どこをどう走っただろう。
  なるべく人のいない方へいない方へと彼を誘導した。
  気がつくと廃寺の裏手、竹林へと迷い込んでいた。
  密集して生える丈夫な竹の間をくぐり抜ければ、ぐん、と強い力で引き戻された。

  「くそっ」

  帯が引っかかったらしい。
  即座にそれを外そうとしたらそれよりも前に迫った刃が、

  「っ!!」

  ざん――

  一閃した。

  竹毎まっぷたつにされ、はお陰様でその場を脱することが出来た。
  しかし、

  「‥‥間一髪。」

  その一撃で、着物をざっくりと斬られていた。
  まともに受けていたら胸から下とはおさらばしていただろう。
  しかしなんという切れ味だ。
  衣の下には鎖帷子を着ているというのにそれもざっくりと切り裂かれている。
  その下に巻いているサラシなど障害にもならないだろう。

  「‥‥」

  は唇を引き結び、腰に巻いていた濃紺の羽織を羽織る。
  そうしてしっかりと衿を締めるとこちらも応戦とばかりに刃を抜いた。

  抜いたはいいが‥‥果たしてこの男に勝てるものだろうか。

  先ほど手を合わせた所、まともに斬り結ぶのは困難だった。
  馬鹿みたいな力を持っていたから。
  それならば懐に入って、一撃を食らわせて、奪えばいい。
  多分、

  「‥‥」

  ちらと彼が手にしている刃を見遣る。

  彼がおかしい理由は‥‥あの刀が原因なのだから。

  それを落とさせればきっと。

  「がぁあっ!!」

  咆哮を合図には走った。
  男はがむしゃらに刃を振りかぶる。
  斬る、というよりは振り回すみたいに。
  まるで‥‥彼らしくない戦い方。

  いつものあなたはもっと‥‥綺麗に戦うのに――

  は何故か悔しくて唇を噛みしめた。

  「がぅあ!!」

  ざん、と銀色のそれが横薙ぎに振るわれる。
  それは数本の竹を切り裂き、竹林の在り方を変えた。

  「っ!」

  そしてまたすぐに刃が迫る。

  くるりと身を捻ってそれをかわした。

  もし相手が正真正銘、土方であればちょこまかとよく動くものだと苦笑を漏らしたに違いない。
  だがその男は、

  ――ぐっ!

  「いっ!!」

  まるで焦れたかのように、くるりと身をかわした瞬間に空に舞う飴色のそれを掴んで、引きたおした。
  ぶちりと嫌な音がして何本か無理矢理髪の毛が引き抜かれたのが分かった。

  どさ!

  「っこのっ!」

  一瞬背中をぶつけた衝撃に息が止まる。
  がすぐに気を取り直すとは申し訳ないと思ったが男の股間を思い切り蹴り上げようとした。
  それが効果的な手段だと知っていたからだ。
  しかし、

  「っ!?」

  それよりも先に迫った大きな手が女の細い首へと絡みついた。

  ぎり、と強い力で喉を締め上げられ、嫌な音がした。

  しまった――

  は顔を歪める。
  痛みと、
  それから苦しみに。

  「‥‥殺す‥‥」

  狂ったような真っ赤な瞳が見下ろしている。
  殺すと彼はまた言った。

  「ひじ‥‥かっ‥‥」

  目を覚まして、とは声を漏らした。
  実際何も音にはならず、苦しげな吐息が零れただけだ。
  ぎりりと更に力が込められた。

  「ぐっ‥‥ひじ‥‥かたさっ‥‥!」
  目を――

  「殺す‥‥」

  男はもう一度言った。

  殺すとぎらついた目で告げて、
  そうして、
  刃が振り上げられる。

  ――頭がぼんやりとしてきた。
  空気が回っていない証拠だ。

  はぼんやりと頼りない目で男を見あげた。

  真っ赤な。
  血のような赤の瞳を。
  それは、の好きな色じゃない。

  自分が好きなのはもっと‥‥深くて綺麗な‥‥優しい紫紺。

  こんな得体の知れない者に、
  やられてたまるかとは思った。

  指先は動かない。
  脚も動かない。
  でも、
  辛うじて、
  声は、出た。

  だから、はしかと赤い目を睨み付けて、力の限りに、叫んだ。

  「んな得体の知れない物に操られるんじゃない!!
  この、馬鹿歳三――!!」

  ざん、

  振り下ろした刃は深々と‥‥大地まで抉った。



  じわり、滴が伝い落ちる。
  流れたそれは大地へと染みこんで‥‥消えた。
  ぜえぜえと荒い呼吸が零れた。

  「目、覚めました?」

  馬鹿歳三。
  ともう一度は言う。

  誰が‥‥と声が返ってきた。

  「誰が、馬鹿だ、糞ったれが‥‥」

  思い切り顔を顰めて反論するのは‥‥彼女がよく知る美しい紫紺の瞳をした、男。

  あんただよ――

  とは呟いて、ふぅっと深い息を漏らした。

  大地に深々と刺さった刀身には‥‥大きな罅が入っていた。



  「どうやら妖刀だったみたいだね。」

  どういうものかは詳しい事は分からないが‥‥その刀は妖の力が宿っていたらしい。
  持ち主をただの人殺しに変えてしまう力が。
  それ故にあの男は恐れ、その刀を新選組に預けた。
  しかし、手元に置いていた期間が長すぎたのだろう。
  その間に精神が蝕まれており、刀を手放したものの最期は自らの喉を掻き斬って息絶える‥‥という末路を辿ってしまったのだ。

  「もしかしたら、殺人鬼の霊でもついていたのかな?」
  「詳しいことは分からないけど‥‥」

  ぼっきりと折れてしまった刀からは、もうなんの力を感じない。

  「どうやら鬼の副長の方が殺人鬼に勝っちゃったみたいだね。」

  しかし勝利したというのに‥‥

  「‥‥ひでえ落ち込みよう‥‥だけどな‥‥」

  原田の呟きに、当然だと沖田は呟いた。



  「‥‥いやいや、どうなることかと思いましたが‥‥
  無事に収まって良かったですよね。」
  はにこやかに笑った。
  「呪いも無事解けて、まあ、刀は折れちゃったけどこれでもう悪さをすることもないですし‥‥」
  これで、
  「万事解決ですよね?」
  とは明るく言う。

  同意を求めた、というのにしかし、独り言になってしまった。

  「‥‥ちょっと、何か言ってくださいよ。」
  はむぅと眉根を寄せて反応を求めた。
  ずっと黙り込んでいられたのでは調子が狂う。

  同意でもいいし、
  何をあっけらかんと言ってるんだ。
  とか、なんとか、反応があるだろうに。

  そう言うけれど彼は背を向けたままこちらを向いてさえくれない。

  「‥‥土方さん?」

  聞いてます?
  と言っては彼の前に回り込んだ。
  すると彼はむっつりとした顔でこちらを睨み付けてきて‥‥やがて、小さな声で、

  「無事、じゃねえだろうが‥‥」

  と呟いた。

  そう。
  無事ではない。
  少なくとも彼女は無事ではなかった。

  「‥‥私、平気ですよ?」

  細い首に巻き付けられているのは斎藤の襟巻きだった。
  その下には男の手の痕がくっきりと残っている。
  今では青黒く変色しているそれは、手加減なしに彼女の首を絞めた‥‥という証拠だ。

  「平気なわけ‥‥あるかよ‥‥」

  ぷいっと土方はそっぽを向いてしまう。

  当の本人が平気だと言っているのに‥‥

  明らかに落ち込んだ様子の彼にははぁ、と溜息を漏らす。

  「仕方ないじゃないですか‥‥」
  「‥‥」
  「呪いが掛かってたんですから。」

  別に彼が悪いわけじゃない。
  そんなの分かってる。
  仕方がない事なのだ。

  と言うけれど彼の表情は晴れない。

  「‥‥」

  一体どうしろというのだ。

  はほとほと困り果てたという風に肩を落とした。

  そんな彼女を前に、土方は更に落ち込んでしまう。
  落ち込む‥‥というよりは不機嫌そうに視線を落としてしまったのだが‥‥

  もう、とは溜息を吐いた。
  そうして、
  べちん、

  「ぃてっ!」

  と思いっきり両手で頬を挟んだ。
  いい音がした。

  「てめぇ‥‥」

  と土方が唸るのを無視して、強引に顔を上げさせるとは自分の視線としっかりと合わせる。
  少しだけ怒ったような表情で。

  「もう、済んだことをいつまでも引きずらない!」

  鬱陶しい。
  と言われてさすがの土方も目を丸くし、更に落ち込んだような顔になる。

  しかしはそれで止めずに、

  「私は無事だった。土方さんも無事だった。
  これでいいじゃないですか。」

  と続ける。

  そしてこうも言った。

  「もし、土方さんが私に悪いと思うなら‥‥」

  邪悪な力に操られてを襲った事が悪いと思うならば。
  彼女を傷つけて申し訳ないと思うのならば‥‥

  琥珀の瞳がそっと、細められた。
  笑ったのが失敗したみたいな、
  泣き笑い。
  そんな顔で、彼女は言った。

  「二度と‥‥自分を見失わないで。」

  自らの意志ではなく‥‥刃を振るわないで。
  その美しい瞳を‥‥曇らさないで。
  信念を‥‥曲げないで。

  「‥‥それだけが、お願い。」

  首を絞められた事よりも、
  刃を向けられた事よりも、
  自分を‥‥忘れられた事よりも‥‥

  『彼』が『彼』で無くなることの方が‥‥ずっと辛くて、怖かった。

  だから‥‥

  「土方さんは‥‥土方さんで在り続けて。」

  強い、琥珀の瞳を真っ直ぐに受けて‥‥
  紫紺の瞳は徐々に、力を取り戻していった。

  どこか高慢とさえ感じるほどのその光に‥‥はそれが何より好きな瞳の色だと、笑った。



  その焔