17
四月末日。
新政府軍は新たに二千人という戦力を増員し、矢不来で交戦中の大鳥率いる旧幕府軍へ猛攻撃を開始した。
本道、海岸、山上の三方から迫られ、旧幕府軍は多くの死傷者を出し、総崩れとなる。
建て直しを計りつつ富川・有川にて応戦を試みた物の、戦況は混迷を極めた。
「っがぁっ!」
ざん、と鮮やかに敵を斬り伏せたはぜえはあと肩で息をしていた。
ずっと振り回し続けた刀をだらりと下ろし、顎を伝い落ちる汗を手の甲で拭う。
一呼吸吐く間もなく、パン、と甲高い音が足下で爆ぜた。
「っちぃ!」
増援が来た。
は舌打ちを一つすると地面に落ちていた銃を拾い、引き金を引いた。
反動と、火薬のにおい。
ぎゃあと遠くで聞こえる悲鳴と倒れる音
それをかき消す大勢の声。
はもう一度舌打ちをして銃を放り投げると走り出した。
「君っ!」
大鳥の声が聞こえる。
駄目だ、無茶だ、戻ってくるんだという必死の声だった。
坂を上がってくる数は十数。
目で捉えられるだけでそれは越えていた。
しかも手には最新の銃。
一方のは手に抜き身の刃一本である。
とても喧嘩をして勝てる相手ではなかった。
だが、
「っぎゃ!」
「ぐわっ!!」
は一人でも多く討ち取ろうと戦場を駆けた。
確かには強かった。
だが、
「っ!!」
たった一人で斬り伏せられる数は知れている。
が五人を殺す間に、敵は十数人を撃ち抜いた。
彼女に出来る事は、限られていた。
それでも、には止まる事など出来ない。
例えば、この身が朽ち果てようとも‥‥
「くっ!」
がん、と轟音が響き、脇腹を打ち抜かれる。
痛みよりも灼熱が襲い、は膝を着きそうになった。
そこで膝を着いたら格好の餌食である。だから、堪えて走った。
進路変更をして林の方へと突っ込むと茂みの中に隠れた。
すぐに銃弾の雨が追いかけてくる。
「っく、そ‥‥」
じわじわと血を溢れさせる脇腹を押さえ、は悔しげに呻いた。
矢不来が危ない‥‥との報せを受けてすっ飛んできたがもう既に矢不来から有川まで撤退を始めており、ここもじき
に落とされるだろう。
助けになればと思い応戦したものの、この様だ。
たった一人が強くとも、所詮は数に勝る武力はないということか。
二千を越える武力は、さすがに殲滅させられそうもない。
ここが落ちれば次は‥‥五稜郭。
もう、後はなかった。
「‥‥」
は一つ呼吸をして、手を離す。
脇腹の血は止まっていた。
パンと軽い音を立ててすぐ傍の地面がえぐれる。
は追いつめられている事に気付き、だが、焦りを少しも見せずにゆらりと立ち上がった。
出血が酷くて目眩がした。
「いたぞ!あそこだ!!」
撃て撃て、と敵兵の声が響いた。
銃弾の嵐が降り注ぐ。
は止まるわけにはいかなかった。
彼女が止まってしまえば、彼の元にあいつらを行かせる事になるから。
だから、
止まる事は出来なかった。
例えばこの身体を盾にしてだって。
止まるわけには、いかなかった。
――どんな事をしたって――
「――ぎゃああ!!」
突如、旋風が巻き起こり血飛沫が舞い上がった。
悲鳴を上げた人間もいれば、声一つあげられずに絶命したものもいた。
一太刀の元に斬り伏せられた一同は唖然とし、自身を斬りつけた相手を見極める事さえ出来なかっただろう。
ひゅうと風を唸らせて飛び出した小さな人影は、砂埃さえも上げずに敵陣へと突っ込んでいく。
風に巻き上げられた髪は不気味なほど白く見えた。
いや、
白であった。
そしてその双眸は金色。
文字通り鬼となったの姿であった。
「貴様っ、ぎゃっ!」
構えろと言う前に一団に切り込み、斬りつけた。
手当たり次第だった。
廻りにいる動く者をみんな斬った。
あの人の邪魔などさせるものか。
は思った。
あの人の障害になるものは全て斬り捨ててやる。
斬って、
斬り尽くして、
殺して、
殺し尽くしてやる。
「撃て撃てっ!!」
銃弾が飛んでくる。
その軌道が‥‥ぎらついた目にはしっかりと映っていた。
おそい――
は思う。
欠伸が出そうなほど、彼らの動きは遅い。
遅くて‥‥つまらない。
つまらない?
は自身に問いかけた。
快楽のために戦っているわけではない。
なのにどうしてそんな事を思ったのだろう。
ああ、そんな事よりももっと力を。
力を、力を。
力を。
――ぞわり、
と身体を違和感が走り、奥底から別の何かがあふれ出そうとする。
タノシイ
薄らと寒くなるような不気味な笑い声が脳裏に響く。
鬼姫が暴れようとしているのだ。
はぎりりと奥歯を噛みしめ、それに乗っ取られまいと堪える。
しかしどういうわけかその瞬間、銃弾の動きが読めなくなり、一つが肩を撃ち抜いた。
痛みが襲った。
「くっ」
意識が分離する。
鬼の力が一気に萎んでいくのが分かり、は慌てて力に呼びかけた。
再び力はわき上がってくるものの同時に狂気めいたものがぞぞぞとこみ上げて彼女を飲み込もうとする。
脳をそろりと、冷たい手が撫でた。
意識が、ぼやける。
ぼやけるのに動きは冴えていく。
自分ではない別の意志が身体を動かしていた。
そういうこと、か。
は嘲笑を漏らした。
羅刹が寿命の代わりに力を得るというのならば、
は、
力を得る代わりに『』という存在を蝕まれていくのだろう。
じり、と意識が飲まれる。
決して飲まれまいとするのに、意識が蝕まれ、黒く染められていく。
染めていくのは人に対する憎悪と、死に対する歓喜だ。
サア、ワタシニスベテヲアケワタセ
鬼姫の声が高らかに響き渡った。
もしこいつを渡したら、ここにいる全てを殺し尽くしてくれるか?とは訊ねた。
声は『是』と応える。
簡単な事だと、笑いながら。
そうか。
とは口元に笑みを浮かべた。
ならくれてやる――
あの人を守るためならばこの身体だってくれてやる。
だから、
絶対にあの人を守れと叫べば、鬼姫はからからと、楽しげに笑った。
――おまえは本当に、愚かな女だね――
静姫は言って、唐突に、するりと姿を消してしまった。
「!」
ぐいっと強く引かれ、はびくりと肩を震わせる。
はっと我に返れば目の前に、返り血と埃で顔を汚したその人の姿があった。
土方さん?
普通ならば紡げたはずの言葉は、ひゅーひゅーと変な息に変わった。
思ったように呼吸が出来なかった。
「ゆっくりで良い、落ち着いて呼吸をしろ。」
そのを腕に抱き込むようにしながら彼は走る。
この時に漸く音が蘇り、銃撃と怒声の声が飛び込んできた。
戦の真っ最中だった。
「っ」
振り返れば血溜まりがあり、絶命した敵兵の向こうから更にそれを上回る軍勢が押し寄せてくる。
それらを銃で牽制しつつ、土方は後退していた。
ここを捨てる気だった。
「だ、だめ‥‥」
はまだ、あいつらを殺してないと頭を振り、その手を振り払って戦いに戻ろうとする。
くらんと目眩がして、はそのまま倒れてしまいそうになった。
血を流しすぎたせいだろう。
は踏ん張り、奥歯を噛みしめて呻くように言った。
「‥‥おにの、ちからを、つかえば‥‥」
あんなの簡単に殲滅出来る。
ぎり、ともう一度刃の柄を握り直せば、今度は怒声が横面を張った。
「馬鹿野郎が!」
強い力が引き戻す。
彼は噛みつくように、言った。
「戦に勝っても、おまえを喪くしちまったら意味がねえだろ!」
もしこの戦いに勝てたとしても、彼女がいなければ、彼に意味はない。
そんな言葉には驚いたように彼を見上げたまま、言葉を無くした。
やがて項垂れるその身体をしっかりと支え、土方は強く、決定を伝える。
「撤退だ。」
戦いから戻ると、は二日間、寝込む事となった。
生きているのが奇跡だ‥‥と、医者は言った。
もう彼女の身体は、ぼろぼろだった。
「もう、鬼の力は使うな。」
懇願するような言葉に、何故か彼女が哀しそうな顔をしたのを覚えている。
まるでそれ以外に自分が役に立てる事などないと言いたげで‥‥土方は怒鳴りつけてやりたい気分だった。

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