「土方君、君は分かっているのかい!?」

 

声を荒げ、大鳥は怪我人という事も忘れて怒鳴りつけた。

島田がまあまあと宥めるが彼は感情が高ぶりすぎていて止められないようだった。

彼の無謀な行為を窘める男は、いつもの穏和な顔を真っ赤にして、目をつり上げている。

だが、

ただ単に土方を叱りつける‥‥というのではない。

瞳にはどれだけ彼の身を案じていたか、というのが伺えた。

そして彼の生還を心の底から喜んでいると言う事も。

その感情がない交ぜになり、大鳥は自分でも感情を堪えられないようだった。

 

『ほら、トシ。

おまえの周りには色んな人がいるだろう?』

 

色んな人が自分を支え、想ってくれているだろう?

 

近藤の優しい声が聞こえた。

 

ああ、そうだなと土方は頷く。

 

大鳥も島田も、そしても。

それ以外の、土方についていこうと決めた人たち達だって。

彼を想ってくれている。

 

彼らは皆、同じ夢を目指している仲間だ。

 

そして、

 

自分は、

彼らの道標なのだ。

 

自分がいなくなれば‥‥彼らは道を見失い、迷う。

 

自分がいなくなれば、

彼と思い描き、作り上げた夢は、

今度こそ、壊れて、消える。

 

そんな事をさせてはいけない。

ここには、まだ‥‥侍がいるのだ。

 

「聞いているのかい!?」

 

大鳥が怒声を上げた。

その顔は真っ赤になり、目は僅かに潤んでいる。

 

ああ、と土方は答え、その表情をくしゃりと歪める。

 

「悪かった。」

 

そうして頭を下げれば、大鳥もそして、島田も驚きの表情を浮かべていた。

言葉が自然と出た。

 

悪いと彼らに思った。

本気で彼らに申し訳ないと思った。

 

「心配をかけて‥‥すまなかった。」

 

言葉にした瞬間、なんだか穏やかな気持ちに自分でもなれて‥‥不思議な思いだった。

 

 

 

ぱたぱたと慌ただしい足音が聞こえ、土方は顔を上げる。

開けはなった窓から見下ろす景色に飴色の髪が忙しなく動くのを見つけた。

だ。

 

「一番隊の隊長―、ちょっといいかな?」

 

どうやら伝令に走り回っているらしい。

土方が起きあがれない今、は仕事に追われていた。

作戦の伝令や、隊の編成。

弾薬や武器の在庫確認や、その他情報収集と大わらわだ。

時折武器の扱いや武術の指導なども行っているようである。

部下を持たない自由気ままな立場ではあったが、彼女は元々面倒見がいい気質をしている。

また話しかけやすい人柄のせいでもあるのだろう、はここでも人気者だった。

 

というのであちこちから声を掛けられ、忙しくしている。

おまけに土方の看病‥‥だ。

いつ彼女は休んでいるのだろうかと疑いたくなる。

しかもそれを微塵も土方に感じさせない。

 

「ああいうとこばかり上手くなりやがって‥‥」

 

土方は吐き捨てる。

 

ただ、がいてくれて助かっている‥‥というのも本当の事だ。

彼女がいるととても事が順調に運ぶ。

昔からそうだったが、彼女は聡い女だった。

一歩引いた所で冷静に状況を分析し、自分が今一番求められている事を瞬時に把握する。

そしてそれを迷わず行動し、行動しながら次の自分が取るべき行動を、と、何手も先まで読む人間だった。

 

土方は自分には勿体ないくらいだと呟くが、実際は彼以外の傍ではそこまでは発揮できないだろう。

ひとえに、彼女が土方の事をずっと見ていているからこそ、彼のしたい事が分かるのだということにこの男は気付いて

いない。

 

「うん、それでいいよ。」

頼むね、とが言えば一番隊の隊長は真面目な顔をして頷き、颯爽と踵を返した。

そういえば一番組といえば沖田の隊だったなと思い出すとなんだかおかしかった。

今度の隊長とはえらい違いだったからだ。

 

ふっとが僅かに笑みを漏らした次の瞬間には背後から別の男の声が飛んできた。

さん、ちょっといいですか?」

武器の点検を‥‥と言うその男には今行くと声を返して小走りに駆けた。

それからもあちこちで声を掛けられぱたぱたと決して広くはない庭を右へ左へと移動する。

土方はそれをじっと見つめていた。

 

「本当に、よくくるくると‥‥」

 

呆れ、とも感心ともつかない声で呟き、男は窓枠に肘を着く。

 

怪我で休んでいる土方の代わりに働く

今や新選組を動かしているのは彼女と言っても過言ではない。

とはいっても、彼女の意志は即ち土方の意志だ。

何も言わずともなりに汲み取って行動をしてくれていた。

長年、彼と共にいたのだ。

もう何も言わなくても伝わる。

しっかりと、は土方や近藤の意志を受け継いでいた。

 

その姿を見ながら、ふいに、言葉が零れた。

 

「あいつなら、俺の代わりをしっかりと勤めてくれる‥‥か。」

 

例えば、

自分がいなくなったとしても、

自分の代わりに彼らを導いてくれる人がいる。

勿論そんなに簡単にこの重たい荷物を彼女に預けるつもりはない。

途中でくたばるつもりは毛頭無いが、万が一、そう万が一にでも彼がいなくなっても、

 

「‥‥俺たちの夢は、消えねえ。」

 

彼女がいる限り。

自分達の夢を受け継いでくれる人はいる。

 

自分がいなくなってもきっと。

 

 

「‥‥」

 

 

まるで、その言葉が聞こえたのだろうか?

ふいにが顔を上げた。

 

迷うことなく上げられた視線は土方の部屋へと向けられ、

 

「あ。」

「‥‥お‥‥」

 

ばちりと琥珀のそれとぶつかる。

 

心の内を見透かすような強い瞳がこちらを見上げていた。

まるで、

そんなことはないと否定するかのように。

自分を迷わず、見つけて、

 

「‥‥」

 

まずい、と思った頃にはのそれが細められた。

 

「――」

 

半眼で睨み付けるようなそれになり、唇がぱくぱくと動く。

 

『なにしてるんですか』

 

と非難めいた音にならない声に、土方はこりゃ面倒になりそうだと顔を引っ込める。

そのうち怒鳴り込んでくるだろう。

やれやれと肩を竦めながらどうせ叱られるのならば同じだと机へとつき、仕事をし始めた。

 

 

「なんで起きてるんですか?」

襖を開けるや否やは笑顔全開でそんな事を言った。

予想通りの反応である。

あの後すぐに話を切り上げてやってきたのだろう。

土方は顔さえ上げずに、

「仕事がたまってんだ。

仕方ねえだろ。」

と開き直って筆に墨汁を付けて、文字を書き進める。

「その割にはさっき、手を止めてましたよね?」

「息抜きだ。

おまえも必要だって良く言うだろ?」

「ああ言えばこういう‥‥」

は溜息を吐き、開けはなった窓から吹き込む冷たい風に気付いて羽織をその肩に掛けた。

「いらねえよ。」

「駄目。」

それは聞かないとは首を振った。

「起きてるのは目を瞑るんですから、せめてこれくらい世話焼かせてください。」

もう一度いらねえと言いかけたが、顔を上げた瞬間ぶつかる琥珀の瞳が真剣な色を湛えていて、言葉は半分で飲み込

込んだ。

 

彼が傷を負って寝込んでいた最中、ずっと看病をしていたのは彼女だと島田から聞いた。

誰かが代わると言っても聞かず、何日も付きっきりで彼を看病したと。

ろくに食事も、睡眠も取らずに。

 

それを思いだし、土方は僅かに顔を顰めた。

 

「心配しすぎだ‥‥」

大袈裟だと言うけれど、視線を逸らしてしまうのは彼女に心配をかけてしまったと分かっているからだ。

「大袈裟じゃありません。

土方さん死にかけてたんですよ。」

「‥‥死にかけてねえ。」

それじゃまるで風間に負けたみたいで悔しい。

「ちょっと傷が深かっただけだ。」

と憮然として言うがははいはいとおざなりな返事をするばかりだ。

「とにかく、これくらい世話を焼かせてください。」

いいですねと強く言われ、やれやれと肩を竦めた。

「本当におまえ、千鶴に似てきたな。」

お節介焼きがと言うと、

「血は繋がってるんだから、似ていて当然です。」

さらりとは流す。

ああそうだ、彼女たちは少なからず血のつながりがあるのだった。

思い出して喉を鳴らして笑い、昔は少しも似てなかったのに‥‥などと考えていると、がじっとこちらを見つめて

いる事に気付いた。

どうした?とこちらが聞くよりも前に、

「傷の具合‥‥どうですか?」

と訊ねてくる。

顔を見ると一度は向けてくる質問に、土方はひょいと片眉を跳ね上げ、困ったように笑った。

「大丈夫だって、毎日言ってんだろ?

ちゃんと包帯は巻いてある。傷口もなるべく動かさねえようにしてるよ。」

その着物の下はぐるぐるとご丁寧に何重にも包帯を巻かれている。

もうほとんど傷口は塞がっていると言ってるのに、きちんと傷口が完治するまでは許さないと言われてしまった。

お陰で動きにくいったらありゃしない。

「どうだかなぁ‥‥」

は疑うような眼差しを男に向けた。

彼は人の目を盗んではよく仕事をしている、今みたいに。

隠れて無理をするのは本当に止めてほしい。

「でも、辛かったら言ってくださいね?

私じゃ出来る事は少ないけど‥‥」

それでも何かの役に立ちたいんですと悲しげに少し瞳を細めた彼女に、土方はいや、と首を振った。

彼女は十分すぎるほど働いてくれている。

十分に彼のためにしてくれる。

動けない彼の代わりに走り回ってくれる。

それに、

彼の我が儘も聞いてくれる。

口では文句を言いつつも結局土方のやりたいようにさせてくれるのだ。

勿論‥‥身体に障らない程度に、ではあるが、それを見極めぎりぎりの所までは彼の我が儘を許してくれる。

 

自分には有り難い存在だと土方は思った。

 

だが、その分彼女の負担が増えているのも事実だ。

 

「おまえも少しは休めよ。」

土方が言うとは小首を傾げて、

「私十分休んでますよ?」

と答えた。

嘘を吐け。

内心で呟く代わりに睨み付けてやるが、はどこ吹く風、である。

昼も夜もなく忙しく駆けずり回る彼女が休みを取る時間など無い事は分かっていた。

逆にいつが暇なのかと聴いてやりたいくらいだ。

今朝も食べたかどうか怪しいものである。

忙しいと自分の事を後回しにしてしまい、結局倒れる寸前までいくのだからたちが悪い。

本人は全く気付かないというのも問題だ。

 

「どうすりゃおまえは‥‥」

 

溜息が零れた。

どうすれば彼女は無理をしないだろう。

どうすれば自分の事を省みてくれるだろうかと考えてみたけれど‥‥答えは出ない気がした。

 

それが、

という人だからだ。

 

自分が信じた人の為ならば、自分がどうなろうと構わない。

苦しかろうが、傷つこうが‥‥

彼女はきっと何とも思わないのだろう。

いや、逆に幸せとさえ感じるのかも知れない。

 

哀れだと思った。

 

だって‥‥ここには彼女が信じる人はいないのだから――

 

 

「何か言いました?」

 

は小首を傾げた。

琥珀の瞳はしっかりと自分を見ていた。

苦しみも辛さも悟らせない明るい瞳だった。

土方は小さく吐息を漏らして、緩く首を振り、

 

「おまえは無茶をするから目を離せないって言った。」

 

と零す。

そうするとは瞠目し、しかしすぐに口元を僅かに歪めて笑みを作ると、

 

「なに、心配してくれてるんですか?」

 

と意地悪く訊ねてくる。

 

土方は半眼で彼女を見て、溜息を零す。

 

「するに決まってるだろ‥‥」

 

心配するに決まってる。

 

だって、彼女は‥‥

 

「おまえは‥‥」

 

大切な仲間。

いや、

かけがえのない家族だ。

 

血は繋がらないが、そんなもの関係ない。

小さい頃からずっと一緒にいた。

楽しい事も苦しい事も、全部一緒に共有した。

ある種、本当の家族よりも心を許していると言っても過言ではない。

 

彼女は自分にとって家族の一人。

 

だけではなく、沖田や斎藤、原田や藤堂、永倉‥‥もちろん近藤もそうで‥‥逆にからしても同じだろう。

 

だから、心配ぐらいする。

 

大切な家族なのだ。

 

――家族――

 

もう一度心の中で呟き、

 

「‥‥」

 

自分の中で違和感が生まれたのに気付いた。

 

何故だろう。

なにか、違う。

 

家族のように大事という気持ちにかわりはない。

仲間よりも近しい、家族に似た存在である事にはかわりはない。

でも、親と子でもなければ兄と妹という存在でもない。

 

自分が彼女に対して向けているのが家族に対する情愛というよりももっと‥‥もどかしいような、くすぐったいような

苦しいような、

そんなもので構成されている気がして‥‥

家族よりも深い絆などありはしないのに、それよりももっと深い何か求めている自分がいて‥‥

 

「‥‥」

 

「土方さん?」

 

難しい顔で黙り込む彼をは呼んだ。

しかし、男には聞こえないようだった。

 

自分にとってという人は、どういう存在なのだろう。

 

仲間?

家族?

 

それとも――

 

 

答えが、喉の奥で引っかかった。