‥‥」
時を同じくして、
別の場所でもぽかんと少女は口を開いたまま、驚きの表情を浮かべていた。
まさか、姉と慕った人が同じような表情をしているとはつゆ知らず。
「ずいぶんと窮屈だね。西洋の服って‥‥」
そんな千鶴に気づいているのか気づいていないのか、沖田はそんな感想をぽつりと漏らす。
対して返ってきたのは、
「自分は着たことがないので分かりません。」
というまるっきり他人事の山崎の一言だ。
「‥‥ああ、そうだよね。
山崎君に同意を求めた僕が馬鹿でした」
沖田は拗ねたような顔で言い、今度は千鶴の方へと向き直る。
ぽかんとしていた千鶴は視線を合わされ、はっと我に返った。
「どうかな、千鶴ちゃん‥‥変?」
両手を広げて、子供が親に綺麗な着物を見せるような格好をしてみせる。
変?と聞かれた千鶴は何故か、
「あの‥‥いや、その‥‥」
言葉に詰まってしまった。
今まで結っていた髪を切り落とした事で印象がかなり変わってしまった。
そのせいか、以前よりも男らしい印象を受ける。
いや、前が別に女らしかったというわけではないのだが‥‥髪が短くなったことで更に凛々しくなったという
か‥‥
「‥‥似合ってます‥‥すごく。」
「なんで目をそらすのさ。」
問われて千鶴はしどろもどろになる。
「自分でもよくわからないんですけど‥‥」
何故か照れてしまうのだ。
彼女が着ているわけではないというのに。
「つまり、惚れ直したってこと?」
そんな彼女の様子に、都合のいい解釈をしてみせる。
とんでもない不意打ちで一瞬の間の後、千鶴は思い切り動揺してしまった。
しかしそれを表に出せば彼の思うつぼ、である。
だから極力平静を保ち、
「そんなことありませんから」
なんでもない口ぶりで千鶴は言葉を放つ。
すると、沖田はひょいと肩を落とし、
「‥‥だよね」
何故か悲しそうな顔をした。
これにまた千鶴は動揺する。
「いや、あのっ‥‥」
もしかしたら先ほどの自分はきつい口調になっていただろうか?
そうじゃない、そうじゃなくて‥‥
千鶴はあれこれ考えた後、視線を落として、素直な感想を口にした。
「‥‥‥格好良い、です。」
お世辞でもなんでもなく、格好良いと思った。
短い髪も、少し派手なくらいの黄檗色の羽織も。
「ふーん?」
彼女の言葉に沖田は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「‥‥」
なんだか‥‥彼にまたしてやられた気がする、と千鶴はそっとため息を零した。
見た目は変わっても、彼は彼‥‥だった。
「ところで、出立は何日に?」
我関せずを貫いていた山崎がようやく本題へと話を戻す。
そうするとすぐに、沖田の表情は冷たいものへと変わってしまい、
「僕は今すぐにでも出発したい。」
どこか急いた様子で彼は言う。
彼の心情を考えれば当然だ。
もうここで随分足止めを食らってしまっている。
少し前に近藤が復帰したという報せを聞いた。
そして、甲府城付近の治安を保つよう新選組が幕府から命じられたと聞いたのはつい昨日の事だ。
そして、近藤から沖田も参戦するようにと手紙をもらったのが今日。
新選組が出立したかどうかは分からないが、早く追いつかなければいけない。
出来るなら今すぐにでも出立して、彼らと合流したいくらいだろう。
そう言うのを見越していたのだろう。
山崎は、
「では明日の晩‥‥松本先生に診察に来ていただきます。
沖田さんはもう一度診察を受けてください。」
淡々とした口調に沖田はうんざりとした表情を浮かべる。
それに構わず、山崎は続けた。
「異常があるようなら、参戦は自重するように‥‥と副長からお達しが出ています。」
「僕に異常があれば‥‥土方さんは喜ぶんだろうね。」
「そんなこと‥‥」
ないと思いますと千鶴が咄嗟に口を挟む。
ただ単に、土方は沖田を心配しているのだと、彼女は思った。
土方が優しい人だと知っていたから。
彼が沖田の身を案じていると知っていたから。
そう言うが、
「‥‥そうなのかな」
沖田は納得できないような不満顔のまま、そっぽを向いた。
「あんな大怪我をさせたのに、また近藤さんを戦場に連れ出すんだ。
土方さんは後ろめたくて僕に会わせる顔がないんだよ。」
その瞳に凍えるような怒りが浮かんでいる。
しかし、
その口ぶりと言っていることはどこか幼く感じた。
まるで‥‥仲間はずれにされたと拗ねている子供のようだと、千鶴は思った。
それだけ沖田にとっては近藤や土方が大事なのだろうと。
「総司、大丈夫かなぁ?」
ぞろぞろと行軍する一同の中、がぼそりと呟く。
その隣には原田がいて、
「大丈夫だろ。千鶴の手紙にも順調に回復してるって書いてあったし。」
笑顔でそう答えてくれる。
その手紙で沖田も参戦する気満々ですと書いてあったが‥‥も少しばかり不安だった。
また無茶をしていなければいいが‥‥
「まあ、千鶴ちゃんがいるから大丈夫か。」
「そういうことだな。」
原田は呟き、それから改めてを見る。
「ん、なに?」
見られた彼女はひょいと首を捻ってみせる。
さらりと飴色の髪がその背中を流れ落ちた。
彼女が今身につけているのは紺碧の着物ではなかった。
原田達同様、慣れない洋装に身を包んでいる。
白の上衣に、黒の様式の袴。
その上には黒の陣羽織を纏っている。
腰には皮のベルトとやらを巻いており、そこに刀を差していた。
土方が彼女にと渡した洋服はなんとも簡素でありながら、
「‥‥似合ってるよなぁ‥‥」
細身の彼女にはよく似合っていた。
なんだか地味に思えるが‥‥またその控えめなのが彼女自身を引き立てている。
全体を黒で引き締められているせいで硬質な印象を与えるが‥‥胸元を紐で結ぶという遊び心のおかげでいい
具合に崩れて見えた。
まるで彼女そのもののようだ。
「似合ってます?」
は茶色の、長めの靴を鳴らした。
歩き慣れないはずのそれは、しかし、よく足に馴染んでいた。
馴染んでいるといえば、その服もそうだ。
小さめかと思いきやまるで彼女のためにあしらえたかと思うほどぴったりだったのだ。
「よく、似合ってる。」
さすが‥‥と原田は続きそうになった言葉を飲み込んだ。
さすが、
土方自らが選んだだけの事はある‥‥という言葉を。
ジャリと足音が聞こえ視線を二人揃って前へと向けると、
「、ちょっといいか?」
土方が声を掛けてきた。
一瞬、その慣れない姿に戸惑う。
彼もまた、黒を基調とした雅な雰囲気の洋服だった。
やはり彼は色が白いから黒がよく映える、と思う。
その雅な洋服は、役者のような端正な風貌にとてもよく似合っていた。
それに何故だろう、きちんと着込んでいるくせに、なんだか色っぽく感じて、
思わず、見とれてしまう。
「どうした?
俺の着方にどこかおかしな所でもあるか?」
最初に凝視してしまった時、そう聞かれた。
は慌てて首を振り、今も思わずじっと見てしまいそうになって、意識を別へと向ける。
「これからの予定で打合せがしたい。」
「俺は?」
原田が名乗りを上げると、彼はまだいいと首を振った。
「分かりました。」
は頷いた。
頷いたのはいいが、いつまで経ってもその足を踏み出そうとはしない。
ああそうだった。
土方は苦笑を浮かべると、くるりと背を向け、歩き出す。
そうしてようやく‥‥
「‥‥」
は一歩を踏み出した。
『近付かないから』
彼女は、その言葉の通り‥‥
土方に近付く事は一切無かった。
だから二人の間には、常に微妙な距離があった。
決して指先が触れる事のない、距離。
互いに触れる事がない、距離。
決して詰まる事のない距離に、周りは困惑の表情を浮かべ、
互いに、
どこか悲しげな笑みを浮かべるのだった。
こうして新選組は『甲陽鎮撫隊』と名を改め、八王子経由で甲府に向かうこととなった。

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