――僕は君を助けたいんだ。

 

彼は真っ直ぐな眼差しでそう言ってくれた。

自分を助けたいと。

 

――だから、君と一緒に行く。

 

一緒に、どこまでも行くと。

言ってくれた。

 

助けるなんてとんでもないと千鶴は思った。

変若水を飲んだのは自分に隙があったからで、彼は何も悪くない。

彼には何度だって助けて貰った。

自分の代わりに彼は何度も傷ついた。

もう、十分だ。

彼が自分のために犠牲になる必要はない。

 

そう‥‥思っているのに。

 

伸ばされた手を離すことが出来ない弱い自分に、涙が出そうになった。

 

 

 

千鶴。

千鶴。

 

――誰かが自分の名を呼んでいる。

 

見渡す限りの草原に、愛らしい花々が咲き乱れていた。

人目を忍ぶように小さな家が緑の向こうにいくつかたたずんでいる。

それが‥‥彼らの家だった。

 

誰も彼もが幸せそうに微笑んでいた。

皆で仲良く、平和に暮らす日々。

そんな日常が何よりも愛おしかった。

 

突然、空が真っ赤に染まって――

 

千鶴

 

誰かが、自分の名を呼んだ。

悲鳴と、怒号が耳に飛び込んできた。

世界を真っ赤に染めるのは‥‥燃えさかる、炎。

ひどい血のにおいがした。

目眩がしそうなほどの濃い‥‥におい。

 

逃げろと誰かが言った。

苦しげに逃げろと誰かが言った。

 

気づくと、千鶴は誰かに抱きかかえられていた。

その人は闇の中を息を切らしながら走っていた。

振り返れば炎の中に、自分の家が飲み込まれていくのが見えた。

 

幼いながらに、

二度と、その幸せな日々には戻れないのだと‥‥分かった。

大事な人たちとは二度ともう、会うことも出来ないのだと。

自然と涙がこみ上げて、千鶴はむせび泣いた。

 

『憎い‥‥』

 

頭上から呪詛のような声が降ってくる。

 

『我らはただ静かに暮らしたかっただけ‥‥

それすら、人間たちは奪うのか。』

 

憎い、

憎い‥‥憎い‥‥

 

まるで、それだけしか言葉を知らぬかのように、その人は紡いだ。

 

『にくい』

 

耳についた言葉を、千鶴も紡いでみる。

憎いという言葉に、心がかっと燃え上がるのが分かった。

そして、醜い感情が己を黒く塗りつぶすのが。

 

「に、く‥‥い‥‥」

 

薄く開いた唇から、そんな言葉がこぼれ落ちた。

 

 

「千鶴ちゃん‥‥大丈夫?」

 

――誰かが、私を呼んでいる。

 

 

「っ!?」

はっと千鶴が目を覚ますと、こちらを心配そうな顔で覗き込む沖田の瞳とぶつかった。

「あ‥‥」

今のは‥‥夢?

いや、違う。

千鶴は直感で分かった。

先ほど見たのは、夢だけど夢ではない。

 

かつて‥‥自分の故郷を襲った、悲しい現実だ。

 

人が自分たちの里を、あんな風にした。

里の人間を殺したのは自分だとは言った。

でも、元を正せば‥‥人が争いの種を持ってきたのだ。

そう‥‥あの時里に『あの人間共』が来なければ‥‥は苦しむこともなく、自分たちは家族を失う事だって無かった

はずだ。

 

『憎い』

 

という誰かの言葉が蘇った。

憎い‥‥

千鶴は心の中で小さく呟いていた。

 

「‥‥もしかして怖い夢でも見た?

ずいぶん魘されてたみたいだけど‥‥」

 

彼の瞳を見返せなくて、千鶴は顔を背ける。

この身の内に巣くう暗い感情に気付かれたくなかった。

 

彼も人間だ。

人が憎いと言えば‥‥彼は自分をどんな目で見るだろうか‥‥

それが怖かった。

 

「大丈夫です‥‥」

固い声で返事をすれば、ため息と共に、

「嘘を吐くのが下手だね、君は。」

という呆れたような声音が聞こえた。

それが、今は何故かひどく癇に障った。

 

「――嘘じゃありません!」

 

気づけば、千鶴は大声で怒鳴っていた。

そんな彼女に沖田は驚いたように目を見開く。

それから、申し訳なさそうに瞳を伏せて、

「ごめん‥‥ただ、君が心配だったんだ。」

からかうつもりはなかったんだと素直に謝られ、千鶴の方が今度は申し訳無い気分になる。

彼はただ、自分を気遣ってくれただけなのに‥‥

どうして怒鳴ってしまったのだろう。

どうしてあんなに苛立ったのだろう。

 

自分の気持ちが‥‥分からない。

 

どろどろとした思いが溢れそうになる。

恐れと悲しみが、強い怒りを呼び起こす。

 

「沖田さん‥‥あの、私‥‥」

落ち着かない心を抑えきれず、千鶴は小さな声で彼を呼んだ。

ごめんなさい。

そう謝罪の言葉を口にするよりも前に、

「‥‥君の話が聞きたい。」

沖田は穏やかな微笑を浮かべてそう言ってくれた。

 

まるで‥‥自分の抱えている悲しみや怒りを、戸惑いを‥‥吐き出させてくれるかのように。

 

「‥‥私‥‥」

一瞬だけ、戸惑った。

こんな醜い感情を吐露してもいいのかと。

でも、沖田は優しく「大丈夫」と言ってくれた。

言葉にすることを許されて、少しだけ呼吸が楽になった気がする。

 

「思い出したんです‥‥」

 

昔の事。

そう切り出すと、沖田は黙って耳を傾けてくれた。

 

故郷の話をした。

とても綺麗で‥‥平和な場所だったと。

質素だけど、そこには大切な人がいて‥‥自分はそれだけで幸せだったのだと。

 

「‥‥私たちは、戦いたくなかった。

ただ静かに暮らしたかったんです。」

 

優しい記憶の中には、薫ももいた。

二人とも笑っていた。

とても無邪気に、笑っていた。

でも、あの日‥‥

彼らは全てを失った。

人間のせいで‥‥失った。

 

「私たちは何も悪くなかったのに!」

 

も悪くない。

勿論、意見を違えた大人たちだって悪くない。

全部全部、人間のせいで平和が崩れた。

その為には同族殺しという罪を背負うことになった。

皆、家族も、居場所も、全部‥‥失った。

 

「人間は身勝手な理由で私たちを‥‥!!」

 

感情が高ぶって苦しくなった。

 

「大人も、子供もみんな、みんな!

幸せに暮らしていただけの村をっ‥‥!」

 

彼らが滅茶苦茶にした。

 

千鶴は決して人を嫌いたいわけではない。

悪い人ばかりではない、いい人だっている。

でも、

彼女らの幸せを奪ったのは人間だ。

 

「わからないんです、自分の気持ちが‥‥っ」

 

憎悪という感情に心が乱された。

何かを恨むという事がこんなに苦しいことなのだと思わなかった。

苦しくて、悲しくて、

頭がおかしくなりそうだ。

 

――そのとき、不意に。

 

かさり、と草を踏む音が間近から聞こえた。

 

「‥‥ようやく思い出したんだ?」

 

千鶴たちの目の前に現れたのは、少し悲しげな笑みを浮かべた薫だった。

咄嗟に沖田は千鶴を庇うように前に出て、その眼差しを鋭くする。

「どうして、おまえがここにいるんだ。」

厳しい口調で問いながら、刀には既に手を伸ばしていた。

いつでも抜刀できる体勢だ。

しかし、千鶴は何故か斬らないで‥‥と思った。

あれほど酷い目に遭わされたというのに、彼の苦しみを、憎しみを、あの瞬間に理解したから。

 

「おまえらの情報はたやすく手に入ったよ。」

問いかけに薫はにこりと笑ってみせる。

「おまえらが北に向かってることさえわかれば、目的地は俺たちの故郷だろうって想像できるさ。」

千鶴を変若水の呪縛から解くつもりなのだろうとすぐに予想が出来た。

薄い笑みを湛えたまま、冷たい眼差しを沖田から千鶴へと向ける。

「‥‥世界の本質が少しは理解できた?

虐げられるのに理由なんて必要ないんだよ。」

「‥‥」

「世の中は愚かしくて汚らしくて、いつだって弱者に屈辱を強いる‥‥」

薫は苦しげに吐き捨てた。

「姉さんに、同族殺しの罪を‥‥」

優しいあの人に‥‥酷い罪を負わせた。

 

「西国藩から戦いに参加するよう命令されて、里の中で意見が二分した。」

「‥‥」

薫は覚えている記憶の断片を語ってくれる。

「姉さんの両親が力を貸すべきだと言った。

僕たちの両親は平和に暮らしたいと言った。」

実際、どちらが正しいのか分からない。

どちらも里の人間を思ってのことだった。

でも、その意見の食い違いから‥‥悲劇が起こった。

さんの両親が‥‥里の人間に殺された。」

「‥‥」

薫はそっと頷いた。

もしかしたら、自分たちの両親かもしれない‥‥それは伏せた。

「激昂した姉さんは、その場にいた大人たちを皆殺しにした。」

それだけじゃない。

鬼の血を‥‥忌まわしき呪われた血を、自らの手で根絶やしにしようとした。

「でも、悪いのは姉さんじゃない。」

彼は首を振る。

は望んで殺したのではない。

きっと彼女は悲しい悲劇を生みだした、自分たちの血を‥‥争いの種になる自分たちの力を‥‥消してしまおうと思

ったのだろう。

もう二度と、悲劇が起こらないように。

そう、薫は信じている。

 

だから彼女は悪くない。

悪いのは全て、

 

「人間共だ‥‥」

 

掻き乱し、自分たちを争わせ、

 

「結局最後には里の人間を全て焼き尽くそうとした‥‥人間共。」

 

力を貸せと言っておきながら、結局‥‥鬼の力を恐れて皆殺しにしようとした人間たちだ。

 

「‥‥っ」

目の前が真っ赤に染まった。

まるで、あの時の夜を再現しているかのように、真っ赤に。

火が放たれたわけでも、血が降っているわけでもない。

それは‥‥憎しみの色だ。

 

「ぬるま湯に浸って生きてきたおまえも、ようやく理不尽な苦渋を知ってくれたね。」

 

瞳に暗い憎しみの色を見つけて、薫は微笑んだ。

 

「これで‥‥やっと俺たちは平等になれた。」

 

同じ色をした瞳には不思議な安堵の色が秘められていた。

 

「俺たちば平等だ。

同じだけ苦しんだのなら、俺がおまえを嫌う理由はなくなる‥‥」

これで漸く‥‥と呟く彼は、すぐに新たな光を灯して千鶴に告げる。

「俺は故郷で――鬼の一族を再興する。

奪われた暮らしを取り戻すんだ。」

「雪村家の再興‥‥

それが薫の目的なの?」

千鶴が問うと、薫は素直に頷いた。

「俺は‥‥自分を虐げた奴らを許さない。

のうのうと生きている西の鬼も、この国にはびこる人間たちも‥‥」

そう告げる薫の瞳には激しい憎悪の色が浮かんでいた。

以前の千鶴ならば怖いと思っただろう。

だが‥‥今は彼の気持ちが分かった。

憎いという気持ちが、よく、分かった。

ただ、それと同時に、ひどく悲しくて‥‥胸がじりじりと痛む。

「綱道のおじさんが改良した変若水を使えば、弱点を克服した羅刹の軍団が作れる。」

「‥‥」

「鬼の血脈が薄い奴だって、変若水を作れば力を取り戻せる!

俺たちは俺たちの王国を作るんだ。」

さあ、と彼は手を差し出した。

「‥‥千鶴、俺と一緒に行こう。」

今日まで相容れないと思っていた兄から、突然手をさしのべられ、千鶴は動揺した。

「もう、分かったんだろ?

おまえが望むなら沖田も一緒でいい。」

だから一緒に行こうと彼は言う。

「僕と千鶴と‥‥姉さんと‥‥

邪魔な奴らは全て根絶やしにして、この国に俺たちの居場所を作ろう。」

 

――そんな事が出来るわけがない。

他の人間を根絶やしにしてなんて‥‥出来るわけがない。

でも、

自分は鬼だ。

鬼で、羅刹だ。

人と同じ生活は送れない。

いずれ、また‥‥人間に居場所を奪われることになるだろう。

 

それくらいならばいっそ‥‥

自分たちの国を作った方が幸せになれるだろうか?

薫は言ってくれた。

沖田も一緒で良い――

 

それならばその方法もいいのかもしれない。

 

大切な人がいてくれるのならばそれでも――

 

「僕は行かないよ。」

 

揺れる千鶴の耳に、静かな声が届いた。

沖田だ。

彼は真っ直ぐに薫を見据えて再びこう言った。

 

「絶対に‥‥行かない。」

 

すうと現実に一気に引き戻される感覚に、千鶴はああそうだ、と小さく呟いた。

 

彼が望むはずがない。

人間を根絶やしにして、化け物だらけの世界を作るなんてそんなこと。

 

だって彼は‥‥

人間だ。

羅刹だけど、人間だ。

自分とは‥‥違う。

 

そっと千鶴の瞳に絶望にも似た色が浮かぶのがわかった。

それに気付いて、薫は酷薄な笑みを湛える。

「今すぐに答えが欲しいわけじゃない。」

可愛い妹が悩む時間くらいはあげるよ‥‥と千鶴に柔らかな笑みを向ける。

「俺たちは故郷で待ってる。

たどり着くまでに、答えを決めておくんだね。」

それだけ言うと、彼はばさりと衣を翻して再び闇の中へと溶けていった。

千鶴は何も言えず、ただその後ろ姿を見送るばかりだった。

 

 

「‥‥」

 

その瞳が揺れているのが分かった。

彼女は‥‥迷っている。

薫と共に行くべきか、迷っている。

そんな彼女を見て、沖田は何かを言いかけ‥‥

 

「っ――」

 

突然、己の身体を押さえて低く呻いた。

 

「ぐ‥‥がっ、ぁ!?」

「沖田さん!?」

 

沖田は呻きながら胸を苦しげに掻きむしった。

 

こんな時に‥‥

と男は己が身体を呪った。

 

羅刹の発作だった。

千鶴は慌てて懐から薬を取り出し彼に差し出す。

しかし、

 

「ぐぅああっ!!」

「あっ!?」

 

苦しみから逃れるように腕を振りました彼に手を払いのけられ、地面に薬が舞い落ちた。

 

薬は‥‥もうそれだけしか残っていなかった。

 

「っ」

 

千鶴はなんとか懐紙に残った薬だけでも彼の発作を抑えることは出来ないかと拾い上げたが‥‥彼の様子を見てその

手を止める。

 

「が、ぁああああ!!」

 

その発作は‥‥今までのどれよりも激しい苦しみを与えた。

 

まるで獣のように唸り、額を地面に押しつけて彼は苦しみを堪えたかと思うと、拳を握りしめてだんっと思い切り地

面を叩いた。

虚空を見る瞳には今まで以上に餓えと、苦しみが浮かんでいた。

 

そのままぶつりと‥‥何かが切れて、崩れてしまいそうで。

彼が、

そのまま壊れてしまいそうで――

 

「――」

 

千鶴は迷うことなく小太刀を抜き放ち、驚きに目を見張る彼の前でその手に傷をつけた。

「っ」

じりと肌を焼くような痛みが一瞬走り、つぅ、と血が溢れだす。

「千鶴‥‥ちゃ‥‥」

「ごめんなさい、沖田さん。」

千鶴は悲しげに表情を歪める。

 

彼は嫌だと言った。

血は飲みたくないと。

狂いたくないと言った彼の気持ちを‥‥千鶴は彼のためとはいえ踏みにじった事になる。

でも、

 

「飲んで‥‥」

 

千鶴は言った。

飲んでと。

 

「‥‥」

震える吐息を漏らし、赤い血を飢えた目で見つめる。

すぐに怯えたような目になり、いやだと彼は頭を振って血から視線を背けた。

 

大丈夫、と千鶴は優しく言って膝を着いた。

震える背中に手を伸ばしてそっと撫でるとびくりとその大きな身体が震えた。

 

「千鶴‥‥ちゃん‥‥」

 

真っ赤な瞳がこちらを見ている。

初めて羅刹を見たとき‥‥あの時は怖いと思った赤。

血の色のようで怖いと思った赤。

でも、

彼のは怖くなかった。

 

「大丈夫。」

 

千鶴はもう一度優しく言った。

揺れる瞳をしっかりと見据えて、

 

「沖田さんは‥‥狂ったりなんかしません。」

 

そう、言い放つ。

 

彼は千鶴のために変若水の呪縛を解いてあげたいと言ってくれた。

何度だって自分を庇って傷ついた。

なんの役にも立たない自分を何度だって何度だって‥‥助けてくれた。

 

千鶴だって、

彼のために何かしたいと思った。

こんなことでしか役に立てない自分の無力さが情けなかったけれど‥‥それでも彼のために何かをしたいと思った。

 

「沖田さんは大丈夫です。」

 

もう一度強く千鶴は言った。

その瞬間、沖田の目がもう一度見開かれた。

驚いたように開かれて‥‥

 

「‥‥」

 

そして次には、瞳に力が戻った。

彼らしい、強くて真っ直ぐな力が。

 

「ごめんね。」

沖田はそう告げて、ゆっくりと千鶴の手を取る。

溢れた血を彼はぼうっと魅入られたかのように見つめたかと思うと、やがて、

ちろり、

と赤い舌先が血を舐め取った。

 

「ごめん‥‥」

 

どこか恍惚とした表情を浮かべながら血を舐め取る姿を見て、謝るのは‥‥自分の方だと千鶴は心の中で呟いた。

 

こんな事をして更に彼を苦しめるだけだと分かっているのに。

 

――飲んで――

 

そう彼に血を飲ませたのは、彼を苦しめたくない気持ちがあった。

だけど、それ以上に、

 

喪いたくなかった。

 

彼を。

ここで。

 

だから、自分の我が儘のために彼に血を差し出した。

 

なんて身勝手で‥‥弱いのだろうかと千鶴は己を呪った。

 

 

 

「‥‥千鶴ちゃん?」

 

常の姿を取り戻した沖田はその手を離そうとして逆にぎゅっと小さな手に掴まれて戸惑いの声を上げる。

どうしたのかと問うけれど‥‥彼女は顔を上げてはくれなかった。

ただ、地面を見つめたまま、

 

「ごめんなさい。」

 

ごめんなさいと謝った。

 

「私、強くなりますっ」

震える声で彼女は続けた。

強くなるから。

「絶対強く、なるから‥‥」

じわりと浮かんだ涙で視界が歪んだ。

泣きたくなかった。

泣いたら‥‥また弱くなってしまいそうだったから。

 

強くなるから。

強くなるから。

 

千鶴は何度も言った。

 

薫の言葉に惑わされないくらい強く。

一人でも立ち上がれるくらい強く。

 

強く‥‥

 

彼が愛した――あの人みたいに――

 

強くなるから。

 

そうして、強く、大きな手を握りしめると、嗚咽を堪えて言葉を零した。

 

「だから‥‥もう少しだけ、この手を繋いでいてもいいですか‥‥」

 

この手を、離さなくてもいいですか?

あなたの隣に、いてもいいですか?

 

強くなるから。

一人で立ち上がれるくらい強くなるまで、強くなるから。

だから、

それまでは、

 

――一緒にいてもいいですか?

 

「‥‥っ」

 

悲痛ささえも感じる問いかけに、沖田は黙って手の中にある小さなそれを握りしめた。

まるで、

 

離すものかと言うみたいに――