14

 

祝言の日取りが決まると、あれよあれよという間に物事が進み、あっという間に当日になってしまった。

仲間達は「漸くか」と呆れた風でもあったが、本心から祝福してくれているようで、嬉しくて同時にちょっと照れく

さかった。

祝言を上げるとは言っても、それほど金もないので贅沢はさせてやれない。

ただ身内で祝って、誰かに二人が夫婦になったのだと認めてもらえればそれで十分だと土方は思っていたが、それで

は足りないとお節介な仲間達があれこれと用意してくれて、紋付き袴とまではいかないが土方は誂えて貰った真新し

い着物に身を包んでいた。

何故か此度の主役の彼は、廊下を行ったり来たり繰り返している。

因みにその先は土方の部屋なのだが、何故か入室禁止ということで、閉まった襖の前に斎藤が立っていた。

「おい、斎藤。」

「‥‥申し訳ありませんが、ここは通せません。」

通せ、という言葉を皆まで言わせず、斎藤は緩く頭を振った。

いくら尊敬する男に拝み倒されても‥‥今だけは聞けない。

今の彼の役目は土方をここから先に一歩も通さない事。

死んでも通すなと原田・永倉両名に言われていて、この真面目な男の事だ‥‥玉砕覚悟で土方を阻止するのだろう。

「お気持ちは分かりますが、土方さん。これはの願いでもあります。」

どうか分かってください、と逆に彼に頼まれ、土方は複雑な表情を浮かべてみせた。

驚かせたいという彼女の気持ちはよく分かる。彼女が願うのならば出来れば叶えてやりたい。

でも、だ、

「俺よりも先におまえらが先に見るのが我慢ならねえ。」

自分の為に美しく着飾ってくれる彼女の姿を、何故自分よりも先に他の男が見る事になるのか‥‥それが我慢ならない。

彼女の姿を最初に見るのは自分だ。

と意気込んでいても、実際着付けや化粧の手伝いをしている原田が一番に目にするのは確かだ。

非常に悔しい。

先を越されるばかりか、彼女を美しく飾り立てるのが自分ではないなんて。

これがせめて女であれば‥‥まだ納得も出来たものを。

なんて悶々としていると、彼の部屋から声が上がった。

「さ、左之さん!くすぐったいですって!」

「こら、動くな。我慢しろ。」

部屋では一体何が起きているのやら、見えない二人には想像するしか‥‥ない。

 

「なあ斎藤。」

「はい。」

土方は酷く真剣な顔で、訊ねてみた。

「今でも‥‥おまえは無敵の剣と呼ばれる腕か?」

挑発めいた言葉に斎藤はにやりと口元を歪めて、

「俺と、勝負を?」

笑った。

 

 

 

どうですか?と不安げに訊ねる花嫁の姿に、原田は言葉を無くす。

真白い着物に身を包んだは、間違いなく世界で一番美しかった。兄馬鹿と言われるかも知れないが。

美しくて思わず見惚れ、同時になんだか感慨深くて言葉に詰まる。

嫁を見送る父親とはこういうものなのだろう。

言いしれぬ寂しさが押し寄せ、ぽっかりと胸に穴があいたような気持ちになって、原田は小さく苦笑を漏らした。

「左之さん?」

あの、と困ったような声を漏らすに原田は悪いと謝る。

彼女を笑ったのではない。

とてもよく似合っている。似合ってはいるが、それを自分が先に言ってしまえばあの男が怒るに違いない。

「そいつは、土方さんに聞いてくれ。」

「え?あの‥‥」

「とりあえず、行くぞ。」

きっと首を長くして待っているはずだとの背を押しながら襖の外に出る。

そのまま、二人は目を丸くして次には眉根を寄せた。

「なに、やってんだ?」

呆れたような声が漏れたのは仕方のない事。

何故なら廊下で、今日の主役の一人と斎藤がにらみ合い、まさに今お互いが拳を突き出して殴り合いの決闘に‥‥と

いう雰囲気だったのだ。

こんなめでたい日にこれほど殺気立つ新郎がいるものだろうか。いや、実際目の前にいるのだけど、認めてたまるか。

折角の彼女の白い着物が赤い血で染められるなど、原田には我慢できない。

「斎藤も、土方さんも、こんな日に物騒な事しねえでくれよ。」

呆れと怒りを交えた声で言えば、二人はでもとかだが、とか反論に口を開くが、原田は二人を睨んで黙らせるよりも

もっと効率の良い方法を知っていて、

「これを見てもまだやるか?」

ずいと、の背を押しやって二人の前に進ませれば、

「――」

揃って息を飲んで、沈黙した。

驚いたように目を見開いて、二人はまじまじと見つめてくる。

何も言わずにじっと見つめられ、は不安になってきた。

やっぱり似合わないのではないかと‥‥

そんな彼女に気付いて、こほんと原田が一つ咳払いをする。

「土方さん、言う事ねえのかよ。」

苦い口調で彼に言われ、土方ははっと我に返った。同時に斎藤も我に返ったが、咄嗟に出掛けた言葉を飲み込む事に

する。

それは彼に譲ってやらなければならない。

俯いてすっかり自信を無くしてしまった彼女に土方は決まり悪そうに頭を掻き、それから、一つ溜息を吐くと困った

ように笑って言った。

「よく、似合ってる。」

「‥‥」

言葉に、少しだけ上がる視線。

それでもどこか不安げな表情に、土方は安心させるように優しく笑う。

「綺麗になった。」

言いながら、もっとよく見せろと顎に指を掛けて顔を上げさせる。

は抵抗せず、ただ、恥ずかしいのか視線を逸らしたままで面を上げた。

そんな彼女に苦笑を向け、土方は指を離すと一歩下がってまじまじともう一度じっくりと彼女の姿を見る。

純白の着物に身を包んだ彼女は‥‥ただ綺麗という言葉で表すには足りない。

恐らくどんな賛辞を贈ったところで、彼女の美しさを表現する事は出来ないだろう。

もどかしいと土方は思い、困ったように笑って手を差し伸べた。

「それじゃ、行くか。」

差し伸べた手に己の手を重ねると‥‥彼の手が緊張で強張っていたのに、気付いた。

 

 

 

祝言と言っても厳粛なものではない。

金も手間もあまりかけられず、内輪だけの祝い事だと言うのならば酒宴になるのは必然の事。

折角の式だからと良い酒を持ち寄ったのならばなおさら。

そして、皆の気分が良ければなおさらだ。

恒例となりつつある原田の腹の傷の話と、聞き飽きているはずの永倉の馬鹿笑い。それを見ながら斎藤は苦笑を、

土方は呆れたような顔で彼らを上座から眺め、はその光景全てを見て、一人幸せそうに笑う。

悪いなと土方は謝ったけれど構わない。

厳かな式じゃなくても良い。

ただ、そこに皆がいて、隣に彼がいて‥‥笑ってくれれば十分だった。

皆が皆、自分たちを祝福してくれる。

とてもとても幸せで、は夢でも見ているんじゃないか、と何度も思ったものだった。

 

 

。」

風呂から上がるといると思っていた場所に彼女がいなかった。

どこにいるのかと捜せば、離れの物置として使っている小さな部屋に彼女はいて、一人ぼんやりと衣桁に掛けられた

着物を見つめていた。

それは先程まで彼女が身につけていた着物。

皆が今日の日にと贈ってくれた花嫁衣裳だ。

恐らく着物が気に入ったというよりも、その着物を贈ってくれた気持ちこそが嬉しかったのだろう。は宴が終わ

っても暫くは着物を脱ごうとしなかった。汚れては困ると言いながら。

「ここに居たのか。」

苦笑を浮かべて近付き、男は隣に腰を下ろす。

「そんなに眺めてどうした?」

問い掛ければは困ったような顔で笑いながら、こう答えた。

「なんだか、実感が湧かなくて‥‥」

何に、というのは聞かなくても分かったが視線で問えば彼女は視線を彼から着物へと移す。

今日、彼女はその純白の着物を纏って、彼と祝言を挙げた。

彼の妻となったのだ。

副長助勤でも、小姓でもなく、彼と対等の立場であり、彼に唯一愛してもらえる存在に。

はそうっと目を細める。どこか懐かしむように。

「私‥‥最初から諦めていたんです。」

彼女は言った。

「あなたを好きだと気付いた時から、私の恋は実らないものだって。」

そう、諦めていた。

彼は剣に生きていたから。新選組の為に生きていたから。

それ以外には目もくれなかった。彼にとってそれ以外は邪魔なものでしかない、そう言わんばかりにそれだけを真っ

直ぐに見つめて生きてきたから。

そして、同時に、自分では釣り合わないとは思っていた。

だって自分はただの助勤。

出来る事は戦う事だけ、人を斬る事だけ。

そんな自分が彼の心を癒す事は出来ない。ましてや彼に愛してもらえるわけもない。

だから‥‥この想いは自分だけのものにするはずだった。

実るはずもない恋だった。

でも、

自分は今こうして、彼の傍にいて、彼を愛する事を許され、そして、彼に愛されている。

とても嬉しい事だけれど、実感がない。

まるでふわふわと浮いているみたいだとは思った。

 

不意に視線を感じて戻せば、彼がじっとこちらを見ている事に気付く。

立てた己の膝に頬杖をついたその人は、どきりとするほど優しく、甘い眼差しを向けていた。

深い紫紺が愛おしげに見つめるのが自分で‥‥は胸の奥が震えてどきどきと早鐘を打つのに、腰の奥から痺れて

砕けてしまいそうだ。

「俺も‥‥無理だと思ってた。」

今度は彼が語った。

を好きだと気付いた時から、ずっとこの想いは消してしまおうと思った。

この想いは彼女を縛り付け、いつか殺してしまう。

決して幸せにする事など出来ない。不幸にしか出来ない。

泣かせる事しか出来ない。笑っていて欲しいのに。

だから、諦めようと思った。

二人では幸せになれないから。

「でも」

そう零した男は、そっと手を伸ばし、女の頬に触れる。

指先で触れれば柔らかなそれに指先が沈み、手のひらで包み込めばしっとりと肌に吸い付いてくる。まるで触れられ

るのを喜ぶみたいに。

「‥‥漸く、おまえを手に入れる事が出来た。」

今日、この日に、

 

「おまえは、俺だけのもんになった。」

 

色んな言葉で、想いで、彼女を諦めようとしたのは‥‥手に入らないと思ったから。

彼女が。彼女との幸せが。手に入らないと思ったから。

ただ、怖じ気づいただけ。

でももう、怖がらないし逃げない。

彼女は自分だけのものになったのだから。

彼女を不幸にするのも幸せにするのも自分だけ。

自分が彼女の未来を握っているだなんて、恐ろしいというよりも、光栄な事じゃないか。

自分が、自分だけが笑わせる事が出来るのだから。

 

「さて、そろそろ寝るか。」

ぼぅっとしたままのは、言葉にはっと我に返る。

土方が腰を上げた所で、何をしてる、と声を掛けられてぶんぶんと頭を振った。

「い、いえ、そうですね!」

慌てて立ち上がり、だが足が縺れて転びそうになる。

それを伸びた手が受け止め、ふわりと包む温もりと熱にの鼓動がどきんっと跳ねた。

お互いに薄い寝間着姿だ。

触れる感触はいつものよりもずっと生身に近く、なんだかいけない気持ちになってきてはまた慌てて離れた。

「ご、ごめんなさい!」

あからさまに飛び退くような感じになってしまったけれど、彼は苦笑でいやと言っただけだ。

どきどきと胸が高鳴ったまま、落ち着かない。

彼とふれ合うのはこれが初めてでもないのに。

でもこんなに緊張するのは、彼と夫婦になったからなのだろう。

本当の意味で近い関係になったのだ。

そういえば、祝言を挙げたというのなら今夜は、

 

――初夜――

 

。」

「ひぎゃ!?」

声を掛けられ、は悲鳴を上げる。

思わずずざざと飛び退いたのは決して彼とそういう事をするのが嫌だからではない。だが想像できないのは確かで。

でもその反応は彼に悪い。

慌てて「違うんです!」と口を開けば驚いたような顔をした彼は、苦笑を浮かべて、

「おやすみ。」

ぽんと、頭を撫でると背を向けてしまった。

呆気にとられるを独り置いて‥‥自分の部屋へと戻ってしまったのである。

 

彼と祝言を挙げた。

それは夢のようだが夢ではない。

何度頬を抓っても目は覚めない。

これは現実で、彼と今日、は夫婦になった。

土地によっては祝言を挙げる事よりも初夜にこそ重きをおいているほど、夫婦になるという意味で肉体的に契る事は

重要な事とされている。

も同じく、肌を合わせて初めて、その人と深い関係になれると思っていただけに、彼があっさりと部屋に退散し

てしまったのは拍子抜けだった。

独り部屋に戻り、ごそごそと用意した寝床へ潜り込みながらあれこれと考えてしまう。

もしや疲れているのだろうか、とか、彼はそれほど初夜を重要視していないのではないか、とか。

はたまた自分なんか抱きたくないのではないかと考えて落ち込み、でもその疑問をぶつけた時に違うと否定してもら

った事を思い出して浮上する。

彼は言った。

自分を抱きたいと思っていると。

男として、彼女を欲していると。

でもそれならどうして、何故今はこうして独りでいるのだろう。

どうしておやすみなんて言って部屋に戻ってしまったのだろう。

どうして、

どうして‥‥

 

「っ!」

どうして?

はがばりと布団を蹴立てて飛び起きると、部屋を飛び出した。

どうしてかなんて彼に聞かなければ分からない。

「土方さん!!」

返事も聞かずに襖を開けて飛び込む。

すると、

「っ!?」

同じように部屋を出ようとしていた土方が目の前に立っていて、

「――」

どさと、地味な音を立て、彼を巻き込んで二人は倒れ込む。

開け放った襖から覗く月明かりが、ゆらりと雲の影で揺れた。

まるで二人を笑うように。

確かに、笑えた。

「まさか、こんな夜におまえに飛びかかられるとはな。」

苦笑混じりの声が真上から降ってきて、はぎょっとしていつの間にか閉じていた瞳を開ける。

と、目の前に白い衣が飛び込んで‥‥まさかと顔を上げれば、苦笑を浮かべたその人が見下ろしていて、自分が彼に

抱き留められたという事に漸く気付く。

驚きに見開かれる瞳を意地悪く土方は覗き込んだ。

「俺の寝首でもかきにきたのか?」

「ち、がっ!」

決して彼に危害を加えにきたわけではない。

かといってまさか本当の事を言うわけにもいかない。

だって「何故何もしないのか」と聞けば何かされるのを期待しているみたいで‥‥そんな事を今更のように気付いて

視線を落とせば、小さな囁きが落ちてくる。

「ここに来たらどうなるか‥‥分かってんだよな?」

吐息混じりの声が髪を揺らす。

ぎくりと身体が強張ったのはその響きがあまりに甘く掠れていたのと、彼の手がそっと背中へと回されたから。

ただ触れるのではない。明確な意図を持って、なだらかな背を下へと降りていく。

これが彼でなければ「助平」と罵って蹴り飛ばす事だろう。でも、

「‥‥逃げねえのか?」

は拒まない。

ただ、恥ずかしそうに頬を染めただけ。彼の着物をきゅっと掴んだだけ。抵抗はせず、彼に身を委ねている。

土方は奥歯をぎりと噛みしめた。

「嫌がらねえと‥‥止めてやれねえぞ。」

その言葉は狡い。

まるで、逃げても良いって、拒んでも良いと言うみたいで、狡い。

ここに来た理由だって分かってるくせに。それでもなお逃げ道を与えようとする。

いや、違う。

きっと彼は求めているのだろう。

の気持ちを。

彼女が自分を求めるのを、待っているのだ。

滑り落ちた手が女の柔らかな尻を撫で、腿へと降り、やがて寝間着の隙間から素肌の感触を確かめるようにゆったり

と這い上がってくる。

ぞわぞわと駆け上がる言いしれぬ感覚に小さく息を飲んで喉を晒せば、土方の喉がひゅと嫌な音を立て、表情が険しく

なる。

。このままだと止められねえぞ。」

苦しげに細められた美しい瞳をゆらりと冒すように支配する色がある。

いつだって真っ直ぐに前を見ていた清浄なるその瞳に浮かぶのは、欲の色。

本能的に、男が女を求める――そう、

情欲の色。

だがそれを必死に理性で押し止めようとして、彼の瞳が揺れている。

それをはしっかりと受け止めながらゆるく頭を振った。

「止めないで、良い。」

恥ずかしくて逃げだしたくて堪らない。

でも、それ以上にはもっと彼とこうしていたかった。

「もっと、触れて欲しい。」

。」

自分の名を呼ぶ音は、酷く余裕の無いものだった。

言葉と同時に揺れる瞳に、ただただ愛おしさが募った。

 

「抱いて、下さい。」

 

不安と羞恥で涙さえ浮かべているくせに、真っ直ぐに自分を見て告げる女に、心の中で一度だけ「馬鹿が」と罵った。

怖いと言えば逃がしてやれたのに。

嫌だと拒めば止めてやれたのに。

この凶暴な想いで、彼女を傷つけずに済んだかもしれないのに。

土方は細く吐息を洩らすと、本能へと身を委ねた。

力強い男の手がぐいと引き寄せ、今し方自分が眠っていた布団へと彼女を押したおすと、宣告した。

 

「おまえを‥‥抱く。」

 

彼は言った。

もう泣いても許してと懇願しても、止めてやれないと。

はそれでいいと目を静かに閉じた。