ど‥‥ん
ひゅー、ぱぁん‥‥
空に大輪の花が咲いている。
はそれを一人で見上げながら小さく「たまやー」と言ってみた。
誰か「かぎやー」と返してと思ったが、きっと隣にあの男がいてもそれは言ってくれそうにない。
予定よりも離れた所で、花火を見ている。
寄りかかった鉄製の手すりが冷たくて、火照る身体を冷やしてくれる気がした。
頭の中は、随分と冷め切ってしまっているけど。
どん‥‥
また空に花が咲く。
賑やかに。
いくつもの花を咲かせる。
その度にわっとあたりで楽しげな声が上がった。
みんな楽しそうでいいなぁとは思った。
「土方さんも‥‥どっかで見てるかなぁ」
ふと、あたりを見回し、彼の事を考えた。
折角一緒に来たのにこんな風になってしまって申し訳ないと思う。
人混みがあまり得意じゃないから花火は見に来ないっていうのを無理矢理連れ出したのに‥‥
「っていうか‥‥せっかくの初デート。」
台無しだ、とは呟いた。
視線を落とすと、自分の手が視界に入る。
もうすっかりと感触なんて忘れてしまったけど‥‥初めて、彼と手を繋いだ手。
大きかったな、とは思いだした。
それから、
男の人なのに指が細くて、長くて‥‥
ちょっとむかつくくらいに滑らかだったと。
でもやっぱり大きくて、力強くて‥‥でもでも、
「優しかった」
あの人の手は。
残った温もりを逃さないように、はそっと開いた手を閉じた。
同時に目も、閉じる。
あの優しい手にふりほどかれたとき、胸が痛かった。
決して自分と手を繋ぐのがいやだったとかそういうのじゃないのは分かってる。
ただ、仕方ないのだ。
彼が教師で。
自分が、生徒である限り。
共に歩くことも、手を繋ぐことも、
本当は出来ない。
自分たちがそんな関係だから。
「‥‥仕方、ないんだよね‥‥」
はもう一度目を開ける。
瞳が僅かに揺れた。
仕方ないと割り切ってはいても‥‥やっぱり、心のどこかで悲しいと、寂しいと思った。
今、ここに一人でいることが。
彼と共にいられないことが。
彼に、
触れられないことが。
寂しいと‥‥
「仕方ない、じゃん」
はもう一度呟いた。
まるで、自分に言い聞かすみたいに。
溢れそうになる自分勝手な感情を、無理矢理押し込めるみたいに。
呟いて、
「さて‥‥と‥‥」
どんとまた花火が上がる音が聞こえた。
から、とやけに寂しげな音をさせる下駄を鳴らし、は背を向けた。
皆の視線は空に釘付けだ。
「かえろ‥‥」
一人呟いて、は歩き出した。
誘っておいて、先に帰る非礼を詫びようと、巾着から携帯を取りだして‥‥
せっかくのデートで水を差されたくなかったから切っておいた電源を、入れる。
ぱぁ、と真っ黒だった画面に花火が映り込んだ。
それから、
電源が入って明るくなる。
「ええと‥‥」
メール画面を開いて、は一度顔を上げた。
なんと打とうかと迷って、
「やっぱり‥‥」
画面へともう一度視線を戻し、
「ごめんなさい、からだよね‥‥」
そう言って、メールを打とうと指を動かした。
一人逆方向へと歩き出す彼女に、なんだかモテそうにない男達の声が掛かる。
それをは無視してぱちぱちと指を動かした。
なんだよつれねーなと誰かが言った。
ついてくる男もいたが、無視を決め込むとほどなくして離れていく。
どん、
ぱぁあ、
どん、
ぱらぱら、
背後では賑やかな音が続いた。
メールを打ちながら、
そういえば今朝書いてきた短冊の願い事は叶わないなぁ‥‥なんて考えていると、
唐突に、
――ぐっ
と肩を掴まれた。
それは強い力で振り向かされ、はナンパにしては乱暴なと心の中で呟き、応戦すべく右手に持っていた巾着を振り
回すところだった。
しかし、
「‥‥え?」
その手は途中で止まる。
そこに立っていたのはナンパ目的のチャラいお兄ちゃんでも、怖いおじさんでも‥‥ましてや同級生でもなかった。
そこに、
立っていたのは、
「土方‥‥さん‥‥」
何故か怖いくらいに真剣な顔をした、さきほど別れたはずの男の姿だ。
怖い顔の頬をつぅと汗が流れていく。
いつも涼しい顔をしているから汗など掻かないのかと思っていたが、そうじゃないらしい。
息も、何故か弾んでいた。
いや、それよりもどうして?
「どうして‥‥ここ‥‥」
ここに?と彼女は問いかけた。
土方はその問いに、思い切り不機嫌そうな顔をしてみせる。
「おまえが帰るならここを通るだろうと思ったからだ。」
来るときもここからだった。
徒歩で帰るには遠すぎる。
必ず彼女は電車に乗って帰ると分かっていた。
だから、ここで待っていた。
実はそれに気付いたのはつい数分前で、全速力で駆けてきた。
それだけ気が動転していた自分が少し笑えてくる。
だけど、はそんな彼には気付かずに、もう一度「どうして」と心底分からないと言う風な顔で訊ねた。
「そんなの‥‥」
本気で分からない彼女に少しばかりイラッとした。
ここにいたのは決まってる。
彼女を待っていたのだ。
そして待っていた理由は‥‥勿論‥‥
「‥‥」
言葉にしようとして、土方は止めた。
ぞろ、と見物客の波がこちらへと戻ってきたからだ。
また誰かに見つかったら先ほどと同じ事を繰り返す。
そしたらまた、彼女は自分の手をふりほどいて‥‥
そして何でもない顔で「大丈夫」と笑うんだ。
そんなこと、
させてたまるか――
「来い」
短く言うと、土方はその手をぐいと引っ張った。
多少乱暴で、は半ば引きずられるように彼の後に続く。
「土方さん!」
彼が向かったのは駅のホームではない。
祭の会場でもなく、その反対方向‥‥少し静まりかえった人気のない通り。
早足でずかずかと彼は進む。
は脚をもつれさせながらなんとか彼の後に続いた。
コンパスが違うためにどうしても早足になる。
ものの数分も経たない内に、彼は何かを見つけて、進路変更をした。
くるりと角を曲がると、もそれに従う。
角を曲がり、すぐ手前の建物を目指して、彼は進んだ。
「ひ、じかたさっ‥‥ここっ」
は慌てて声を上げた。
何故ならそこは少しばかり入りにくい雰囲気を醸し出す、独特な建物。
「ホテルだ」
土方は短く答える。
ウィン‥‥と自動ドアが静かに開いた。
普通のホテルならばいらっしゃいませと声を掛けてくる人間は一人もいない。
無人だ。
それもそのはず、ホテルとは言っても‥‥恋人たちの為に作られたホテル。
そう、ラブホテルだ。
その中に入る理由はただ一つで、はぎょっとした。
いや、確かに彼の事は好きだし、いずれはそういう事があってもいいと思うが、
「ま‥‥まって」
まだ心の準備がとは心の中で叫ぶ。
しかし、男は耳を貸さずにぐいと引っ張るととっとと部屋を選んでしまい、エレベーターへと乗ってしまった。
「土方っさ‥‥」
「黙ってろ」
彼は低い声で遮る。
何の音もさせずに静かにエレベーターは止まると、彼はまた大股でエレベーターホールへと出た。
それから手にしたカードキーで、部屋のドアを開ける。
部屋の番号は『505』
「ちょ、待って!」
まだ私心の準備が、とは慌てて告げた。
ぐいと大きく開かれたドアの向こう、キングサイズのベッドが目に飛び込んで、は悲鳴を上げそうになった。
瞬間、
ぎゅっと、男の手がを抱きしめた。
びくんと思わず身体が震えたのは許して欲しい。
怖い、とかそういうのじゃない。
いや、ちょっと怖いかも知れないが‥‥でも、いやとかじゃなく、とが言い訳を考えているが、土方は決してそれ
以上何もしてこなかった。
ただ、腕の中に閉じこめ、しっかりとを抱きしめる。
ドアががちゃりと閉まるのが遅れて聞こえた。
「‥‥土方‥‥さん?」
恐る恐る声を掛ける。
その時になって、ふわりと、彼の汗のにおいがした。
不思議と嫌なにおいだとは思わなかった。
「なにも‥‥しねえよ‥‥」
彼はを抱きしめたまま、少しだけ掠れた声で呟いた。
一度、呼吸を整えるように息を、吐く。
熱い吐息が肩口を掠め、はぴくっと小さく震えた。
「おまえの嫌がることは何もしねえよ」
それを恐怖と取ったらしい男は、ことさら優しい声で「安心しろ」と言った。
「ただ‥‥二人きりになりたかっただけだ」
と。
選んだ場所が少し悪かったかもしれないが、許せ、と彼は思う。
ここならば絶対に誰かに会う事はない。
人目をびくびくすることも、
彼女の手をふりほどくことも、
彼女を悲しませることも、ない。
ただ、
「おまえに触れたかっただけだ」
人目を気にせず、
「こうして、遠慮無く触れたかっただけだ‥‥」
と男は言って、更に、抱きしめる手に力を入れた。
耳元で聞こえた、甘く、どこか掠れた色っぽい声と、背をしっかりと抱くその人の大きな手。
それを感じながら、は彼の人の腕の中でぽつりと恥ずかしさを紛らわすみたいに、呟いた。
「サービスしすぎ‥‥」
ひらひらと夜風に揺れる短冊。
そこに書かれたのは控えめな、文字。
『彼に触れられますように』
「邪魔しに行こうかな」
悪友はのんびりとそんな事を言って、ぴんっとピンク色の短冊を指先で弾いた。
「土方さん、なんか帰れそうにないですよね」
「ああ‥‥今夜は泊まりだな」
「‥‥ええと‥‥」
「家に連絡しといた方がいいぞ」
「‥‥」
「おい、どうした?」
「土方先生」
「‥‥そいつは‥‥牽制のつもりか?」

七夕
あいにくの曇り空ですが、
書いてみました。
因みに、土方さんには手を出されることなく、
翌日無事家に帰り着きましたとさ(笑)
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