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――ざん!!
「ぎゃぁああ!」
闇の中を浅葱色が駆け抜ける。
その後を悲鳴が、血が上がり、あたりを赤く染めた。
暗い色を湛えた瞳が面白くもなさそうに刃を振るう。
ただ、人を殺すためだけに刃が。
「し、新選組の沖田総司だぁ!!」
声を上げた男は次の瞬間、絶命した。
沖田の一刀が男の身体を両断した。
「これはっ‥‥!!」
千鶴がやってきたときには、そこには血の池と死体の山があった。
生きているものはもういない。
沖田以外は‥‥
通りに布陣していた薩摩藩の人間は、一人残らず殺された。
人を凌駕する圧倒的な強さで、沖田は敵陣を壊滅に追い込んだのだ。
しかし、彼はその場にいる全員を殺しても、気が済まなかった。
抜き身の刃を手にしたまま、ゆらりと別の方へと歩き出そうとする。
「沖田さん!」
千鶴は彼の行く先に飛び出した。
両手を広げて、立ちふさがった。
「‥‥何しに来たの?」
男はぞっとするほど恐ろしい顔をしていた。
表情のない顔は返り血で染まり、その瞳は羅刹ではないというのに赤く染まって見えた。
怒りと、凶暴な殺意で。
鋭い視線を向けられ、千鶴は一瞬息を飲む。
彼女さえも敵として斬り殺しかねない‥‥そんな眼差しだった。
多分‥‥以前の千鶴ならばそんな彼を見て何も言えなかったに違いない。
恐怖し、口をつぐんだかもしれない。
だけど。
千鶴は怯まず、その視線をまっすぐに見つめ返すと口を開いた。
「沖田さんを、止めに来たんです。」
言葉に、沖田は表情を歪めた。
「‥‥僕を?君が?」
嘲りと、そして不愉快がその瞳に浮かぶ。
「僕は自分の勤めを果たしてるだけだよ。
君にどうこう言われる筋合いはない。」
彼はその表情のまま、突き放すように言った。
冷たい声に、千鶴は一瞬だけ怯みそうになる。
でも‥‥
「沖田さんがしていることは、本当に新選組の務めなんですか?」
「敵を殺すのが僕の務めだよ。」
彼は淡々と答える。
間違った事などしていないと、そういう風に。
それならば、
「どうして、誰にも言わずに出てきたんですか?」
千鶴は問いかけた。
「‥‥」
その瞬間、沖田はひどく不愉快そうに眉を寄せた。
「沖田さんもわかっていたんでしょう?」
「‥‥」
「これは正しくないことだ、って。」
彼女の言葉に、沖田はゆっくりと口を開く。
「‥‥僕がしているのは、単なる私闘だって言いたいのかな。」
「‥‥」
無言のもとに、千鶴は頷いた。
彼が誰よりも好きな近藤を、あんな目に遭わせた人間を、根絶やしにしてしまいたい。
その一心で、男は刃を振るっていると、千鶴は思った。
いや、分かった。
何を偉そうにと言われるかもしれないが、それが沖田総司という人間だと、千鶴は知ったから。
「そうだとしても‥‥
それの何が悪いのかな?」
沖田はそんな彼女に冷たく訊ねた。
「僕の仕事は、殺し合いをすることだ。
理由なんて二の次でも、結果が同じなら問題ないと思うけど?」
自分のしたことは間違ってなんかいない。
そう、彼は言った。
「沖田さんは‥‥」
千鶴は迷いながら言葉を紡いだ。
「沖田さんは、言いました。
自分から薬を飲んだんだって。」
彼女は言った。
「羅刹になったのは自分で選んだ道だって‥‥」
「‥‥言ったかもしれないけど、それが何か?」
煩わしげに、男は訊ねた。
「沖田さんが信じて選んだ道なら、まっすぐに歩き続けてほしいんです。」
「‥‥君が何を言ってるのか、よく分からないよ。」
鋭かった瞳が、そのとき初めて苦しげに伏せられた。
「僕は、剣にしかなれない。
‥‥人を、殺すことしかできない。」
「沖田さんが自分のこと、人殺しの道具としか思えないなら――」
一つ、千鶴は大きく息を吸った。
「――それは、それでいいと思うんです。」
それが正しいことかと聞かれたら、千鶴は首を振る。
本当はそんなことない、彼にだって他の道があるはずだと思っている。
だけど、そんなことを言う権利はないし‥‥その自分の言葉は、きっと彼に届かない。
それを知っていたから。
千鶴は奥歯を噛みしめて、言葉を続けた。
「大事な人が怪我をしていて、とても苦しいのは分かるつもりです。」
彼がどれだけ歯がゆい思いを抱いているか。
傍にいたところで、何かの役に立てるわけでも、近藤の傷が治るわけでもない。
かといって奉行所の警備をしていたところで、状況は変わらない。
どれほどに彼が苦しかったか。
苦しくて、苦しくて、沖田は飛び出したのだ。
不安や怒りを胸に抱いて。
それを全部ぶつけるように、彼は敵を斬った。
だけど、と千鶴は思う。
「でも、自分を‥‥見失わないでください。」
彼が本当にすべきことは、そんな事じゃないはずだ。
感情に任せて人を殺す事じゃない。
千鶴は必死に想いを紡いだ。
「ねえ‥‥千鶴ちゃん。」
ふと、沖田はその表情を消した。
「あんまり生意気なことばかり言ってると、今日こそ君を殺しちゃうかもしれないよ?」
じゃりと砂を踏む音が聞こえ、沖田の手が千鶴の首に掛かった。
甘い血のにおいが強くなり、千鶴はめまいを起こしそうだった。
「‥‥沖田‥‥さん。」
細い千鶴の首など、男が少しでも力を入れればたやすく折れてしまう。
自分の首に手を掛けられた事よりも、男の瞳に、千鶴は衝撃を受けた。
彼の瞳は、千鶴への害意しかない。
今度こそ‥‥自分は殺されるかもしれない。
そう思ったけれど、不思議と怖くはなかった。
首をへし折られる事よりも、ただ一心に‥‥彼を止めたかった。
「私は‥‥絶対にどきません。」
まっすぐに、少女は男を見た。
感情のままに人を殺めれば、いつか必ず彼は苦しむこととなる。
もしかしたら、今よりももっと苦しい思いをすることになるかもしれない。
そんなのいやだと思った。
お節介がと言われるかもしれない。
でも、
でも、
『千鶴にしかできないことがあるはずだよ』
声が、背中を押した。
さっきまで知らなかったはずの言葉なのに、その言葉は千鶴の気持ちを強くしてくれた。
誰が言った言葉なのか‥‥覚えていない。
でも、確か、
その言葉をくれた人は、千鶴が大好きな人だったはずだ。
その人が、言ってくれた。
自分にだけしか出来ないことがあって、それが、
『誰かを信じ‥‥想い続けること』
――ならば、信じようと千鶴は思った。
その言葉を。
その人が信じてくれた、自分の心を。
「どうしても行くつもりなら、私を殺してから行ってください。」
千鶴は彼に、苦しんでほしくないと‥‥思った。
そして同時に、信じた。
彼を。
想った。
「君は‥‥」
どれほどに見つめ合っていただろう。
首へと手を掛けられたまま、無言のまま見つめ合い‥‥やがて、沖田が苦笑を漏らした。
視線を外すと同時に首から、ずるりと力なく手が滑り落ちた。
「何で君は、そこまでできるのかな。」
自嘲じみた笑みを浮かべる彼に、千鶴は優しい笑みを浮かべた。
「‥‥放っておけないんです、沖田さんの事。」
あなたが、好きだから。
そんな思いを、胸の内に秘めて。
返答に、沖田は小さく笑った。
「変な子だよね、君って。」
「こんな場所まで来てたのか。」
呆れたような口調で、原田は心配そうな表情をしていた。
その隣には斎藤の姿がある。
こちらは渋い顔をしていた。
「総司。」
斎藤はあたりを注意深く見回しながら彼に声を掛けた。
「単独行動の挙げ句がこれか。
‥‥派手に動きすぎだろう。」
そう言われて沖田は不満げに目を伏せる。
彼の様子を見て、斎藤は嘆息する。
「近藤さんは山を越えた。
‥‥命に別状は無いだろう。」
「ほ、本当ですか?」
千鶴は思わず声を上げる。
ああ、と斎藤は確かに頷いた。
「沖田さん‥‥」
千鶴が彼を見れば、彼は一瞬泣き出す直前の子供みたいな顔になって、
「‥‥そっか‥‥良かった‥‥」
くしゃと顔を歪めて、笑った。
ほっと、安心したのもつかの間、
ピイイイイと甲高い音が聞こえてきた。
「見つかったみたいだな。
‥‥奴らが集まる前にずらかるぞ!」
「はい!!」
闇に紛れるように、彼らは揃って走り出した。
伏見奉行所で出迎えたのは、ひどく不機嫌な顔をした土方と苦笑を浮かべるだった。
「‥‥馬鹿野郎どもが。」
彼は戻ってきた一同を見ると、開口一番そう言った。
不機嫌そうな声だが、沖田の姿を見て少しだけ安心したように表情を緩めた。
「今回の件は大目に見てやる。
だが二度と勝手な行動を取るな。」
渋い顔のままに言えば、沖田はにこりと笑って口を開いた。
「奇遇ですね、土方さん。
僕も似たようなこと考えてたんです。」
言葉に、ぴくりと土方は眉を跳ね上げた。
「近藤さんが助かりましたから、僕も今回は大目に見ようと思います。」
「総司‥‥」
が止めに入ろうとするが、彼は続けた。
「けど、僕は土方さんを許したわけじゃない。」
覚えておいてくださいねと言い、一方的に話題を終わらせると彼は部屋を出て行ってしまった。
残された千鶴は彼の後ろ姿と、土方とを交互に見て、
「あの、私は‥‥」
不安げに訊ねる。
そうすれば土方は、がしがしとうるさそうに首の後ろを掻いて口を開いた。
「総司が出ていかなけりゃ、、おまえも出て行かなかっただろ?」
「‥‥はい。」
千鶴は小さく頷く。
となれば、と彼は言った。
「総司が原因じゃねえか。」
「‥‥」
お咎めなしだと言われても、千鶴は困った顔で沈黙した。
でも、自分が勝手に飛び出したのも事実だ‥‥
千鶴は沖田ばかりが悪いわけではない気がした。
「‥‥わかったら少し休め。
昼から寝てねえだろ、おまえ。」
沈黙した彼女に掛けられたのは、驚くほど優しい声だった。
言葉に一瞬、千鶴は驚いたような顔になり、
「あ、ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げると、くるりと踵を返した。
やれやれと言った風に幹部達がぞろぞろと出て行く中、
「‥‥結局、全ての責任は俺にあるってことか。」
苦しげに呟かれた言葉を聞いたのは、彼女一人だった。
先ほどよりも随分と顔色が良くなった近藤を見て、土方はそっとため息を漏らした。
枕元についている島田に、
「頼む」
と一言残すと、彼はそっと音を立てないように立ち上がる。
明日、大坂の松本の所へ診せに行った方がいいだろう。
そんな事を考えながら自室へと戻った。
す、
と襖を開ける。
そうして、目を丸くして、すぐに半眼になった。
「‥‥なんでお前がここにいるんだよ。」
「お疲れさまです。」
は彼に声を掛けた。
何故か知らないが、部屋の主よりも先にそこにの姿があった。
ちょこんとその場に正座して、彼の帰りを待っていたらしい。
しかし、もう夜中だ。
そしてここは男の部屋。
今まで何度もこうしてやってきてはいるが、今更ながらに危機感のない女に僅かな苛立ちを覚える。
「何の用だ。」
土方はすたすたと机の方へと向かいながら訊ねた。
「仕事ならねえぞ。」
だから休め、と言い放ち、自分は机に向かう。
筆を取って明日、松本の所へ持っていくための手紙を書こうとした。
が、
「‥‥」
彼は眉間に皺を寄せたまま、手を止める。
理由はじっと視線を感じたからだ。
である。
「‥‥なんだよ。」
人に休めと言っておいて自分は仕事をするのか、と文句でも言われるのかと土方は不機嫌そうな顔でこちらを見た。
そうすれば、は彼の目をじっと見つめたまま、こう切り出した。
「‥‥私は、土方さんの助勤なんです。」
「‥‥?」
何を言い出すのだろうかと、土方は怪訝そうな眼差しを向けた。
が土方の助勤‥‥などというのは今改めて言われなくても分かってる。
「副長助勤は、副長を補佐が仕事なんですよ。」
「そんなこと‥‥」
分かっていると土方は呟く。
だから何が言いたいのかと、彼にしては珍しく結論を急いだ。
すると、彼女は真っ直ぐに彼の視線を受け止めたまま、
緩やかに笑った。
「あなたを支えるのが仕事です。」
穏やかな口調で、彼女は言い放つ。
言葉に、彼は一瞬目を丸くした。
何を言われているのか分からない‥‥そんな表情で。
「だからね。」
は苦笑する。
「あなたが背負ってるもの‥‥半分わけてください。」
それを全て‥‥一人で背負う必要はないんじゃないか。
は思う。
喜びも。
悲しみも。
苦しみも。
怒りも。
全部。
一人で背負って、一人で抱えなくなっていいと思う。
「私があなたの半分を背負います。」
一人で背負うには重すぎる荷物も。
共に背負えば苦しみは半分になるだろう。
半分は無理かも知れない。
でも、それでも少しは彼の負担を減らすことは出来るんじゃないか。
「‥‥」
やがて言葉を理解したのか、土方は苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
ぐ、と奥歯を噛む音が聞こえた。
堪えようとするように。
「私じゃ、頼りない?」
茶化すように言って笑うと、彼は苦笑した。
「そんな事はねえ‥‥」
緩く首を振って、けど、と彼は口ごもる。
瞳の奥に迷いを見た。
しっかとした強い眼差しに隠れて、だけど、不安と疲労の色を隠せずにいる。
きっと彼も、自分たちと同じ‥‥不安だったのだ。
そして不安と同時に、責任を感じている。
もういっぱいだっていうのに、その上で沖田の怒りを甘んじて受けた。
彼の言葉が更に彼を追いつめた。
色々なものを抱えて、でも、彼はそれを誰かにぶつける事は出来ない。
なんて、不器用な人だろうか。
「一人くらい‥‥いてもいいじゃないですか‥‥」
あなたの弱音を聞いてあげられる人。
あなたが寄りかかる場所。
「‥‥」
「いつも、私ばかりがあなたに頼ってる。」
苦しいとき。
悲しいとき。
気がつくと彼を求めた。
彼の傍でなら泣き言も言えた。
弱みも見せられた。
少なからず、
彼の傍では安心できた。
そんな場所が、彼にだってあってもいいはずだとは思う。
「だから‥‥今度は私の番。」
はそっと膝立ちになって彼との距離を縮めた。
そのまま手を伸ばせば、男は僅かに身を引こうとする。
本能的に逃れようとするのを、は笑って、ことさらゆっくり、男の頭に触れた。
「‥‥大丈夫。」
そのまま、引き寄せる。
それほど強くもない力だった。
今度は逃げることなく、彼女の力に従った。
ふわりと梅香のにおいが強くなり、彼の温もりが肩に触れた。
同時に、土方は甘い香りに包まれた。
春の花を思わせる‥‥甘くて優しい香り。
それがの香りだ。
何故だかひどく、その香りに安心した。
「お前は‥‥物好きだ。」
苦笑混じりに呟いて、強ばっていた身体から力が抜ける。
とん、と肩に重みを感じた。
の細い肩に、彼は頭を預けた。
それは、彼女に心を許したようにも見えた。
「土方さんの助勤をしてるくらいですから。」
いつもよりも小さな声で言うと、くと彼は喉を鳴らした。
そうだったなと、小さく彼は呟いた。
そうして、
「少しだけ‥‥」
いいか?
と男は問いかけた。
ひどく頼りなげな声に、は小さく頷いた。
そうして、手を男の大きな背へと伸ばした。
「甘えてください。」
もっとと強請るように言えば、彼の身体が震えた。
やがて、躊躇いがちに大きな手がの背中へと伸ばされる。
全てを許されても、それでも身を投げ出して甘えることの出来ない男だ。
それが土方歳三という男なのだ。
これからも彼はきっと、自分一人で苦しみを抱えようとする。
罪を背負おうとする。
ただ一人で。
その度に、はこんな気持ちになるのだろうかと思った。
こんなに苦しくて‥‥切ない気持ちになるのだろうかと。
彼が苦しむ姿は見たくない。
彼が悲しむ姿は見たくない。
彼、一人が。
「私が‥‥」
はそっと囁く。
温もりをしかと抱きしめて、彼女は心の中で続けた。
私が――あなたの苦しみを全て、取り除ければいいのに――
彼を傷つける全てから。
自分が守ってあげられればいいのにと。
は心の底から思った。

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