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翌日。
沖田が山崎、千鶴を伴って新選組を離れるということで、は見送りに出た。
忙しく用意をする山崎の隣、千鶴は彼女を見つけると心配そうな顔をしてこちらに駆けてきた。
「さん、お身体はもう‥‥」
「うん、大丈夫。」
平気だよとは言う。
今は松本が沖田の様子を見ているらしい。
さっき、少し様子を見に行ったが、顔色はあまり良くなかった。
それでも随分良くなった方だと、松本が教えてくれた。
とりあえず、今は彼に任せるしかない。
羅刹の研究の事も‥‥少しは知っているらしい。
おまけに、彼は医者だ。
癖はあるが‥‥腕は確かなのは分かっている。
彼に任せる他ないだろう。
それより、
もう一つの問題を片付けなければいけない。
「千鶴ちゃん、ちょっと‥‥いいかな?」
訊ねながら、ちらりと山崎を見る。
視線が合うと、彼はこくりと頷いた。
「こちらは大丈夫です。
まだ出立まで時間がありますので‥‥」
「悪い、ちょっと借りるね。」
ここじゃ話せないから、とは庭の方へと、彼女を伴って歩き出した。
ふわりと風が吹き抜ける。
今こぞって沖田の所に幹部連中が行っているせいで、そこは静かなものだ。
うーんとは一つ伸びをすると、空を見上げて、漸く口を開いた。
「千鶴ちゃんは‥‥昔の事覚えてる?」
唐突な言葉に、千鶴はきょとんと目を丸くした。
「昔‥‥ですか?」
「うーんと昔、ね。」
まだ君が6つか7つくらいの頃。
と言うと、彼女は首をひょいと捻った。
「実は‥‥あまり覚えてないんです。」
幼い頃の事は覚えていないと、千鶴は答えた。
物心ついた頃から、母親はおらず、病死したのだと父‥‥綱道から教えられて育った。
彼女はずっと本当の父を綱道だと思っており、今でも、彼とは血が繋がっていないなどとは思えない。
鬼と言われても、正直ぴんとは来なかった。
鬼の子として、
里で暮らしていた‥‥と言われても、正直想像も出来なかった。
「ただ、時々‥‥思い出すことがあります。」
里の、優しいにおい。
楽しげな声。
それが自分のものか、薫のものなのかは分からない。
それから、
優しい、
女の人の声。
「‥‥私、その人が大好きでした。」
優しい目をした人だったと、千鶴は言う。
「私、何度もその人に助けてもらったんです。」
何度も励まされて、助けて貰ったと千鶴は言った。
言葉に、は苦しげに眉根を寄せる。
それは‥‥きっと優しかった頃の。
何も知らなかった頃の自分だ。
も幸せだった。
優しい両親と、可愛い妹弟に囲まれて。
幸せだった。
でも、
彼女の幸せを奪ったのも、
自分なのだ。
「千鶴ちゃん。」
は真っ直ぐに彼女を見据えた。
やけに真剣な眼差しに、千鶴は思わず息を飲んだ。
琥珀の瞳が自分を見つめている。
「私が‥‥」
一瞬、迷いが生まれた。
その言葉を口にして‥‥
彼女をどれだけ傷つけるか。
どれほどに、自分が恨まれるか。
それを考えると、少し、怖いと思った。
だけど、
「‥‥」
は瞳を閉じて、思い出した。
彼の、
自分を見る真っ直ぐな瞳。
自分の犯した罪を、共に背負ってくれると言った時の。
強い眼差しを。
そう、
は心の中で呟く。
『私は一人じゃない』
そうっと瞳をもう一度開く。
今度こそ、
迷いのない強い眼差しに、千鶴は見覚えがある‥‥と色あせる記憶をたぐり寄せながら、思った。
「私は‥‥君と同じ、鬼だ――」
そして、私は、
「――君のご両親を殺した。」
の告白に、千鶴は一瞬、呆けたような顔になった。
見送りに出た一同の中、土方は彼女の姿を見つけて、近付いた。
「‥‥話は、出来たか?」
こっそりと訊ねると、は手を振るのを止めて、肩越しに振り返った。
「ええ、まあ。」
苦笑で答える彼女は、しかし、幾分吹っ切れた顔をしている。
なるほど、やはり彼の想像通りになったらしい。
ひらひらと何度も大きく手を振る千鶴をは目を細めて見つめながら、
「‥‥そんなの‥‥関係ないです‥‥ってさ。」
千鶴がそう言ったのだと、答えた。
が鬼だと聞いたとき。
確かに千鶴は驚いた。
でもそれ以上に驚いたのは、
その後の彼女の言葉だ。
『君のご両親を殺したのは‥‥私だ』
言葉は、一瞬何の冗談なのだろうと思った。
言っている意味が分からなくて首を捻ると、は無理もないよなと笑った。
「‥‥君は、覚えていない、昔の事だよ。」
私もつい、最近思い出したんだと彼女は言う。
「私がまだ10にもならない子供の頃だ。」
君たちはもっと幼かったとは言った。
「諍いがあって‥‥ね。」
は言葉を濁す。
鬼の一族の中で意見が割れ‥‥自分の両親が殺された。
もしかしたら、
千鶴の両親が殺したのかも知れない。
だけど、事実を知るものはもう、いない。
分からないのに、彼女にこれ以上辛いことを教えることもないと思った。
「‥‥私は、君のご両親を殺したんだ。」
この手で。
間違いなく。
「斬った。」
ざあ。
と風が二人の間を吹き抜ける。
人を斬った。
そう言ってのけたその人は、ひどく悲しげな顔をしている。
人を殺したとは思えないほど、悲しげで苦しげな顔をしていた。
顔も分からない両親だ。
だけど、
本当の両親が生きていないという事を聞いて、悲しいとも思った。
もう二度と会うことも出来ない。
どんな人だったのかも‥‥知ることさえ出来ない。
悲しいと思った。
苦しいと思った。
だけど、
それ以上に、
「‥‥さんは、悪くありません。」
千鶴の言葉には目を見開く。
やっぱり、悲しいと思う。
両親が死んでしまった事よりも、
彼女が、
いつだって自分に優しくしてくれていた彼女が、
悲しそうな顔をしているのが、
苦しいと思った。
そんな顔‥‥彼女には似合わないと、思った。
「千鶴ちゃん‥‥?」
どうして、と言いたげには目を丸くした。
「私‥‥殺したんだよ?」
君の両親を、この手で。
それなのに。
どうして許せると言うのだろう。
千鶴は微笑んでみせた。
「さんには理由があって‥‥私の両親を斬ったんでしょう?」
理由もなく。
ただ無闇に、人を斬る人ではないと‥‥千鶴は知っている。
彼女の振るう刃には、いつだって彼女の正しさがあったはずだと。
だから、
きっと理由があった。
理由があって‥‥そういう事になってしまった。
――それに、
千鶴は思う。
「さんは‥‥それを悔やんでくれているんでしょう?」
千鶴の両親を手に掛けた事を悔やんでいる。
だからそんな悲しそうな顔をするのだと。
苦しそうな顔をするのだと。
それはきっと、どうしようもない理由があったんだ。
そして、
斬ったことを悔やんでくれている。
千鶴の、為に。
それならば‥‥と千鶴は思う。
「‥‥私は、さんを信じます。」
それが正しかったのだと。
千鶴は信じた。
「‥‥‥」
は、と震えた声での口から漏れた。
ついで、くしゃりと顔が歪められる。
「私は‥‥君に救われてばかりだな。」
あの時も。
今も。
彼女の優しさに。
何度も救われた。
そう言えば、千鶴は首を緩く振った。
「いえ‥‥」
そんなことはない。
目の前の優しい琥珀の瞳を見上げて、千鶴は確信した。
「私の方が‥‥さんに助けられました。」
『千鶴』
幼い頃。
そう優しく呼んで、手を差し伸べてくれた人は。
目の前の人だ。
「私に‥‥強さをくれたのは、あなたです。」
『千鶴にしかできないことがあるはずだよ』
そう言って何度も背中を押してくれたのは、
「姉さん‥‥」
この人だと。
ふわふわと風が吹く。
眩しい日差しを受けて、はそうっと目を細めた。
きらきらと輝く光を受けるその瞳は、時折金色に見える。
土方はその横顔を見ながら、優しげに目を細めて、やがて、
「戻るぞ」
くるりと背を向けた。
もう彼らの姿は見えない。
最後にもう一度だけ、は彼らが消えた方を見てから、
ふわりと衣を翻して、土方を追いかけた。

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