「ぐぁああ!!」

鮮血が宙に上がり、土方の悲鳴が上がる。

安綱が深々とその身体を貫いていた。

しかし、

 

「‥‥ふん‥‥」

 

その刃は少しだけ軌道がずれていた。

心臓を貫くはずだったそれは男の脇腹を貫き、畳へと縫いつけている。

風間は面白そうに顔を歪め、自分にしがみついた女へと目を向けた。

 

「やめろ‥‥」

 

は奥歯を噛みしめ、鬼を睨み付ける。

その髪は飴色のままだった。

その瞳は琥珀のままだった。

のまま、風間を止めに疾走した。

しかも、

刃を抜かず、

体当たりで男を止めた。

風間が刃を土方に振り下ろさず‥‥向かってくるに向けていれば彼女は死んだかも知れないのに。

それでも、身体は止まらなかった。

以前風間に深々と身体を刺し貫かれた時とは違って、その刃で受けた傷は癒せないと分かっているのに。

でも、怖くなかった。

は死ぬのなんて怖くなかった。

それよりも、失いたくなかった。

 

「やめろ‥‥」

 

彼を。

失いたくなかった。

 

「‥‥やめろ‥‥」

 

もう一度言ったのは土方だった。

‥‥おまえは‥‥手をッ‥‥」

「‥‥」

風間はちらりと土方を見下ろす。

その瞳にはまだ強い色を残している。

地に縫い止められながらも‥‥男は絶望することなく、風間を睨み付け、

 

「手を、出すな‥‥」

 

そう言葉にする。

 

それはに対して言った言葉ではなく、

風間に対して放たれた言葉だった。

 

静かな怒りを孕んだ強い瞳を土方は確かに向けていた。

 

その意味を、風間は瞬時に理解した。

 

ああ、そうか。

 

風間は低く笑みを漏らした。

その瞬間、男を今度こそ絶望させる方法を、見つけた。

 

「‥‥なるほど。」

呟き、風間は刃の柄から手を離す。

そしてその手を、

「っ!?」

半ば抱きつくように体当たりしてきたの腰へと回す。

ぐ、と引き寄せられは驚愕に目を見張った。

!」

「こちらの方が、貴様には効き目があるようだな‥‥」

抱き寄せた瞬間、土方の口から必死な声が上がった。

てめえと地を這うようなそれを漏らし、瞳に激しい怒りの色を浮かべた。

「や、めろっ!」

は慌てて肩を押しのけようとしたが、以前と同じ結果だ。

所詮、男鬼に女鬼は敵わない。

「丁度良い‥‥貴様は俺の嫁となる女だ。」

だれが、とが噛みつくように反論すれば、顎を強く掴まれた。

こちらを見るその男の目には、

‥‥明らかな欲の色が、ある。

 

――

 

は驚きに目を見開いた。

 

「‥‥どのみち、俺に奪われる身‥‥」

ならば、と鬼は、嗤う。

 

「今ここで――奪ってやろう。」

 

愛した男の目の前で。

絶望を与えてやろうと男は、言って、

 

「っん――

 

その柔らかな唇を奪った。

触れた瞬間、一瞬、何が起こったのか分からなかった。

「っ‥‥」

土方が息を飲むのが聞こえた。

乾いた男の唇の感触に、自分が口づけをされているのだと分かった瞬間には、

「っ!?」

ぬるりとした何かが開いた唇から滑り込んできた。

男の舌だと分かった。

それがの口腔を蹂躙する。

上顎や歯列を遠慮無く舐った。

「っ!」

噛みついてやろうとしたが、顎を捕らえられているせいで出来ない。

ならばせめてと逃げ回るが、狭いその中ではいとも簡単に絡め取られ、

「ふっ、ぅっ‥‥」

強く吸いあげられる。

 

いくら嫌悪していても、感じるように舐られれば身体は簡単に落ちる。

人は痛みには耐えられても快楽には耐えるように出来てはいない。

 

「っん‥‥ぅっ‥‥」

 

いや、いやだ。

は力を失っても男の肩を押し続けた。

だが、拒めば拒むほど男の口づけは深くなり、

 

「んふっ‥‥ぅっ‥‥」

 

望みもしないのに感じた声が鼻から抜けて出てしまう。

 

痛いくらいの視線を感じた。

土方のだと、目を閉じていても分かる。

いやだ、彼の目の前で他の男に奪われるなんて‥‥

 

「やっ‥‥ぅっ‥‥」

 

は、と唇を離された瞬間、互いの口の間を銀糸が伝う。

屈辱に歪められた琥珀の瞳は、その意志に反して甘く濡れていた。

無理矢理しているというのに、風間はまるで愛し合っている男女が行っているかのように優しく女の口元を拭ってやった。

そしてそのまま下へと唇と手とを滑らせる。

「やめろ!風間っ!

おまえの相手は、俺だろうがっ‥‥」

だからやめろと言えば、風間は横目でちらりと見て、見せつけるかのように、

 

「っ!?」

 

首筋を、強く吸った。

白い肌に赤い花が咲く。

鬼が所有印を刻んだそこは‥‥

 

土方が、

 

彼女の血を飲むために何度も傷を付けた場所だった。

 

ぐるりと頭の中で何かが暴れ出すのが土方には分かる。

 

目の前が真っ赤に染まった。

 

「き‥‥さま‥‥」

 

唸るような声が口から零れ、風間は向けられる感情に更に笑みを深くする。

 

土方は藻掻いた。

しかし、藻掻けば藻掻くだけ血が流れ出るだけで一向に状況は良くならない。

くそと吐き捨て、刀の柄に手を伸ばすが‥‥届かない。

悔しげに唇を噛みしめば、何か白いものが飛んできて畳の上に転がった。

釦だ。

 

「っ貴様!」

 

視線を上げれば、の胸元。

彼女の前を止めているその釦を、男がぶつぶつと音を立てながらむしり取っていた。

白い衣の中に包まれた肌も、同じく、白い。

「や‥‥めっ‥‥」

かつんと指先が固いものに触れる。

胸当てだった。

「ふん、随分と無粋なものを着けているな。」

風間は固いそれに指を引っかけて強く、引く。

「いっ!」

そのまま引きちぎるつもりだ。

「やめろ!」

土方が叫んだ。

防具は背面部分を紐でしっかりと結んである。

引きちぎるなんてそんなこと‥‥

 

ぶつ、

 

「っ!」

 

背中を、細い紐が食い込み、

無理矢理引っ張る事で皮膚を、裂く。

 

「い、ぁっ!」

 

びぃ――

 

やがて嫌な音を立て、胸当てはごろりと床に落ちる。

それと共に引き裂かれた衣がはらはらとまるで花弁のように舞い落ちた。

 

「‥‥っ‥‥」

 

そして引きちぎられた衣の間に、

女のまろやかな乳房が現れた。

 

「ほう‥‥?」

知らず声が漏れた。

現れた女の双丘から芳しい香りが漂う。

風間は僅かに上気した目元を細めた。

「や‥‥やだっ‥‥」

咄嗟に胸を隠そうとするのは、がやはり女たるせい。

しかし、隠すよりも先に男の顔が近付いてきて、

「つっ!?」

膨らみの始まりを噛みつかれ、痛みにはびくりと背を撓らせた。

触れた肌は溶けてしまいそうなほど柔らかく‥‥そして、甘い。

脳髄までも蕩けさせるような感覚を男に与える。

そして‥‥

「や‥‥や、だ‥‥」

無理矢理与えられた快楽に感じ、濡れた瞳に。

そこに浮かぶ婀娜めいた表情の奥‥‥

決して他者に屈する事のない強い光を滲ませた瞳に。

「‥‥」

風間は囚われた。

 

――欲しいと思った――

 

土方に屈辱を、絶望を与えるのではなく、

この女を自分のものにしたいという感情がわき起こるのを感じた。

その瞳が自分を乞う様を見てみたいと。

その瞳が自分に屈した姿を‥‥見てみたいと、男の性が騒いだ。

 

「くくっ‥‥」

風間は胸に唇を寄せたまま自嘲じみた笑みを浮かべ、やがて性急な繋がりを求めてその手を下肢へと伸ばした。

 

「い、いや‥‥」

怯えたような声が口から漏れ、は本格的に暴れた。

「いや、やだっ!!」

風間の手がベルトに掛かった。

手早く金具を外して緩めればごとりと音を立て刀が落ちた。

その時になっては自分が刀を持っていた事を思いだした。

手を伸ばそうとしたけれど今更遅い。

そんなをせせら笑いながら、風間は穿き物の釦を些か慌てたような手つきで外していく。

 

「やめ‥‥」

「良い声で、啼け。」

 

どこか上擦った声で男は言い、臍の周りを撫で、その下へと手を滑らせた。

 

擽ったさと嫌悪感に身を捩ったは、ばちりと彼の視線と絡み合ってしまう。

 

紫紺の瞳がこちらを見ていた。

赤く染まるほど怒りを孕んだ瞳がこちらをじっと見つめていた。

 

はその瞳を見て‥‥

 

悲しげに、目を細めた。

 

見ないで。

もうこれ以上、他の男の手に触れられ、汚される自分を見ないで。

 

そう願いながら、彼女は決して求めなかった。

 

土方に、

助けて欲しいと――

求めはしなかった。

 

 

指先が、彼女の身体の中で一番、

柔らかく、

熱い場所へと、

伸ばされる。

 

――

 

の瞳から、その瞬間色が落ちた。

 

美しい澄み切った琥珀が、色を失った。

 

それは、

『諦めた瞬間』だった。

 

 

その瞬間、

 

――ズブリっ――

 

嫌な音が聞こえた。

そしてすぐ続いたのは、何かが駆ける音と、

 

――ヒュ!!

 

風を斬る音。

 

「っ!?」

 

すぐ傍で驚きの声が聞こえ、は唐突に束縛から解かれた。

 

「っ!!」

力を失った身体はそのままへたり込む。

かと思えば、その身体は暖かな何かに包まれていて、

 

「土方‥‥さん。」

 

血みどろの彼がそこにいた。

白銀の髪が血で染まっている。

血の色をしたその瞳は、凶暴な怒りを湛えていた。

 

「‥‥?」

 

ふと、服に伝わる濡れた感触に気づいて見れば、彼の脇腹から大量の血が溢れていた。

そうだ。

彼は先ほどまでそこに刃を突き立てられていた。

畳に縫いつけるように、刀で刺し貫かれていたのだ。

 

見れば畳に刀が突き立てられたまま、ある。

刃は血で濡れていて、衣もそこに残っていた。

 

「土方さん、まさかっ‥‥」

 

は悲鳴みたいな声を上げた。

まさか、彼は自ら身を引き裂いて来たというのか。

 

ぼたぼた。

とこぼれる血がその証拠だ。

彼の顔は青い。

羅刹として回復するはずのそれは、しかし、風間が持つ鬼さえも殺すという刀のせいで傷は塞がらない。

どんどんと血が失われる。

立っているのもやっとだろうに、彼はその瞳を鋭くしたまま動かない。

をぎゅっと抱く手も、決して弱めたりなどしない。

 

「許さねえ‥‥」

 

地を這うような声が響く。

怒りだけが今の彼を突き動かす。

 

唐突に邪魔をされた風間は苛立った様子でこちらを睨み付けた。

 

「返せ。」

死に損ないがと鬼は言い、畳に突き立った刃を簡単に引き抜いた。

それを土方へと向け、もう一度唸るように、

「返せ。」

と言った。

 

「土方さん‥‥離して‥‥」

このままでは本当に殺されてしまう。

「土方さん‥‥」

呼びかけに男は応えない。

ただ、の肩を抱く手に力を込めた。

 

「‥‥」

 

風間はそんな男を無言で睨み付け、刃を振り上げる。

 

その瞬間‥‥土方の意識は、途切れた。