13

 

「祝言は上げねえのか?」

 

言いにくい事をずばっと単刀直入に聞いてくるのが原田という男だ。

この男の真っ直ぐさを土方は羨ましいと思いつつ、少し妬ましいとも厭わしいとも思う。

しかも自分がそのことに関して悩んでいる絶妙な時期に聞いてくるあたりは、もしやこの男かなり計算高いのではない

だろうかとも。

なんとなく背中を押されたというよりは、早くしろとけっ飛ばされた気分になり、土方は思いきり顔を顰めて分かって

ると返すしかなかった。

 

 

この日、久方ぶりに町へと下りた。

必要な調味料が切れたというので一人が行って帰ってくるつもりだったのだが、女の一人歩きをさせるわけにも

いかずまた彼女一人に重たいものを持たせるわけにもいかない。ということで、土方も共に行く事になった。

「よお、土方さん。」

珍しいな、と一人佇む男の姿を見つけて声を掛けてきたのは原田である。

どうやら今日は永倉や斎藤とは一緒ではないらしく、一人で、腕に何か荷物を抱えていた。

彼も買い物にやって来たようだ。

「こんな所で会うなんて珍しいな。一人か?」

「いや、あいつもいる。」

一人ではなく、と一緒だ。

だが、その彼女の姿は何処にもない。

不思議そうな顔になる原田に、あっちだと顎で指し示せば通りの向こう。

店先で主に声を掛けられて、真剣な面もちで居並ぶ野菜達を見つめている彼女の姿がある。

「引っ張り回すのも悪いから、ここで待ってろ、だとよ。」

「なるほど‥‥」

「ったく、俺が何の為についてきたと思ってんだか、あいつは。」

がしがしと首の後ろを掻く彼は、の右手に重たそうな荷物があるのを知っている。

取りに行こうかともとも思ったが、そんな事をすれば彼女を急かしているようにも取られかねない。上に、確実に彼女

は自分に対して申し訳ないと感じるだろう。

だから気になってはいるが、ここでじっと待っているのだ。

彼女が戻ってくるまで。

「相変わらずだな、も‥‥」

原田は呆れたような声を一つ漏らす。

遠慮深いと言うか、無駄に気を遣いすぎると言うか。少し彼女は我が儘になった方が上手く物事は進むような気がする。

あまりに遠慮も過ぎれば余所余所しくも感じられ、人によっては不満にも繋がりかねない。

特に、土方のような男にとっては。

ああでも、と原田は内心で呟いた。

彼女が遠慮してしまうのも分かる気がする。

「なあ、土方さん。」

前から聞いてみたかったんだけどよ、と原田は言った。

が、土方に我が儘になれない理由。遠慮してしまう理由。それはきっと、

「祝言は、上げねえのか?」

彼女らが未だ、他人という関係だから――

 

「‥‥」

問い掛けに土方の肩がぎくりと震えた。

それはまるで都合の悪い事を聞かれた、みたいな反応で、顔を見れば顰め面だ。

誰もが聞きたくて、でも聞き難くて、本人も答えを出したくて出せずにいた問題。宙ぶらりんの曖昧なそれをあっさり

と形にして、突きつけるみたいに言葉に出され、土方は居心地悪そうに身体を揺すってこう呻いた。

「今更‥‥って感じもすんだろうが。」

共に暮らすようになって、三月が経つ。

お互いに好きあっている男女が一つ屋根の下に暮らし、尚且つ彼女には妻のように身の回りの世話をさせている始末。

言葉にせずとも「夫婦」という関係に等しい今では、改めて「夫婦になろう」というのも妙に面映ゆい気がする。

このまま気安い関係を続けられれば良いとも思うけれど、一方ではきちんとけじめをつけたいとも思っていた。

きちんと彼女に、自分が「夫」であるという認識を持って貰いたいし、何より、彼女を独占したい。

他の誰にものでもない、自分だけのものであると皆に示してやりたい。

「今更かもしんねえけど、そこはきちっとしておいた方が良いんじゃねえのか?

ずるずる、このままって訳にもいかねえだろ。」

関係性もきちんとしないのではが可哀想だと言う、原田の正論に土方は苛立ったように答える。

「んな事ぁ、言われなくても分かってんだよ。」

ただ、

そう、

言う機会を逃しているだけだ。

どうにも求婚する雰囲気ではなくて、今までずるずると引き延ばしているだけ。

土方とて男として、彼女にしっかりとけじめをつけるつもりだ。

だが如何せん、そういった雰囲気にならないのだ。

まさか、食事の最中に求婚するわけにもいかないし、買い物に出掛けた時なんて以ての外だ。

もっとこう、情緒のある雰囲気のある時に、そういう事は言わなければならないわけで‥‥

「んな事言ってると、横からかっ攫われても知らねえぞ。」

「だから、俺がこうしてついてきてんだろうが。」

原田の言葉にすかさず、土方は反論を返す。

そう、誰かに横取りされないように、自分がこうして目を光らせて‥‥

「そう言ってるそばから、あれ――」

あれ、と指されて土方が視線を向ければ、いつの間にか彼女の傍に男が立っていて、その男は花を一輪差し出しながら

何やら彼女に言い寄っているではないか。

若い、誠実そうな男だ。

顔を真っ赤にして真剣な顔で彼女に花を差し出して求婚を迫っている。

「あんのやろっ」

土方は苛立ったように吐き捨て、大股で歩き出す。

ずかずかと砂煙を立て不機嫌さも露わに近づくのにまるきり男は気付かず、また、が困ったような顔で断っている

事にも気付かない。

彼女に目をつけたという趣味の良さは評価に値する。

だが、どこの馬の骨とも分からない男に、丹誠込めて育て上げた花を摘まれては困るのだ。

その花は自分が咲かせた。

そして、

その花は、

「おい、てめえ――」

低く地を這うような声で男の求婚を遮り、間に割り込み、彼女を自分の腕に引き寄せながら、土方は告げる。

「人のもんに手を出すんじゃねえ。」

この花は、自分が咲かせ、

そして、

自分だけの為に、咲き続けるのだ。

 

「こいつは、俺のもんなんだよ。」

 

美しい花に誘われた小さな虫が可哀想なくらいに恐縮して、すっ飛んでいくのを見ながら原田はぽつりと呟く。

 

「だったら早く、あんただけのもんにしろってんだよ。」

 

自分だけのものだというのならば、早くつみ取ってしまえ。

はっきりしてやらなければ花だって、誰の為に咲き続ければ良いのか分からないじゃないか。

 

 

 

呼ぶまで絶対に部屋に入るな。

と、邸に帰るなり男は言って、部屋に閉じこもってしまった。

どうやら彼を怒らせてしまったらしい。

やはり買い物に時間が掛かりすぎたのか、それとも彼が待っているのに主と長々と話し込んでしまったせいか。

どちらにせよこちらを気遣って同行を申し出てくれた彼には、悪い事をしてしまった。

後でちゃんと謝らないと。

はそんな事を考えながら、もう一つ、重たい溜息を零すのであった。

 

「あ、あの‥‥」

夕飯の時間になっても、土方は自室から出てこなかった。

呼ぶまで入るな‥‥と言うからにはあまり近寄っても欲しくないだろうと待っていたのだが、それにしてもあまりに

遅く、このままでは食事も冷めてしまうので、は彼の部屋の前まで行き、襖の外から声を掛けてみた。

何故か部屋の中は真っ暗だった。

眠っているのだろうか?いやまさか、こんな早くに眠るはずもない。

では、出掛けているのかとも思ったが人の気配はある。

「夕飯、出来ましたけど‥‥」

呼びかけに返事はなかった。

返事もしたくないというやつなのだろうか。

だとしたら非常に悲しい。

怒鳴りつけられる方がまだましだ。自分に反応してくれないなんて、いないも同然じゃないか。

「ひじ‥‥」

怒っている相手にしつこくするのは煩わしいかも知れない。

それでも、答えてほしくて声を掛ければ、部屋の中から声が聞こえた。

か?」

「あ、はい。」

応えてくれた、それだけで嬉しくて、つい声が上擦る。

さ、と襖が開き、顔を出した土方は先程別れ際に見たような怒った顔はしていない。それどころか、どこか楽しそうな

表情をしていた。

「丁度、おまえを呼びに行く所だったんだ。」

もう、怒ってはいないのだろうか?

謝りたい気分だったが、変に水を差して彼の機嫌を損ねてもまずい。今は謝るのを止めた。

「夕飯が出来たので、呼びに来たんですけど‥‥」

「それよりこっちのが先だ。」

土方は言って、突然、

、目を瞑れ。」

と言いだした。

突然目を瞑れ、なんて意味が分からない。

一体何事かと疑問の声を上げれば、いいから、と彼に再度目を瞑れと言われた。

どうやら目を瞑るまで何も話してくれるつもりはないらしい。

は困惑気味に眉根を寄せ、やがて静かに目を閉じた。

「これで、良いですか?」

「ああ。」

閉じた瞼の向こうで男が笑うのを感じる。

それから、大きな手が自分の手を包み、思わず胸が高鳴った。

「そのまま、目ぇ瞑って俺についてこい。」

「え、でも‥‥」

「悪いようにはしねえよ。」

俺を信じろ、とまで言われ、信じるも何も一体全体なにがなんだか、分からない。

分からないけれど、信じろと言われてしまえばには拒む事も出来ず、目をしっかりと閉じて、男の言葉に従った。

「そのまま、ついてこい。」

目は開けるなよ、と彼はなおも釘を差した。

軽く腕を引かれ、導かれるままには一歩を踏み出す。

馬鹿みたいに彼を信じて従ってくれる彼女に、土方は内心で苦笑を漏らした。

もし自分が悪い男だったらどうするつもりなのか。

このままどこぞに閉じ込めて、無理矢理にでも自分だけのものにしようとしていたとしたら‥‥それでも、彼女は健気

にも自分を信じてついてくるのだろうな。

そしてその一方的な暴力さえ受け入れるのだろう。

自分を好いてくれているから。

だからこそ、

男は不実な事はしたくない。

例えば互いに想い合っていたとしても、なし崩しに彼女を奪いたくなんか、ない。

 

「こっちだ。」

足に触れる感触が変わった。

畳の感触だ。

どうやら部屋の中に招き入れられたらしい。

「まだだぞ。」

と言う声が後ろから聞こえ、す、と襖が閉まる音が聞こえる。閉まったと分かったのは夜の少し肌寒い空気が遮断され

たからだ。

と思えばぼんやりと閉じた瞼の向こうで灯りと、それから温もりを感じる。

柔らかくて優しい、この光はなんだろう?

 

「いいぞ。」

 

土方の手が、離れた。

暗闇の中で突然手を離された気がしてはっと瞳を開ければ、視界に飛び込んでくる。

 

「わ‥‥」

 

薄暗い部屋の一面に、柔らかな緑色の光。

それがいくつも部屋の中にあった。

ふわりと、光の軌跡を残し空へと舞い上がっては緩やかに降りていく。

これは、

 

「蛍?」

「ああ。」

 

ふわふわと光が舞う様は、どこか幻想的で、美しい。

それが小さな虫とはとても思えぬほどに。

 

「綺麗‥‥」

光に照らされた彼女の顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。

幻想的な光に照らし出される彼女の表情は、その蛍の光よりもずっとずっと美しくて‥‥この世のものとは思えない。

「そうだな。」

綺麗だ、と応える男の瞳には、蛍など見えていなかった。

その瞳が捉えているのは、優しい彼女の笑顔。

「この蛍、どこで見つけてきたんですか?」

彼女の視線が蛍から男へと移る。

ばちりと視線が絡み、ずっと見つめていた事がなんだか照れくさくて視線を逸らしながら、その、と土方は取り繕った。

「前に、川を見つけただろ?」

「えっと‥‥桜の木があるところの手前にある?」

「そこだ。」

少し前に、そこを通りかかった時、偶然見つけたのだという。

それをいつこんなに捕まえてきたのかと首を捻れば、今日だと彼は言った。

が夕飯の準備をしている時に、こっそりと抜け出したのだと。

いつの間にと驚くのと同時に、よくこんなにたくさんあの短い時間で捕らえる事が出来たなとも感心する。

「私の為に、わざわざ?」

「おまえだけの為に‥‥ってわけでもねえ。」

どちらかというと、自分の為だ、と言う彼には首を捻る。

どういう事なのかと不思議そうな顔をしていると、土方は蛍を踏まないように足下に気をつけながらの前へと回

って、その両手を取った。

しっかりと手を取るのは、触れていたいという理由と、それから逃がしたくないという理由から。

これから自分が言う言葉から、突きつける想いから、逃げて欲しくないという願いだ。

「土方さん?」

。」

見上げるその瞳を、真っ直ぐに見つめた。

仄かな光を受ける瞳は、今は琥珀とも金とも違う。

それよりもずっと淡く、深い、色。

だけどやはり、澄み切った‥‥色。

この瞳に囚われたのは、いつだっただろう?

この瞳に焦がれたのは、いつだっただろう?

自分だけのものにしたいと思ったのは?

そして、

その瞳に、自分だけが映っているのだと知ったのは?

自分だけを‥‥映すようになったのは――

 

。」

 

もう一度、彼女の名を刻む。

彼の強い揺るがないその心を示すような強い声が。

 

「祝言を、上げよう」

 

優しく、言葉を紡いだ。

 

祝言を上げようと。

 

一瞬、この幻想的な世界が聞かせた幻かと思った。

それほどにこの空間は不思議で美しかったから。

だから在りもしない、願望なんかも叶ってしまうのではないかと。

でも、違った。

今あるこの蛍達が生み出す光景も、自分を優しく見つめる男も、その男が紡いだ言葉も‥‥幻ではなかった。

現だった。

「祝言を上げよう。」

彼は確かに言った。

ふわふわと夢見心地になるの手をしかと、繋ぎ止めるように掴んで。

祝言を上げようと。

 

「なんだよ、考えもしなかったって顔しやがって‥‥」

ふわふわと飛び交う蛍が呆けた彼女の顔を浮かび上がらせていた。

そんなに驚く事もないじゃないかと土方は思わず呻けば、はっと我に返ったは慌てて頭を振る。

「あ、いや、不満とかじゃないんです!」

嫌なはずがない。

むしろその逆で、嬉しい。

彼と夫婦になれるのなんて、夢のような話だ。

だからこそ、は信じられないのだ。

自分などが彼の妻になれるだなんて‥‥思いもしなかったから。

それに、

「私、傍にいられるだけで、十分です。」

そんな贅沢、自分には許されない。

傍にいられるだけで、には過ぎるほどの幸福だ。

一つ屋根の下で彼の身の回りの世話をしているなんて、まるきり妻のようなものかもしれないが、それを彼が気にする

必要はない。

これはが望んでしている事なのだから。

と、そう告げれば男は酷く不満げな顔になった。

「俺が、嫌なんだよ。」

そんな中途半端なものでは、と彼は言った。

「これはけじめでも、おまえに対する罪悪感でも、世間様に対する見栄でもなけりゃ、体裁を繕うつもりでもねえ。」

俺は、と彼は真っ直ぐにを見つめる。

 

「おまえを嫁さんに貰いてえんだよ。」

 

好きだから、

愛しているから、

だから、

 

「おまえを、俺だけのもんにしてえんだ。」

 

ただ一人の家族になりたいのだと‥‥彼ははっきりと言ってくれた。

 

 

「返事はどうした。」

不満げな声が、嗚咽の隙間で聞こえた。

気付けばぱたぱたと零れる涙が頬を濡らしており、その頬を男の手が優しく拭ってくれている。

いつの間に抱き寄せられていたのか、腕の中に閉じ込められて、泣き顔を覗き込まれて、愛おしげな視線を向けられ

はもう一つ嗚咽を漏らす。

「返事は、どうした。」

訊ねるくせに、手は緩めない。

これじゃ、答えなんて一つしか出せない。

別の答えなんて‥‥出せっこない。

いや、

答えなんて、もう最初から一つしかない。

 

「はい。」

「はい、じゃ、わかんねえだろうが。」

不満げな声と擽る指先には微かに口元を緩ませ、いつの間にか縋るように男の背に伸ばしていた指先で、きゅっ

と彼の着物を強く掴んで、視線を上げた。

愛おしい人を、真っ直ぐに見上げ、向けてくれる想いに自分も応えるように、想いを告げる。

「妻に‥‥あなただけのものに、してください。」

生涯、彼に添い遂げるただ一人にしてください。

 

ずっとずっと、焦がれ続けてきた。

出会った時からずっと、惹かれあっていた。

まるでそれが運命なのだと言うみたいに。

離れても離れられずにお互いに引き寄せられ、

今日、漸く、

一つに想いが重なった。

 

手が届かないと思っていた春の月は‥‥漸く、男の手に降りてきたのだ。