3
広間に皆が集まると、今日もまた賑やかな夕食が始まる。
それと同時に永倉の大きな「いただきます!」を合図にして、弱肉強食の醜い争いも。
「相変わらず、見るに耐えないおかずの奪い合いで」
二人のやりとりを呆れ顔で見ながらそう零したのはだった。
仕事が一段落したのか、今日は珍しくゆっくりと食事を取る時間が出来たようである。その代わりに、今日は井上の姿がない。食事の準備の時には確かにいたのだが、急用でも出来たらしい。
とりあえず彼の分は手を出さないという暗黙の了解が出来ているようで、千鶴はほっとする。
因みに真隣でやりとりされている争奪戦に彼女が巻き込まれる事もない。一応それだけの分別は彼らにもあるようだ。そして向かい合って座るも争奪戦に巻き込まれていない。二人のやりとりを呆れ顔で見ながらのんびりと自分の皿に箸を伸ばしている。
まあ彼女がゆっくりしていられるのは近くに座る沖田や斎藤が、人の皿に無断で箸を伸ばすような人間ではないからだろう。特に沖田は酒の方が主食なので、おかずにはまるで興味が無い様子だ。今日も早々に酒へと切り替えて、余ったおかずは永倉に平らげられていた。
その様子を隣で見ていたは微かに眉根を寄せ、こくんと口の中の物を嚥下すると沖田を見上げてこう口を開く。
「っていうか、総司。少しはご飯食べたら?」
「え、食べてるよ」
「食べてないだろ……っていうか、ほとんど新八さんに食べられてるじゃん」
彼が口にしたのは少しの野菜と、魚の一切れ。ご飯も一口二口だけで後は手をつけていない。
それに目をつけ永倉が箸を伸ばしたが、沖田は文句一つ言わなかった。
「、母親みたいだね」
心配して言っても返ってくるのはかわいげのない一言。
は彼を横目で見上げると、溜息を零した。
「おまえみたいなかわいげのないガキはいらない」
もっと可愛いのがいいと言いながらはひょいと大根を口に放り込む。
がり、とやたら固いそれを歯でかみ砕いた。
「大きくならないぞ」
「これ以上大きくなっても困るんだけどね。今だってあちこちに頭をぶつけて大変なんだから」
「なんだよ、嫌味かよ!」
やれやれと肩を竦める沖田の言葉に何故か藤堂が立ち上がる。
その瞬間、隙だらけになった魚を取られて「あああ」と悲鳴を上げる事になった。
「新八っつぁん! ひでえ! オレの最後の魚取りやがったな!」
「隙を見せるおまえが悪いんだよ」
「返せ! 返せよ!!」
「悪い。もう飲みこんじまった」
「くっそぉおおお!!」
という感じで再び二人の争いが始まる。
もう放っておこうとが再び椀を持ち上げようとして、じっとこちらを見つめる千鶴の視線に気付いた。
「そういえば……さんって他の皆さんよりも、ずっと華奢ですよね」
どうかしたのかと問いかけるよりも前に、彼女は常々思っていた疑問を口にする。
ずっと不思議だったのだ。
の細さが。
幹部隊士と比べても、他の平隊士と比べでも断然細い。背丈は斎藤や藤堂らとはそう大差はないけれど、体付きは随分と小柄というか華奢だ。骨も細そうだし、見たところ筋肉もそんなについていないようだ。
「肩幅も、私より少し広いくらいですし」
腕も足も、どこもかしこも細い。本当に武人なのかと驚く程華奢な身体。
「あ、ごめんなさい」
こんな事を言われたら気を悪くするだろうか。千鶴は慌てて頭を下げた。
人それぞれ、皆考え方も違えば体質だって違うものだ。例えば同じ屋根の下、同じように暮らしてきたと言ってもまるで同じになるわけがない。皆違って当然だ。武士だから大きくなければならないという事もない。
それにもし、そのことをが気にしていたとしたら。千鶴は酷い言葉を掛けてしまったかもしれないのだ。
だがはあははと気にした風もなく笑ってくれる。
「それは、私と千鶴ちゃんがそう年も違わないからじゃないかな?」
「そうなんですか?」
千鶴は驚いてしまった。
あまりにしっかりとして、頼りになるから自分よりもずっと年上だと思っていたのだ。
「うん。私幹部連中の中では一番年下だと思うし」
記憶がないので定かではないが、とは内心でだけ呟く。
まあ年下かどうかは分からないが、が女である以上彼らのように逞しい体付きになるのは無理だろう。この先、どう足掻いても。仕方のない事だ。男女の差というものはどうにも出来ない。
せめてもう少し筋肉はつかないものかと己の決して逞しいとは言えない腕を見て、それから隣の沖田の逞しい腕を見て思わず嘆息。比べてみると大人と子供かという位の違いだ。
「別に良いんじゃないの? 筋肉なんてついてなくても、強いし」
ちび、と酒を舐めながら沖田が言った。
当然僕の次に、だけどと言うのは忘れない。認めて貰えただけでも有り難いとここは思っておくべきか。
「けどよ。ってなんでそんな細っこいのに総司と互角に勝負なんか出来るんだ?」
いつの間にか藤堂とは決着が付いたらしい。永倉が箸をこちらに突きつけて不思議そうに首を捻っている。
「剣の腕も素早さもおまえらは互角かもしれねえけど、腕力ってのは違うわけだろ?」
「まあ、そうですけど」
した事はないが、腕相撲なんかをすればあっという間に負けてしまうに違いない。沖田のみならず、ここにいる幹部全員に。純粋な力勝負となればに勝ち目はない。
だけど二人の勝負はいつだって互角だ。
今までが強いからという理由だけで納得してきたが、考えてみればおかしなものだ。
「総司。まさか手加減、」
「僕が手加減なんてすると思います?」
「……ねえな」
にんまりと意地悪く目を細める沖田に、原田は忘れてくれと頭を振ってみせる。
相手は一応女なのだが、沖田にはそんな事は関係ない。男だろうが女だろうが、子供だろうが老人だろうが、目の前に立つ人間は全力で叩き潰す。容赦なんて出来るわけがない。戦場ではそれが命取りになるのだから。
「だよなぁ。それじゃあなんで」
「案外、のことだから化け物だったりして?」
うーんと腕組みをして考え込む永倉の隣、藤堂が冗談めかして言った。
馬鹿馬鹿しい発言に、彼女の悪友はいいねと笑った。
「鬼の副長の右腕やってるくらいだし、あり得る」
「だよな! 実は本当の鬼とか?」
「人の皮を被って僕たちを油断させようとしてるとか」
「それ怖えよ!」
「ねえねえ、。角とか牙とか生えてきたりとかしないの?」
「土方さんにへし折られた」
加速する二人の冗談に、しれっとが答える。
と、今度は酒を飲んでいた原田が噴き出した。
が化け物なわけがないし、角が生えるとも思わないが、鬼副長ならば本物の鬼の角でも平気でへし折ってしまえそうだと思うとひどく可笑しかったのだ。
「土方さんならやりかねねえな」
ははっと永倉も同意を示して豪快に笑い出す。
当人が聞けばさぞ気を悪くするだろう。因みに斎藤は眉根を寄せて一同を睨んだが、それだけだった。
「本物の鬼の角をへし折っちまえるんだから、やっぱり土方さんは本物だな」
妙に納得したような顔で永倉が言うと、が神妙に頷いて同意を示す。
「そうですよ。しかも地獄耳の妖怪」
「因みに趣味は俳句を詠む事ね」
にやにやしながら沖田が言うと、原田が爆笑した。
「ばっかやろ、それ禁句じゃねえか」
「やだ。私そんな微妙な妖怪に角へし折られたの?」
まるでそこにあったみたいにが頭部を撫でる。それがまた可笑しくて藤堂はばしばしと畳を叩きながら笑った。
「やめろって! 今度土方さんに会った時に思い出すだろー」
「笑っても良いけど、拳骨食らうの覚悟しといてね」
「いてぇえええ!!」
「食らう気満々か」
藤堂の脳裏に拳骨を食らう未来の自分が浮かんだらしい。
今からもう頭を抱えて痛みに呻く様子に、がはふと溜息混じりに呟けばまた、爆笑に沸いた。それまで黙って見ていた斎藤の口元にも、呆れともつかない笑みが浮かんでいた。
そんな風に、大人が集まって馬鹿笑いをする様を見るのも珍しい事だろう。
大きな声を上げて、大口を開いて笑って、からかい、喚きながら彼らの会話は進む。
端から見れば下らない内容だし、いい大人がみっともないと呆れられる事だろうが、そんな彼らはひどく楽しそうだった。
まるで無邪気な子供達がじゃれ合って遊んでいるようだった。
人斬り新選組と言われる恐ろしい人間たちの集まりとは思えぬほど――楽しそうで、
「いいな」
蚊帳の外で見ていた千鶴はぽつんと呟いた。
純粋に、心の底から彼女は思った。
羨ましい、と。
独り言よりもずっとずっと小さな声だったというのに、何故か彼らの耳に届いたらしい。一同は驚きの声を上げて彼女の方へと顔を向けた。
「え、あ、えっ?」
突然振り返って注目されて、千鶴はわたわたと慌てた。
何か自分はおかしな事をしてしまっただろうかと。
「なにが、いいな……なの?」
沖田が問う。
一瞬何の事か分からなかったが、どうやら自分の心の声が外に漏れていたらしいというのに気付いた。
「あ、いや、そのっ!」
千鶴は更に慌てて、言葉を必死で探した。しかし真っ白だった頭で考えても他の言葉が見つからず、やがてはおずおずと己の気持ちを吐き出した。
「皆さん、楽しそうで……いいなぁって」
消え入りそうな声で紡がれた言葉に、彼らは揃って顔を見合わせた。
楽しそう?
これが?
とお互いの目が問い掛け合っている。
「煩いだけじゃない?」
身も蓋もない言葉を口にしたのは沖田だ。
「そうそう」
それに頷くのは。
確かに、と千鶴も思う。煩いだけと言われたらそうかもしれないけれど、でも、
「私、江戸にいたときも、一人だったので」
小さい頃から、一人だった千鶴にとってはその喧噪さえも羨ましいと感じるのだ。
物心着いた頃から母親はいなかった。父親はなるべく一緒にいてくれようとはしたが、彼は忙しい身であった。
急病人が出れば遅くまで帰って来られない事も多かった。それが彼の仕事なのだから仕方ない。
我が儘だとは分かっていたから、それが嫌だとは言えなかった。本当は寂しくて堪らなかったけれど、父を困らせる事が出来なかった。
だからこうして大勢でご飯が食べられると言うのは、千鶴にとっては憧れであったのだ。
賑やかを通り越して煩くたって構わない。こうして誰かと顔を付き合わせて、皆で楽しく食事を摂るのが夢だった。
「それじゃ、千鶴も混じればいいじゃん」
そんな彼女に、藤堂は当たり前のようにそう言ってのけた。
「え?」
「暗い顔して食っても美味くないだろ? だから、オレらに混じっちゃえばいいんだって!」
驚きに声を上げると、彼はいつものように屈託のない笑顔を浮かべてみせる。
簡単な事だ。
羨ましがる事なんかじゃない。
指を咥えて見ている事なんかじゃない。
一緒に混ざってしまえば良いじゃないかと。
「で、でも、」
「一緒に飯食ってんのに、何遠慮してんだよ」
困惑したように視線を泳がせると、ぽんと頭を叩かれた。
原田だった。
「笑っちゃいけねえなんて、誰も決めてねえんだぜ」
「……でも」
そうだけど、でも、と落ち込みそうになる千鶴にが声を掛けてきた。
「そうそう。可笑しかったら笑い飛ばせばいいんだって……因みに、あそこの二人なんか見てるだけで笑える」
彼女が指差したのは藤堂と永倉の二人。
彼らは一瞬顔を見合わせて、
「!」
「どういう意味だよ!」
同時に声を上げた。それがあんまりにもぴったりだったのではけらけらと笑ってしまった。
「ほーら、面白い」
「面白いっていうか、煩いよ」
「、総司! てめえら!」
「だから煩いし、米粒飛ばさないで」
汚いなぁと苦笑で零す沖田に、永倉は拳を握りしめた。
ともすればとっつかみあいの喧嘩にでもなるんじゃないかと、千鶴は笑う以上に冷や冷やしてしまう。
だがまたすぐに、彼らは可笑しそうに笑うのだ。
「これが笑えるのかどうかは分からないが」
呆然と見ていると驚く事に、斎藤が口を開いた。
向かい合うといつも緊張してしまう鋭い瞳は、
「おまえが笑いたいのならば笑えばいい」
ほんの少し、柔らかく見えた。
「そうそう」
原田の大きな手がくしゃりと、小さな頭を撫でる。
とても優しい手だった。
人斬り集団とは思えない。温かい手だった。
「おまえは、笑った方がいい。暗い顔なんて似合わないぜ」
ぱちりと片目を瞑ってみせる彼に千鶴は呆気に摂られたように口を開いて、
それからもう一度、周りを見て、
それから、
「はいっ!」
今まで見た事のないような、とびきりの笑顔を浮かべるのだった。
京に来て、初めて、
「嬉しい」
と千鶴が思った瞬間だった。
やはり寒い日の夜、土方達は戻ってきた。
出ていった時よりも幾分暗い顔で。
「おかえんなさい」
随分と遅い時間だというのに門の前に人の姿があった。
柱に寄りかかって出迎えたのは彼の右腕、である。
今日戻るという報せは出していないが、彼女は分かっていたのだろうか。いや、彼女の事だから毎夜ここで待っていたのだろう。
ただでさえ忙しいのだから少しでも休めば良いものを。身体を壊したらどうするのか。
そんな小言は、しかし眉間に深く皺を刻んだだけで彼の口から出てくる事はなかった。
「いま、帰った」
短い返答。そんな彼の様子に、これは結構参っているなと気付く。
それもそのはずだ。
「山南さんの腕、ひどいんですって?」
相変わらず、彼女は真っ直ぐな人間である。
聞き難い事を、言い難い事を、単刀直入に問うてくる。誤魔化しも嘘も許さないというみたいに、真っ直ぐに。
そんな彼女の言葉が背中でも押すのか、喉の奥で引っ掛かっていた言葉がするりと唇から零れた。
「あの人はもう、刀を握れねえ」
井上の報せで知った。
大坂で、同行していた山南が浪士に斬られたと。
命に別状はないものの、斬られた左腕の傷は随分と深かった。
腱をやられていたのだ。もう、指先一つまともに動かす事も出来ない。
そう、だからもう、彼は刀を握る事が出来ない。
戦えないのだ。
「そうですか」
は静かにその言葉を受け止めると、もうそれ以上は何も言わなかった。
土方も何も言わなかった。ただ黙って、彼女の前を行き過ぎ、慣れた屯所の門を潜った。
屯所の中は、しんと静まりかえっている。いつもは永倉たちの馬鹿騒ぎが聞こえてくるのに、それが聞こえない。
まるで、と彼は思った。通夜のようじゃないかと。
そう考える自分が酷く腹立たしかった。彼はまだ死んでなどいない。まだ生きている。刀を握れなくなったからなんだというのだ。彼は彼だ。何も変わらない。変わるはずがない。
そう自分に言い聞かせるけれど、唇からひどく弱々しい言葉が零れてしまう。
「山南さんは」
後ろに続くは静かに顔を上げ、黙って言葉の先を待った。
「……山南さんは、辛えだろうな」
何も変わらないはずがない。
彼はもう、戦えないのだから。
どんな言葉を並べ立てても、彼はもう、共に戦う事は叶わない。
その事実が彼をどれだけ苦しめ、傷つけるだろう。そしてその傷は一生、彼に付きまとうのだろう。
「……」
は答えなかった。
同意も否定も口にはしなかった。
それは山南自らにしか分からない事だから。
でも、
それても、
「彼が選ぶ事です」
どれほどに辛かろうと、苦しかろうと。
彼の歩む道は。
彼が選ぶべき、事だ。
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