5
闇の中に、はまた一人いた。
事実を知れば、夢はもっと鮮明になっていく。
自分が殺した人の顔。
その人の名前。
声。
性格。
はっきりとしたその人達は、皆一様に、自分を詰った。
『ひとごろし』
と。
はそれを真っ向から受けながら、そうだと答えた。
私は人殺しだと。
だけど、とは反論した。
「ならば人は何をした?」
自分たちに何をした?
里の人間を殺し、焼いた。
自分が同胞を殺した原因は、誰だ?
彼ら人間ではないのか?と。
憎むべきは人である、と。
そうすると、目の前にいた少女がそれじゃあと口を開いた。
『あなたは、どうして彼らと一緒にいるの?』
彼。
ばさりと、
浅葱の風が吹く。
鮮やかな青に、は一瞬、怯んだ。
目の前に立つのは‥‥かつての仲間。
自分の、
家族だと思っていた人達。
だけど、
彼らは自分が憎むべき人。
過ちを繰り返す愚かしい生き物。
「‥‥私は‥‥」
それでも、彼らを許したいと思う自分は‥‥都合がいいのかもしれない。
同じ人だけど、彼らは違う。
そう、は思った。
『でも』
と少年が口を挟む。
『彼らは‥‥姉さんを見てどう思うかな?』
鬼の姿の自分を見て。
あの醜い姿を見て。
憎しみで、
我を忘れて人を何人も何十人も殺した自分を見て。
どう思うだろうか?
『‥‥‥』
彼らの瞳がそうっと細められた。
そこに嫌悪の色を見て、は恐れた。
『信じらんねーよな。人をあれだけ殺しておいてオレたちと一緒に行こうだなんて』
『そのうち俺らも斬られるんじゃねえのか?』
『背中なんて怖くてあずけられねぇよ。』
『おまえは‥‥信用できない』
『そうだね、だって、鬼だもんね』
そんな、
とは一同を縋るような目で見た。
『出てってよ』
『出て行け』
『俺たちの元からいなくなれ』
『失せろ』
『鬼の元に帰れ』
彼らは口々に言う。
「わ‥‥わたし‥‥」
は泣きそうな顔になった。
瞬間、
目の前から浅葱の人々は消える。
変わりに‥‥
「土方さん‥‥近藤さん。」
二人が現れた。
彼らはこちらを真っ直ぐに見つめていた。
無言のまま。
ただ、じっと見つめた後、
『化け物――』
土方の口から零れた言葉に、
世界は赤く染まった。
「総司は、明日、松本先生の所に移すそうです。」
ゆっくりと瞳を開ける。
やけにぼやけた視界に、はもう一度、瞬きをした。
瞬間、目尻から流れるものがあり、自分は夢を見て泣いたのだと、気付いた。
そして、襖の外に人の気配を感じる。
「総司には、山崎君と千鶴が同行する事になりました。」
斎藤の声だ。
「そうか。」
応えるのは土方の声。
はどきりとした。
夢を思い出して、知らず身体が強ばるのが分かった。
はぁ、と一つ土方はため息を零すと、
「‥‥とりあえずあっちは、松本先生に任せるしかねえな。」
と呟いた。
それよりも、こちらの問題の方が大きい。
「‥‥」
土方はふと、何かを思って襖を開ける。
「‥‥副長?」
は目を閉じて規則正しい寝息を立てていた。
先ほど見たときと変わらない。
あ、いや、一つ違う。
目尻から、何かが零れた痕があった。
それが涙の痕だと分かると、彼の顔が歪められた。
副長?
ともう一度斎藤に呼ばれ、すぐにそれを解く。
「‥‥なんでもねぇ。」
彼は苦笑で答えると、そっと控えめに襖を閉めた。
襖を閉めた土方は、一つ、溜息を零す。
それは震えていた。
「、ですか?」
彼の様子に気付き、斎藤は訊ねる。
副長をそこまで悩ませるのは彼女なのか、と言葉に出さずに訊ねると、
「それ以外に、俺を悩ませる問題児がいるかよ。」
くっと彼は喉を震わせて彼は認めた。
それから、双眸を細めて、ぽつりと零した。
「気がつくと‥‥俺の手を離れて消えちまいそうで‥‥」
何も言わずに幻みたいに。
かき消えて。
自分の手の届かないところへ。
行ってしまいそうで。
「副長。」
「‥‥ああ、悪い。
俺の気のせいだ。」
心配げな顔でこちらを見る斎藤に、土方は緩く首を振った。
それで‥‥
と続ける声が小さなそれになる。
を思っての事だろう。
それならば別の所で話せばいいのにと思ったが、きっと、彼らなりにを心配してくれているんだろう。
「‥‥」
は闇の中でもう一度目を開いた。
彼は、相変わらずだ。
鬼の姿の自分を見ても。
相変わらず。
優しくて‥‥笑えてくる。
自分なんて心配してもらう権利はないのに。
きっと、彼も自分のしたことを言えば、顔を歪めるに違いない。
自分は正真正銘の化け物だ。
人を、同胞を、
見境無く殺す化け物。
感情に任せて刃を振るう、
ただの化け物だ。
姿も醜ければ、心も醜いとは‥‥
は低く嗤った。
笑った瞬間、喉の奥が引きつって咳が漏れそうになる。
それを堪えて身体を丸めると、涙が浮かんできた。
それも、唇を噛みしめて堪えた。
「?」
もう一度外から声が掛けられる。
今度は、襖は開かなかった。
だけど、ひどく優しい声で‥‥は生理的に浮かんだ涙を感情的に流してしまいたくなった。
「傷つけたく‥‥ない‥‥」
涙を堪えるように、噛みしめた唇の隙間から声を漏らした。
せめて。
「彼らだけは、傷つけたくはない。」
かつて、
人を憎しみ、
殺した自分のようになりたくはない。
あの時、
幼い少女を殺さずにいられたときのように、
また、
自分が自我を保てるかなんて分からない。
殺したくはない。
彼らは。
はぎゅっと瞳を閉じた。
傷つけるくらいならばいっそ――
いっそ――
は翌日。
だいぶ、日が昇ってから身を起こした。
起きるには随分と寝坊と言われる時間だが、その時間は暇を持てあましている人は少ないだろう。
特に、
忙しい土方や斎藤はそう。
毎日のようにあちこち奔走しているのは分かっていた。
見とがめられて困るのは、あの二人くらい。
沖田は伏せっていると聞いた。
他の人間は口でなんとでも言い負かすことはできる。
出るなら、
今。
の荷物は多くない。
自分の身、一つと、刀とがあればいい。
幸い、久遠は枕元においてあった。
はそれを腰に差すと、すっくと立ち上がった。
「‥‥」
そっと襖を開ける。
廊下には人はいない。
よし、とは部屋から滑り出た。
そうして足音を立てないように、歩く。
静かな廊下には、僅かな床の軋む音までも響くような気がした。
「あー!もう耐えられねぇ!!」
突然、どこからか永倉の馬鹿でかい声が聞こえた。
不機嫌そうな声だった。
本当ならば早く出ていかないといけないのだけど‥‥つい、足が、止まった。
何事だろうと耳を傾けてしまう。
永倉が何かを喚いている。
ああ、また今度は何を言ってるんだだろうと思ったら、すぐに、
「新八、落ちつけって。」
原田の宥めるような声が聞こえた。
困ったような顔で止めているに違いない。
宥められ、永倉の怒鳴り声は「だってよぉ」という小さな言い訳に変わる。
それからすぐに、二人の声は笑い声に変わる事だろう。
いつもの‥‥彼らだ。
くす、とはつい笑みが浮かんで笑ってしまった。
以前であれば、その二人に藤堂が混じる。
あの三人は、よく馬鹿な事をしていたなぁと呟くと、
ふいに耳の奥で声が蘇った。
いつも始まりはあの三人。
三人の馬鹿騒ぎに、沖田が茶々を入れる。
騒ぎを大きくして楽しんでいるに違いない。
斎藤は無言でその場に。
一言二言「その辺にしておけ」とか窘めるんだろう。
やがて肩を怒らせた土方が部屋にやってきて、
「てめぇらちったぁ静かにできねえのか!」とか怒鳴り散らして、
近藤が人のいい顔を歪ませて「まあまあ」と宥める。
山南があきれ顔。
井上は穏やかに見守って。
きっと、
千鶴はおろおろしているに違いない。
その中に自分がいて、
一緒に笑って。
‥‥笑って‥‥
「‥‥」
は一度だけ、懐かしむように目を細めた。
思い出すのは彼らと過ごした決して長くない、日々。
楽しいことや苦しいこと。
いろいろあったと思い出す。
決して平穏とは言い難い毎日だったけど、
それでも楽しかった。
みんながいて。
自分がいて。
暖かい笑顔があって。
『』
そう、呼んでくれるだけで、
それだけで良かった。
にとっては、それが幸せで。
それが、
全て。
「ありがと‥‥ね」
今までいっぱいいっぱい、ありがとう。
あなたたちのおかげで、
私はここまで大きくなれた。
強くなれた。
優しくなれた。
あなたたちがいたから。
この世界に、
とどまり続けることが出来た。
あのまま暗い、絶望の中で死ぬこともなく。
暖かい事や幸せな事。
それを知ることが出来た。
それでもう、
十分――
は瞳を閉じ、
やがてそれらを断ち切るように頭を振って、一歩を踏み出した。
その瞬間、
「‥‥っ」
香のにおいがした。
決して香に詳しいわけではないが、そお香りだけはすぐに分かった。
白梅の香り。
「土方さん‥‥」
時節的に梅など咲いていないはずだ。
となると、これは彼の香り。
名を呼んで、自然、瞳が彼を捜した。
見咎められたら何より厄介な相手だっていうのに‥‥彼女は無意識に彼の姿を探した。
いや、違う。
彼はここにはいない。
幻覚か、それとも、彼がついぞ前までここにいたのか。
それは分からない。
否それ以前に彼のものかも分からないのに、何故か彼を想った。
――あの仏頂面は、自分が消えた事を知ったら烈火のごとく怒るだろうか。
いや、きっと、心配するに違いない。
優しい人だから。
きっと、心配して、探しに来る。
そんなことはしないでほしい。
自分のことなど放って、先に進んで欲しい。
彼のやるべき事を貫いて欲しい。
大丈夫、
私は一人で行けるから。
大丈夫だから。
「‥‥」
ほう、と溜息が一つ漏れた。
何故か寂しげな溜息で、は慌てて頭を振る。
馬鹿な事を一瞬考えた。
最後に一目、と思った自分が恥ずかしかった。
一目会ったが最後、彼が見逃してくれるはずないというのに。
それに、
最後に一目でも見てしまったら、
きっと、
決心が、鈍る。
――ずきん
と胸を刺す痛み。
迷う自分を苛むのか、
それとも迷う自分を思い直させるのか‥‥
「だめ」
は強く呟いて、無理矢理断ち切った。
「行かないと‥‥」
ずきずきと胸が痛んだ。
その痛みに顔を歪めながら、今度こそ、振り切るように背を向けた。
もう、振り返らない。
戻らない。
そう、自分に言い聞かすように前を見つめ、
不意に、
――さぁ、
と行く手の先で、襖が開いた。
思い出に浸っていて気づかなかった。
気づいたときにはそこから人がぬっと出てきて、
「あ‥‥」
は目を見開く。
部屋から出てきたのは、今、できれば一番出会いたくない人の姿。
「土方‥‥さん‥‥」
彼も同じように目を丸くしていた。
その顔が少し‥‥青いような気がした。
「‥‥」
おまえ、起きて‥‥
と彼は口を開く。
しかし、次の瞬間、
「っ――」
「っ!?」
くるりとが踵を返した。
脱兎のごとく廊下を走る。
土方は彼女の名を呼んで、すぐに追いかけた。
どたどたと、
副長とその助勤の追いかけっこが始まった。

|