「‥‥気になって仕方がねえって面だな。」

 

傷口を流すと言って他に目もくれずに沖田がその場を経ってから暫くが経つ。

というのに、千鶴はずっとその場に立ちつくし、彼らが消えた方を見つめていた。

背後から声を掛けられ、びくりと大袈裟に肩を震わせ、千鶴は振り返った。

 

「ひ、土方さん?」

 

彼がいて‥‥驚いた。

驚く必要などない、ずっとそこに立っていたのに。

そんな彼女の反応に土方は喉を震わせて笑った。

 

先ほど沖田が千鶴の存在に気付かずにを連れ去ったのと同様、千鶴も土方の存在に気付かなかったようだ。

 

まあ別に構わねえけどなと土方は一人ごちて、彼女の隣へとやってきた。

そうして、同じように彼女の目線の先を追う。

茂みの向こうは、闇、だ。

その向こうに二人が消えた。

 

「気になるなら行けばいいんじゃねえのか?」

嫉妬しているんだろうと言外に匂わすような科白に、千鶴は慌てて違いますと首を振った。

「‥‥べ、別に沖田さんとはそういうんじゃありませんから。」

 

語尾がしゅんと窄んで消えていく。

自分で言って、なんだか落ち込んだ。

そうだ、彼とは何でもない。

彼の行動を咎める資格は彼女にはなかった。

恋人でもなんでもないのだから。

どちらかといえばそう‥‥と沖田が恋人‥‥という方がしっくりくる。

あの二人の間にはなんだか、他の人とは違う独特な雰囲気があるから。

 

「俺は別に総司の事を言ったんじゃねえんだけどな‥‥」

 

いつぞや、斎藤にされた‥‥とはいっても彼には故意はないが‥‥事をそのまま千鶴にしてみる。

彼女は面白いくらいにまんまと嵌ってくれて、

 

「っ!?」

 

驚きに目を見開き、意地の悪い笑みを浮かべた土方を見上げる。

それから慌てて、

 

「わ、私、そのっ‥‥」

 

顔を真っ赤にして視線を逸らした。

 

素直で結構だ、と土方は苦笑を噛み殺すのに必死だ。

 

かまを掛けたつもりはない。

彼女が沖田を好きだというのはそんな事をせずとも分かっていたことだ。

千鶴はとても真っ直ぐで分かりやすい性格をしていたから。

それから、沖田の気持ちも‥‥分かっていた。

 

「大丈夫だ。」

 

土方は肩を落とす千鶴の頭をぽんと撫でた。

 

沖田は‥‥千鶴を大切だと思っているに違いない。

それは仲間としてではない。

一人の女として、大切なのだ。

でなければあの面倒くさがりの男がここまで千鶴を引き連れてくるものか。

戦えない彼女は足手まといになる。

自分一人で行くよりもずっと手間も掛かるし、危険も増す。

そんな彼女を無事、ここまで連れてきたのはきっと‥‥命令だからでも、義務感からでもない。

 

そう、彼自身が‥‥千鶴と離れたくなかったのだろう。

だから、ここまで二人で来たのだ。

 

「‥‥大丈夫だ。」

 

もう一度大丈夫と言って、ぽんと頭をもう一度撫でる。

千鶴は不安げにこちらを見上げてきた。

本当ですか?と言いたげでもあるし、同時にそんなことはないと否定するようでもある。

彼女は人の事をよく見ているくせに‥‥実際自分に向けられる気持ちには鈍感なようだ。

そこはとよく似ている‥‥といえばそうかもしれない。

彼女も自分に向けられる感情に、鈍い。

もしかしたらわざと気付かないようにしているのか――

 

「土方さんは気にならないんですか?」

 

そんな事を考えていると、千鶴に質問をされた。

 

気にならないのか――

 

無意識のうちに彼女の事を考えていた自分の気持ちを見透かされたようでぎくりとした。

思わず「なにが?」と返す言葉が強ばるほどに。

 

千鶴は音にしたつもりはなかったらしい。

問いかけられ、慌ててはっと口を押さえると、いや、だの、その、だのと言いよどむ。

睨み付けるではなくじっと彼女を見つめてその真意を問いただせば、千鶴はその視線に耐えられなくなって、

 

「‥‥そ、その‥‥さんと沖田さんが一緒で、気にならないんですか?」

 

とこう訊ねてくるのだ。

 

確かにの傷の具合が気になる所だが、何故彼女は『二人が一緒で気にならないのか』と訊ねたのだろう?

 

更に、どうして?と訊ねると千鶴はだって、と口ごもる。

でも言ってしまってからもう戻れないというのに気付いたのだろう。

千鶴は恐る恐ると言った風に‥‥でも、しっかりとこう言った。

 

「土方さんは‥‥さんの事が好きなんじゃないんですか?」

 

がつん――と土方は頭を殴られた気分だった。

その人への気持ちを自覚し始めたのはつい最近だったというのに、どうやらこの鈍いと思っていた少女にまで気付か

れているらしい。

彼は難しい顔で眉間を揉んだ。

 

「あ、あの、勘違いだったらすいません!!

私‥‥てっきり‥‥」

 

明らかに不機嫌な様子の彼に千鶴は慌てて口を開く。

 

――てっきり、彼がに特別な想いを寄せているのではないか――と思っていたらしい。

残念なことに、正解だ。

土方は更に眉間の皺を濃くした。

それにしたって、何故気付かれてしまったのだろう?

 

「なんで、そんなことを?」

 

土方は疲れたように溜息を零して訊ねた。

肯定はしない。

だがそう訊ねることこそが肯定なのだと‥‥目の前の少女は気付かない。

ただ「これは私の勝手な想像なんですけど」と前置きをして、

 

「土方さん‥‥ものすごい剣幕でしたから‥‥」

 

が殴られたとき、ものすごい剣幕で彼女の事を心配していたからと千鶴は言った。

 

そりゃもちろん、仲間が自分を庇って殴られたとあれば心配もするだろう。

おまけに沖田は男では女だ。

力の差からいっても、が殴られればただではすまないことだって分かっている。

でもそういうのじゃなくてもっと‥‥

 

「‥‥もっと‥‥特別な感じがするんです。」

 

千鶴は上手く言えなくて言葉を止めてしまった。

 

仲間をただ心配しているのと何が違うのかと聞かれたら明確には答えられない。

その表情や声から感じる必死さや、気遣いは‥‥言葉では言い表せない特別な何かがある気がした。

仲間を案じるよりももっと‥‥

もっと大切な人を心配するような響きが。

例えば、

愛する人に向けるみたいな。

 

「‥‥」

 

土方は暫く難しい顔をしていたが、やがて違わないなと溜息を零して呟いた。

 

「あいつ‥‥だから。」

 

必死にもなる。

 

――大切な‥‥人だから。

 

仲間としても一人の人としても大切だから。

そしてその大切な人は‥‥無茶ばかりするから。

自分を庇って銃弾を受けたり、一人で何十人という敵と戦ったり、

自分の代わりに仲間に殴られたり、

一人で、

傷を背負おうとするから。

 

思い返せば近藤が亡くなったあたりからだろうか。

昔からは任務のためならば自分の身を簡単に差し出すことが出来るほど‥‥自分に頓着しない人間だった。

でも、最近はそれにますます拍車が掛かっている気がした。

まるで‥‥

 

「‥‥生き急いでるような‥‥」

 

まるで、

死にたがっているようにも見える。

 

 

――自分の代わりに――

 

 

 

って、鬼だったの?』

 

飾らない真っ直ぐな問いかけには一瞬面食らった。

が、それよりもそういえば彼には何も教えていなかったという事に驚いた。

 

「あ。そっか‥‥言ってなかったっけ?」

 

てっきり彼にも伝えてるものだと思っていた。

すると沖田は不満げに唇を尖らせる。

 

「言ってなかったよ。」

「いやてっきりさ。

おまえに伝えてるもんだと思ってた。」

「伝えてない。」

 

強く言う。

どこか拗ねたような顔をしている彼には困ったように笑い、

 

「うん、ごめん。

そうなんだ。」

 

私は鬼だと彼女はあっさりと認めた。

 

「千鶴ちゃんからは何も?」

「‥‥が鬼だってことくらい。」

そっか、とは呟いた。

まあ彼女自身が自分の過去を覚えていないのだから教えられることは少ないだろうが‥‥それ以前に彼女はの気持ち

を慮ってくれたのだろう。

自分の口から告げるべきではないと。

ふ、とはため息を吐き、さてどこから話すかなぁと視線を虚空へ向けた。

 

「千鶴ちゃんとは、従兄弟にあたるんだけどね‥‥」

「‥‥」

「相当、血の濃い『純血の鬼』らしいよ。」

 

あっけらかんと自分を化け物と彼女は言った。

 

「じゃあ、も傷が?」

「治るよ。」

勿論と彼女は頷いた。

羅刹である彼らと同じ‥‥だけど血に狂うことも、力を使うことで命を削ることもない。

ただ、

は視線を伏せて悲しげに笑った。

 

「私の中には‥‥鬼の姫さんが眠ってる。」

 

多分それは‥‥彼らが抱えているそのどれよりも重たくて、厄介なものだと彼女は思った。

 

「鬼の、姫さん?」

鸚鵡返しに訊ねる沖田には頷く。

「正真正銘‥‥雪村の正当な血を受け継ぐ、鬼の姫。」

今現在、散り散りになっている鬼たちのどれよりも濃くどれよりも強い鬼の血を持つ、純血の鬼。

風間や千鶴、それに千姫をも凌駕する鬼の血がの中には流れている。

まさしく‥‥鬼の一族の長として頂点に立つに相応しい血が。

姫と呼ばれる血が。

 

でも、とは頭を振った。

 

「姫とは名ばかり。」

 

彼女は姫と言うには相応しくないほど、凶暴で凶悪な性格の持ち主だ。

 

頂点に立つには相応しくないほど、一族に対しての嫌悪‥‥いや、生きとし生けるもの全てに対しての嫌悪感を持っ

ている。

そして、その嫌悪感の為に命をいくら殺しても構わないと言う考えの持ち主。

 

「‥‥それって、の中にもう一つの人間がいるってこと?」

人、というより、鬼だが、

「そういうことだね。」

は頷いた。

そうして空を見上げて、力無く笑った。

自分の身体にもう一人が存在する‥‥なんて、不思議な感じだ。

いや、不思議‥‥というより、

 

――不安――だ。

 

はもやと胸の内に広がるそれを吐き出すように溜息を吐いた。

 

「静姫になると‥‥どうなるか分かんないんだ。」

「それは、の身体を乗っ取るってこと?」

「‥‥そう。」

 

とくんと、まるで何かが応えるかのように鼓動が跳ねた。

彼女はまだ、自分の中に残っているらしい。

きっと機会をうかがっているのだ。

自分が自由になる機会。

を殺す機会。

 

「‥‥暴走したら私の意志では‥‥止めらんない。」

 

はぽつんと呟いた。

 

その時彼女が何を思うのか分からない。

もしかしたら面倒くさいと山奥に消えてしまうかも知れないし、何もかもを殺し尽くして彼女はこの世界から生き物

を消してしまうかもしれない。

それはにも、他の誰にも分からない。

がもう一度目覚めた時には‥‥目の前には何も残っていないかも知れない。

大切な人も、愛する人も全て。

そう思うと‥‥怖かった。

自分の身体なのに自分の意志では止められない‥‥

そして自分の手で大切な人の命を殺めてしまうかもしれないと思うと、

怖くて怖くて、たまらない。

 

「‥‥」

 

はまるで自分の身体を抱きしめるみたいに両手で己の腕を掴んだ。

そうでもないと、震えてしまいそうだった。

この先の戦いでどれほど無残に殺されることよりも‥‥怖かった。

 

 

――俺が止めてやる――

 

不意に、強い声が蘇った。

 

絶対の自信を込めた強い声と、

そうして、

その強い眼差しが。

 

――俺が止めてやる――

 

不安になれば思い出すのはいつだって‥‥彼の揺るがない強い眼差しと声。

真っ直ぐな眼差しで、彼は約束通り止めてくれた。

自分をいつだって引き戻してくれるのは‥‥彼だ。

 

不思議だった。

あれほど怖いと思っていたのに、それを思い出しただけで恐れが消えていく。

そんなもの絶対ではないはずなのに。

どうしてだろう‥‥

 

「土方さん?」

 

ふと、隣で沖田が彼の名を口にした。

驚いてそちらに視線を向けると、苦笑を浮かべていた。

 

彼女は言った。

自分では止められない――と。

自分にも、ではなく、自分では、と。

つまり、彼女以外の誰かが止められるということで‥‥それが、彼なのではないかと沖田は結論づけた。

それに、

 

がそんな顔をして思い出すのは‥‥あの人の事でしょ?」

 

沖田は知っている。

がそんな優しい顔で思い浮かべるのはただ一人だと。

 

「‥‥そう、だね。」

 

はそうっと目元を綻ばせた。

嬉しそうに笑うそれは、まるで花が綻ぶかのように甘い表情だった。

それは紛れもなく、恋する女の表情だ。

 

「好き――なんでしょ?」

 

苦笑を浮かべながら、静かに訊ねた。

質問と言うよりは確認という響き。

 

何故かは迷わなかった。

誰にも明かすつもりのない想いだったのに、気がつくと、

 

「‥‥すき‥‥」

 

とひどく穏やかな声で、想いを言葉にする。

 

あの人が好きだと。

愛しているんだと。

 

瞳に甘さを湛えて彼女は言った。

 

とは知り合ってもう十年以上にもなる‥‥でも、彼女がそんな甘い表情が出来るというのは初めて知った。

甘くて、優しくて、穏やかな、表情。

まるで女の子みたいな‥‥表情。

 

‥‥少しだけ、彼女を変えたあの男に嫉妬した。

きっと一番自分が近くて、一番自分が彼女の事を知っていると思っていた。

まるで自分の半身のような存在だって。

魂の片割れのような存在。

そんな大事な存在を‥‥『彼』が変えたのだから。

 

「‥‥言わないの?」

 

沖田は面白くないなぁと内心で思いながらそんな事を訊ねる。

これも答えは分かっていた。

 

「‥‥言えない。」

 

言わない、ではなく、言えないと答えるあたりが彼女らしい。

 

きっと彼女は、こんな時に浮ついた事を言っている場合じゃないとかそんな事を考えているんだろう。

でも、こんな時だからこそ彼には伝えておくべきだと思う。

死んでしまったらその気持ちさえ伝えられないと言うのに‥‥

 

それに‥‥と彼女はぽつんと呟いた。

 

「きっと私なんてあの人の眼中にはないよ。」

 

彼が見ているのは『夢』だけなのだから。

近藤と共に、そして仲間たちと共に見続けた‥‥優しくて愚かな夢だけだから。

それだけが彼の、今の全てなのだから。

 

 

「そうかなぁ‥‥」

 

のんびりとした沖田の言葉に、はそうだよと決めつけて、笑った。

 

「私はこのままで‥‥構わないんだ。」

 

別に何も望んでいないと言いたげな声に、少しだけ、寂しそうな色が混じった。