『あの子は雪村の次期当主にします。』
  電話口から聞こえる冷淡な声に、千鶴の父は目をそばだて、そんな勝手な、と声を上げた。
  「跡継ぎなら千尋君がいるじゃないですか!」
  『あの子は分家の血筋です。
  雪村を継ぐのは本家の役目です。』
  「でも、は女の子なんですよ!」
  『あの子は雪村を継ぐだけの力があります。』
  あの頃となんら変わらない、勝手で、冷たい声に、ぎりと奥歯を噛みしめる。
  の父が死んでから‥‥あの母親は凍り付いてしまったかのように冷たくなった。
  あの大きな物を背負うにはは若すぎる。
  彼女の両肩には重たすぎる。
  きっと、その重責はあの自由な子を雁字搦めにし、苦しめるに決まっている。

  「兄さんは‥‥を跡継ぎにはしたくないと言っていたのにっ。」

  だから、
  祖父が決めた『静香』の名を捨て『』とつけた。
  そして逃げるように雪村の地を離れて、一切の接触を断った。

  ――この子には、血筋や家柄とは関係なくのびのびと育って欲しい――

  一人娘を愛おしげに見つめて兄がよく零していたのを覚えている。
  兄はとても優しく、穏やかな人だった。
  だから、驚く事にその兄が一人の女性と恋に落ち、反対を押し切って結婚してが四つになった頃、突然家を飛び出し
  た時には驚いたものだ。
  誰もが分かっていた。
  兄が雪村を継ぐ事は出来ないと。
  だからこそ、その子供に期待が寄せられているのを、彼自身も気付いていた。
  血は争えないもので、まだ四つの子供が大人さえも従わせてしまうほどの高貴さと、人を惹きつける魅力を彼女が持って
  いるのだと気付いた一族が、彼女を自分から取り上げてしまう前に、兄は飛び出した。
  どうしても我が子を雪村に縛り付けたくない。そう言って弟を共に引き連れて家を飛び出した。
  そうしなければ彼が跡を継がされる事を知っていたからだ。
  兄は、自分を守ってくれた。
  家を出てからも、ずっと、雪村本家から守り続けてくれた。

  だからこそ‥‥兄の想いを貫いてやりたいと、思った。

  電話の向こうで千歳が溜息を一つ零したのが聞こえる。
  そして、

  『何を言おうと、静香には次期当主になってもらいます。』

  あなたには何も言う権利などない、という言葉を最後に、ぶつっと電話は一方的に切れた。


  「お父さん!!」

  憎しみさえ籠もった眼差しで電話を睨み付けていると、突然玄関の戸が開く。
  駆け込んできたのは娘の千鶴だった。
  病み上がりだというのに寒い中を走ってきたのだろう、頬を上気させ息を弾ませ、彼女は縋り付いて矢継ぎ早に訊ねる。
  「おばあちゃんは?なんて言ってたの?」
  開けはなった戸口に立つ沖田が真剣な面持ちで彼を見る。
  父は千鶴と、それから沖田とを交互に見て、悔しそうに唇を噛みしめた。
  「あの人は、を‥‥雪村の次期当主にするつもり、らしい。」
  「‥‥時期、当主‥‥?」
  馴染みのない言葉に千鶴は困惑したような声を上げる。
  本家や分家があるのは知っていたが、まさかその当主というものが彼女に回ってくるとは思わなかった。
  何故ならそういうものは「男性」が継ぐものだと信じて疑わなかったからだ。
  どういうこと?と訊ねるような眼差しに、父親は顔を覆って項垂れる。
  「当主になれば‥‥あの子は二度と雪村の家から出る事を許されない。」
  「それって‥‥一生、雪村の家に閉じこめられるって事ですか?」
  沖田の冷たい問いかけに、力無く頷いた。
  閉じこめられるって‥‥と千鶴は震えた声で紡ぐ。
  「それじゃ、さんはこれからどうなるの?」
  答えに、一瞬躊躇った。
  それは彼自身納得できていない事だったからだ。

  「母さんの決めた男と結婚して、雪村を導く事に、なる。」

  まだ18にもならない子供が‥‥決められた人間と無理矢理結婚させられ‥‥家のために犠牲になる、なんてこと、彼も
  認めたくなかった。
  そんなこと、
  兄は望んでいないというのに。

  「んな事させてたまるかよ――」

  諦めにも似たその声をうち破ったのは、怒りを孕んだ強い声。
  はっと顔を上げれば戸口にもう一人の人物が飛び込んできた。

  瞳には絶対の自信と強い色を湛えた男の姿だ。

  息を飲むほど強く、美しい眼差しに一瞬気圧され、見覚えのないその人に困惑したように「どなたですか?」と訊ねる。
  彼は黒髪を揺らして頭を下げた。

  「薄桜学園では教頭をさせてもらっています、土方歳三と申します。」
  「教頭先生!?」
  どうして教頭先生がここに!?とでも言いたげに目を見開いて驚きの声を上げる。
  一応そういう丁寧な態度はとれたんですねと茶化すような沖田を完全に無視して、土方は続けた。

  「さんとは‥‥真剣に付き合わせて貰っています。」

  親代わりの人はそんな彼の言葉に今度こそ言葉を失った。

  だが、
  その言葉を思いの外するりと飲み込む事が出来たのは、
  彼がとても誠実で真っ直ぐな眼差しをしていて、
  どこかと似ている所があったからだろうか?