最後に一言、

「後悔はしませんね?」

と彼女は訊ねた。

その声にはどこか怯えた色が見えて取れ、彼女が過去を話すことを怖れているのだと土方は気付いた。

自分のしたことに、土方が軽蔑するのを、怖れていた。

きっと彼女を傷つけると分かった。

でも、

 

「話せ」

 

男は言った。

彼は、自信があったから――

何があっても揺るがないという、自信が。

 

 

「私の村は、ここより北。

東北の地にありました。」

人里離れた山奥。

そこに自分たちの里があった。

 

覚悟を決めたは、そう語り始めた。

 

離れの部屋には、人の声は届かない。

向かい合う土方に鼓動の音さえ聞こえてしまいそうな静けさの中、は訥々と語った。

 

「私の名前は雪村‥‥」

一度はその名を認めることを躊躇うように、言葉を切った。

「‥‥」

しかしふるりと頭を振ると、しかと男を見据えて告げた。

 

「雪村 静香。」

 

雪村 静香。

それがの本当の名だ。

 

「静香と言う名前は、祖父がつけたものだそうです。」

鬼の血の濃い人間には「千」という字が与えられる。

本来千鶴の両親よりも血が濃かった、長兄であるの両親は、しかしが鬼の名を継ぐのを嫌って、名を

変えた。

「静姫‥‥と。」

静かなる姫。

先年に一度、と言われるほど強い鬼の血を受け継いだ我が子を、どんな気持ちで両親は見ていただろう。

いずれ鬼の姫と呼ばれ、里を率いていかねばならない我が子を見て‥‥どんな気持ちで‥‥

 

「‥‥私は、生まれてすぐ、里の人間から隠されました。」

それほどに強い血を受け継いでいる鬼が生まれたとあれば‥‥人間から目を付けられかねない。

雪村の一族は、話し合って、を人の子として育てることとした。

その1年後、

「千鶴ちゃんと薫が生まれた。」

彼らが生まれた。

彼らが生まれて、は妹と弟が出来た気がした。

よく面倒を見た。

きっと、彼らの両親よりもずっと可愛がった。

「あの二人は、私の事を本当の姉のように慕ってくれた。」

そしては二人を本当の妹・弟のように愛した。

 

幸せだった。

両親が笑っていて、千鶴や薫が笑っている。

そんな穏やかな日々が。

幸せだと思った。

ずっと、続くと信じていた。

 

けれど、

 

「それは突然終わった。」

 

まるで、化け物に夢を見る資格などないというように。

唐突に、

そして、

残酷に。

 

雪村の、鬼の力に目を付けた権力者が彼らに力を貸すようにとやってきた。

むろん断ればどんな結果が待ち受けているか分かっている。

一族の滅亡、だ。

それを受け、一族は揺れた。

ある人は力を貸すべきだと言い、またある人は拒むべきだと。

 

「私の父は‥‥前者でした。」

 

力を貸すべきだと。

そうしなければ一族は皆殺しになる。

せめて子供達を守るためにも、自分たちは戦う必要はある。

そう‥‥言った。

 

「私の父と、千鶴ちゃん達の両親は、揉めました。」

 

兄弟間にありながら、二人は対立した。

お互いに里を思って、だ。

ただ一心に家族を守りたい、そう思った。

その思いが、暴走した。

 

 

 

「父様!」

 

邸に飛び込んだ瞬間を、は覚えている。

畳の上に、赤々と広がる血の池を。

その上に、父は転がっていた。

母を、守って、息絶えていた。

そして同時に、彼の腕に抱かれた母も息絶えていた。

 

「‥‥」

 

その前に、千鶴の父がいた。

いや、彼だけではなく里の大人達がいた。

しかし、彼の手には刀があった。

血の付いた刀で‥‥それを持って、青ざめていた。

 

彼が殺したのかどうかは‥‥分からない。

今でも本当に彼が殺したのかどうか、分からない。

 

「ちがうんだ。これはっ‥‥」

「これは、おまえの父さんがっ‥‥」

 

大人達は言い訳を口にした。

 

ただ、はその瞬間に自分の中で悲しみと怒りが爆発した。

 

「きさまぁっ!!」

 

目にもとまらぬ速さで刀を抜き放つと、

 

「がぁっ!?」

 

千鶴の父親を、斬った。

返り血が‥‥自分に降りかかった。

 

ひぃ、と誰かが悲鳴を上げるのが聞こえる。

は怒りのままに刃を振るった。

その場にいる大人達を殺すのに、それほど時間は掛からなかった。

 

子供であっても。

純粋なる鬼の血は‥‥それほどに強かった――

 

どうして。

どうして。

 

は倒れた両親へと近付いて泣いた。

大声を上げて泣いた。

出掛ける前に確かに笑っていた人が‥‥もう‥‥ここにはいない。

いや、世界中のどこを探しても、

あの優しかった人たちはいない。

 

殺されたのだ。

同胞に。

 

 

――許さない――

 

 

ふつふつと怒りがわき上がった。

目眩のするほどの怒りと殺意が、を襲った。

これならば人間の方がまだましな生き物ではないかと‥‥は思った。

 

しかしその瞬間、まるで狙ったかのように、

「ぎゃあああ!」

悲鳴が上がった。

ちりと焦げ付くにおいがした。

複数の足音と、下卑た笑い声がした。

 

「殺せ!

鬼共はみんな殺せぇえ!!」

 

人間の声だった。

 

 

運悪くというか、里の誰かが人間へと返事を出したのだ。

 

我々鬼の一族は、人間の戦いに参加しないと。

 

話し合えば分かるだろうと彼らはどこか甘いことを考えていた。

しかし、結果は‥‥

 

「ぎゃぁああ!」

 

一方的な殺戮だった。

 

女子供‥‥問わず、人間は殺した。

殺し家に火を放った。

邸を飛び出したはそれを見て愕然とした。

 

逃げまどう人々を殺す、人間。

それは同胞を殺す鬼よりも、もっと‥‥くだらない生き物に見えた。

一人では何も出来ないくせに寄って集って弱い生き物を殺すのだ。

なんとも愚かで‥‥醜い生き物かと。

 

「‥‥して‥‥やる‥‥」

 

悲鳴が夜陰を裂く。

暖かな場所が、血と暴力で汚された。

 

「‥‥殺して‥‥」

 

人など。

鬼など。

 

生きとし生けるもの全て。

 

「殺してやる!!」

 

世界が真っ赤に染まった。

静姫として覚えていたのは、そこまでだった。

 

 

 

「その後は‥‥土方さん達もよく知ってる。」

先ほどとはうってかわって、は茶化したような声で続けた。

その後――

ぼろぼろになって倒れていた所を、近藤に拾われて、道場に引き取られた。

都合のいい事に、

「記憶を無くして、ね。」

自嘲じみた笑みが彼女の口から漏れた。

「‥‥」

土方は無言でそんな彼女を見ている。

突き刺さるような視線に気付いた。

でも、それを言葉で誤魔化すように、饒舌になる。

「まあ、あんな事覚えておきたくはないですよね。」

自分のしたことも、他人がしたことも、全部全部。

忘れて、無かった事にしたかったにちがいない。

「10にもならない子供が殺人鬼よろしく人を斬りまくった。」

自分でもぞっとすると彼女は嗤う。

「今までの生活を全てぶちこわして、人の幸せもぶちこわして‥‥

死体の山を築いて、血に汚れて。」

何人の人を不幸にしただろう?

何人の人を悲しませただろう?

‥‥」

「未だに、ぶち切れたら何しでかすか分かんないなんてね。」

彼が言いかけたのをは遮った。

「羅刹よりも恐ろしい。」

多分、彼女の鬼の血が暴れ出したら、羅刹などものともしないだろう。

あっという間に殺し尽くしてしまうに違いない。

「誰にも止められない。」

自分にだって止められるか分からない。

いつ、

狂うかだって分からないのだ。

狂ったときに何をしてしまうかも、

分からない。

自分のことなのに分からない事だらけだ。

 

「そんな危ないのを抱えてたら、きっと皆に迷惑が‥‥」

!」

鋭い声が飛んできた。

土方だった。

 

びくんと思わず身体を震わせ、は言葉を飲み込む。

視線をそちらに向けると、彼は先ほど発したのとは違って抑えた声で言った。

 

「やめろ。」

やめろと、言って、手を伸ばした。

なんだろうと視線で追いかければ、土方がの膝の上で握った手を取った。

大きな手に包まれ、どきん、と鼓動が一つ跳ねた。

不謹慎なものだ‥‥とは心の中で嗤った。

 

「爪を、立てるな。」

 

開かされた掌には赤い爪痕がいくつかついている。

知らない間に力が入っていたらしい。

整った爪が皮膚を裂き、赤い血が滲んでいた。

それも、見る見るうちに塞がる。

 

「気味が悪い。」

 

自分の事ながら、薄気味の悪いものだとは呟いた。

そんな彼女に土方は「そうか?」と首を捻る。

 

「便利な身体じゃねえか。」

「‥‥そうですか?」

「ああそうだ。」

土方は頷いて、覗き込むようにこちらを見遣って、こう口にする。

「薬代が浮く。」

思わず、は噴いた。

 

薬代が浮く。

言われてみれば確かにそう。

でも、新選組の副長ともあろう男が薬代ごときをけちろうとは‥‥

 

「土方さんって意外とせこい。」

「せこいとはなんだ‥‥」

馬鹿にならねえんだぞ?とかつて薬箱を持って行商をしていた男は言った。

確かにそうだ。

そうだけど。

くすくすと笑いながらはもう一度手を見下ろした。

もう、傷跡はなかった。

まるで‥‥最初から傷など存在しなかったみたいに。

 

「私‥‥化け物だ。」

。」

咎めるような視線が向けられた。

「事実です。」

事実、彼女は鬼なのだ。

人と違う能力を持った鬼なのだ。

それに、

 

「化け物で、獣だ。」

 

自我を無くして、

ただただ、

人を殺しまくるのは、

獣。

 

それでも獣は自分に必要な獲物を殺せば気が済む。

自分は違う。

だから、

獣で、

化け物。

 

「‥‥見た、でしょ?」

あの姿。

は小さく訊ねた。

あの姿‥‥というのはきっと彼女の鬼の姿の事だろう。

 

白銀の髪と、金色の瞳を持つ、人ならざる姿。

 

「角なんか生えちゃって、格好悪い。」

おまけに、とは視線を背けた。

「あなたに‥‥刃を向けた。」

悔しげに唇を噛みしめる。

彼に刃を向けたことなど一度だってなかった。

誰より、

刃を向けてはいけない人だと知っていたから。

そして、誰より、

傷つけたくない人、なのに――

 

「私闘は、切腹‥‥だっけ?」

 

は乾いた声で笑う。

いっそ、腹を切って死んだ方がいいのかもしれない。

いつ狂うか分からないならいっそ‥‥

彼らを、

彼を、

傷つけるくらいならいっそ‥‥

いっそ、

 

――俺は、訂正しねえぞ。」

 

唐突に、土方の言葉が響く。

は一瞬何を言われたのか分からなくて、

「え?」

と聞き返した。

見れば彼はじっとこちらを見つめている。

いや、ずっと前から。

が視線を外してもなお、彼は彼女をじっと見つめていた。

真っ直ぐに、彼女から視線を逸らすことなく、見ていたのだ。

 

「おまえがどれほど自分を蔑んでも無駄だ。」

 

彼は真っ直ぐな眼差しで告げる。

 

「俺は、おまえを放り出すつもりはない。」

きっぱりと彼は言った。

「おまえが化け物だろうが、人斬りだろうがなんだろうが‥‥」

過去に何をしていようが、関係ない。

目指す先が同じで、

彼女が彼らのために戦うというのであればそんなものは関係ないのだ。

 

「でも‥‥私‥‥」

の瞳が眇められた。

「私、いつ狂うか分からないんですよ?」

自我を無くして、彼らを傷つけるか分からないのだ。

それでも、放り出さずにいられるのかと問えば、彼は造作もないことだと首を振った。

 

「おまえが狂ったら、俺が止める。」

――それは、絶対の自信。

「おまえが狂ったら、俺が止める。」

彼ら人間に止められるはずなんてないのに。

鬼の力は強大だ。

風間と戦った彼なら分かっているはずなのに。

彼は、

「止められる」

と言った。

確信があったのだ。

は、自分の声ならば聞き届けてくれると。

確信があった。

自惚れもいいところだと土方は心の中で人知れず嗤った。

でも、

「俺が止めてやる。」

瞳に見える迷いを、

土方は断ち切ってやるように、

その苦しみごと、

全部を包み込んでやるように、

強い眼差しで告げた。

 

彼女が、自分の大事なものを失うようなことは、絶対にさせない。

きっと止めてみせる。

 

だから――

 

「もう、怖がらなくていい。」

「っ」

言葉に、の喉が小さく震えた。

揺れていた瞳が大きく見開かれ、

「つっ」

歪められる。

 

頑なに、その手を拒み続けた理由は、ただ一つ。

 

『怖かったのだ』

 

はただ、怖かったのだ。

 

自分の出自が皆に知れて蔑まれるのが。

そして何より、

自分が自我を無くして、大切な人を傷つけてしまうのが。

ただただ、

怖かった。

 

だから離れようとした。

 

失くしたく、なかったから。

 

ここから離れた時点で、彼女は大事なものを手放してしまうというのに――

 

「何も心配しなくて良い。」

そっとその柔らかな頬を撫でた。

滑らかな感触が、ごつごつした男の皮膚に触れる。

「おまえは狂ったりなんかしない。」

「でも――

でもと開いた口を、土方は人差し指で遮る。

はこちらを上目遣いに見遣った。

珍しく戸惑った様子に、土方は喉の奥で笑みを漏らし、こみ上げた笑いのついでに意地の悪いそれを浮かべ、

「俺が狂わないって言ってるんだ。」

だから、

狂うはずがない――

男は、自分の言葉こそが真実だと言ってのけた。

 

そんな馬鹿な‥‥

の脳裏に言葉は浮かぶ。

浮かんだが、言葉はどういうわけか、音となって出てこない。

同時に、

今まで浮かんでいた言い訳も、

出てこない。

もう、言い訳を紡ぐことは出来なかった。

 

だって、

彼は何を言っても聞かない。

頑固だから。

それに、

彼が良いと言うなら、良いのかも知れない。

 

だって、

 

「俺が保証してやる。」

にやりと、挑発めいた笑みを一つ。

「おまえは絶対に――狂わない。」

――神をも恐れぬ傲慢な男は、そう言って、

「だから、俺たちの傍にいろ。」

命令を下した。

てんで人の話を聞かない男‥‥流石新選組の鬼副長だ、とは心底感心しながら、

 

「はい――

 

言葉が勝手に、口から零れ出た。

まるで、最初からその答えしかなかったように。