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これは罰だろうか?
一瞬でも、自分は彼に想われていると、分不相応な事を考えた罰?
『おまえが必要だ――』
彼がそう言ってくれたから‥‥だから、自分は必要なんだと思っていた。
自分は彼を支えることが出来るんだと。
でも、
「土方さんに‥‥これを‥‥」
そう言って、手紙を差し出してきた女がいた。
自分にどこか似た、その人が、
彼に手紙をと言って近づいてきた。
土方さんと呼ぶその人の声音に、表情に‥‥何となく、気付いた。
その人は、
彼を想い、
自分がいない間、彼の傍にいたのだと。
根拠はない。
勘だった。
女の勘というやつだ。
まさかそんな曖昧なものを信じる日が来るとは思わなかった。
でも、多分、正しい。
そう、思った瞬間、
苦しくなった。
自分がいない間、彼の傍には別の誰かがいた。
目の前の彼女が、
彼の傍にいて、
支えていたのだ。
そう思うと、
苦しくて、
堪らなかった。
ああ、自分だけではないのだと。
自分だけが彼を想っているわけではないのだと。
自分だけが、彼を支えられるわけではないのだと。
『おまえが必要だ』
にとっては彼こそが必要だけど‥‥彼を必要としている人間は、だけではないのだと。
そう思うと‥‥すごく、
胸が痛かった。
――言葉にしなければ想いは伝わらない。
例えば彼女をどれほどに想っていても、大切にしたいと想っていても、伝わらない。
遠回しな言葉では‥‥彼女に何一つ伝わらないのだ。
そして、
――誤解へと繋がるのだ。
最近、の様子が少しおかしい。
気にしすぎ、なのかもしれないが、ちょっと距離を感じる、というか、遠慮みたいなものを感じるのだ。
とは言っても上官である自分に相変わらず遠慮はない。
口うるさいのも変わらず、だ。
しかし、ふとした瞬間、彼女と自分との間に壁を感じるのだ。
拒絶、
というよりは、
遠慮、
だろうか。
それは決まって、土方が彼女との距離を縮めようとした瞬間に表れる。
それが結い紐を贈ったその日から始まっているので、もしや、あれが迷惑だったのだろうかとも思ったが、それにし
ては彼女はその結い紐を大事そうに手首に巻き付けている。
あまり髪が長くないので落ちたらまずいとでも思ったのだろうか。
細い手首にしっかりと結びつけられたそれを見てほっとした。
ほっとした。
しかしそれならば何故‥‥
その謎は、
「これ」
と差し出された一通の手紙で理解した。
差出人は、知っている女のものだったからだ。
交野佐絵とは‥‥あれから一度も顔を合わせていない。
それは随分と遠い昔のことのように感じた。
「君は、きっといいお嫁さんになるんだろうね。」
扉の取っ手に手を掛けた瞬間、聞こえてきた男の声に土方は瞳を眇める。
その声は彼の良く知る人のもので‥‥というか土方の留守中に部屋に入ってくるような無遠慮な男など彼しかいない。
無人の時はそんな事もしないが、彼女がいると分かると主がいないというのに入室して、遠慮無く彼女と談笑なんぞ
をしているのだから腹立たしい。
話の内容を聞いても二人は「世間話」と言うだけで詳しい内容を教えてはくれない。
人が留守中に、人の助勤をとっつかまえてなんの話をしているかと思っていたが‥‥
まさか、
がちゃ、
「留守中に人の助勤にちょっかい出してんじゃねえよ。」
不機嫌さ全開の顔で扉を開け放ち、彼は言った。
声に二人は振り返る。
「おかえりなさい。」
「おかえり、土方君。」
長椅子に腰を下ろし、茶を啜りながらのんびりとした一時を満喫しているのは、やはり、大鳥圭介、その人だ。
邪気のない愛嬌のある笑みを向けられ、土方は更に不機嫌そうな顔になり扉を乱暴に閉めるとずかずかと近付いてくる。
そうしてどっかと彼と向かい合うように腰を下ろし「俺にも茶だ」と彼が言いきる前に、とん、と目前に湯飲みが置か
れた。
ふわり、と立ち上る湯気に、彼女は自分が戻ってくる事を見越して用意していたのだと知る。
相変わらず‥‥良くできた助勤である。
「本当に‥‥彼女は良くできた補佐官だね。」
美味い茶に、思わず口元が微かに緩む。
大鳥が感心したように呟いた瞬間、彼はそれを引き結び、憮然とした面持ちを上げた。
なんだ、と睨み付けられ、彼は笑いながら言う。
「君が帰ってくる時間をちゃんと把握して、それに合うようにお茶を入れてくるんだから‥‥」
彼女はすごいね、と褒めちぎられ、は苦笑いをした。
「そんな事ないですよ。」
「いやいや、謙遜しなくても良いじゃないか。」
大鳥はから視線を土方に向け、含みのある表情を浮かべる。
「美人で、聡明で、気立ても良くて‥‥」
「‥‥‥」
「こんな出来た人はなかなかいないよね。
ああ、僕も彼女みたいな補佐官が、いや、お嫁さんが欲しいなぁ。」
芝居がかったように大袈裟に羨ましがる大鳥に、土方は半眼になった。
何を言い出すんだこいつは、とか、なんとか言いたげな顔だ。
大鳥はそれからにいっと意地の悪い笑みを浮かべて土方を見て、
「君がお嫁さんに貰わないなら、僕に欲しいな。」
などと言い放った。
それは勿論、冗談だろう。
本気で彼女を土方から奪おうというつもりはなく、ただ、彼を焚き付けようとしているだけなのだ。
‥‥恐らく。
「寝言は寝てからいいやがれ。」
土方は呻くように告げた。
先ほどよりも不機嫌さを露わにし、足を組み替えて横柄にもこう言い放った。
「こいつは、俺のもんだ。
あんたにやるわけにゃいかねえよ。」
大鳥にも、
それから他のどの男にだって、
髪の一本ですら、くれてやるものかと彼は内心で言い放つ。
しかし、彼女が誰かのものになることなどあり得ない。
彼女は『彼女自身のもの』であるからだ。
他者が彼女を支配する事など、出来ない。
だけど、
男は自分のものであればいいと思う。
彼女が自分だけのものであればいいと‥‥
どの口が言うのだろうかと彼は内心で嗤った。
「好きだ」という想いにも応えてやれないくせに。
自分の気持ちも明かしていないくせに。
彼女は自分だけのものだなんて‥‥そんな都合の良い事。
「‥‥土方君‥‥」
それを、大鳥も思ったのだろう。
苦い顔になり、何か言いかける。
だが、遮ったのは土方ではなく、
「そうですよね。」
身勝手な男に自分の所有物扱いされた、当人であった。
しかも、彼の言葉を肯定するのだから勝手な事を言った土方でさえ驚いて、振り返る。
は盆を胸に抱いたまま、そうですよね、ともう一度呟き、やがてしっかりと大鳥の方を見て、告げた。
「私は、土方さんの助勤ですから。」
自分は、彼の部下だ。
彼だけの部下であるつもりだ。
つまり――自分を好きなように使って良いのは彼だけだ。
だからある意味、彼のものと言っても過言ではない。
彼が命じるのであればなんだってする。
命さえも投げ出しても構わない。
この身体も、命も、
彼が全てを握っているのだから、彼の所有物と言っても間違いではない。
否、
むしろ、
「私は、土方さんのものです。」
そうあってくれればいいのにと思う。
この身体も、命も、彼のもので在ればいいと。
彼だけのもので在ればいいと、は本気で思う。
「‥‥」
「‥‥」
きっぱりと言ってのける彼女に、土方と大鳥は何とも言えない顔で互いの顔を見た。
土方の方は非常に不満げだ‥‥無理もない事だ、なんせ、彼の言いたい事と彼女の思っている事は全くもって異なる
のだから。
一方の大鳥は彼を咎めるような顔になり「だから言ったじゃないか」と言いたげに土方を軽く睨む。
やがてたっぷりと沈黙した後、土方は盛大な溜息でそれをうち破った。
「‥‥で、大鳥さん、あんたは一体何しにここに来たんだ?」
用事があったんだろう?と訊ねられ、彼はそうだったと思い出したように声を上げる。
そうして突然、その表情を一変させた。
今までのふざけたそれを消し去り、真面目な表情で、唐突に紡ぐ。
「奴らは攻めてくると思うかい?」
脈絡のない会話に、しかし、そこにいた誰もが即座に理解した。
途端、も土方も、真剣な面差しになり、
「来る。」
きっぱりと土方は頷いてみせた。
奴ら‥‥新政府軍は必ず、ここ蝦夷を攻めてくる。
彼は思った。
いや、知っていた。
新政府軍が‥‥いや、薩長の連中が、自分たちを苦しめ続けた幕軍を放っておくはずがないと。
彼らは必ず蝦夷にやってきて、
自分たちを叩きつぶすに違いなかった。
「‥‥雪が溶ければ、すぐにでもな。」
雪が溶け、春になれば波は穏やかになる。
そうすれば軍艦を何隻も引き連れ、やってくる。
この地は必ず、戦場になる。
「‥‥僕も、そう思う。」
大鳥はじっと真面目な顔で彼を見つめたまま、告げた。
「榎本さんは話し合いで解決したいらしいけれど。」
「ああそりゃ土台無理な話だ。」
土方はひらっと手を振り、吐き捨てるように言う。
「話し合いなんぞで蹴りがつくんなら、もうとっくにこの戦争は収まってる。」
「そうだね‥‥」
大鳥は少し困ったように笑った。
彼の気持ちは分からなくない。
蝦夷にやってきたのは‥‥自分たちが自分たちらしく生きられる場所を求めてだった。
戦いを求めているわけではない。
幸せに暮らすため、だ。
「榎本さんには悪いが‥‥陸軍は春までに準備を整えるべきだな。」
少なくとも、今の倍は必要だと言う彼に、大鳥はしかと頷いた。
春になれば‥‥ここは戦場になる。
彼が大好きな季節が、争いで彩られるのかと思うと、辛かった。

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