9
それは――
そこに立っていた。
白銀の髪と、
血のように赤い目を持つ、
羅刹が。
「‥‥うるせえんだよ」
土方は唸るように言った。
「いい加減、我慢ならねぇ。
腰抜けの幕府共も、邪魔くせえ鬼も。」
赤い目が、すいと細められた。
「まがい物だと?それが一体どうしたってんだ」
そんなもの今更だと彼は言う。
「俺たちは今までも散々、武士のまがい物として扱われてきたじゃねえか。」
その瞳に苛立ちがこもる。
「だけどな‥‥今の世の中、どこに武士がいるってんだよ?」
押し込んでいた怒りが、不満が、彼の中から沸々とあふれ出した。
「腰が引けて城ん中閉じこもって、日和見決め込んで‥‥
あわよくば勝ち馬にのろうなんて考えてる卑しい連中ばかりじゃねえか」
そいつらの何が武士だ。
誇り高き剣士だというのか。
あんな腰抜け共よりも、ずっと、ずっと、
「俺たちはそんな連中より、よっぽど武士だぜ!」
その言葉は‥‥
きっと風間に向けて放った言葉ではない。
その言葉は、彼らを取り巻く全ての現実に向けられた言葉なのだ。
敵、味方。
その全てに。
そして、
自分に。
「何があっても、てめぇの信念だけは曲げねえ。
どんな時でも、絶対に後退はしねぇ。」
いつだって土方は前を見続けてきた。
前を見てひたすら走っていた。
はその背中を追いかけた。
「俺たちはそれだけを武器にここまでやってきた」
彼は言う。
「まがい物だろうが何だろうが、
貫きゃ真になるはずだ」
と。
「この羅刹の力でおまえを倒せ、俺は‥‥
俺たちは、本物になれるってこったろ?」
彼の口元に浮かんでいる笑みは、もう人のものではなかっった。
羅刹。
いや‥‥それは鬼に近い。
人とはかけ離れた、化け物のそれだった。
先ほどまで刀を持つのがやっとだった彼が、猛然と風間に斬りかかる。
比べものにならない早さで間合いを詰めると、同じような早さで一太刀を振るった。
「くっ」
ぎぃん!!
と甲高い音を立てて刃がかみ合った。
風間は件名にその太刀を受け止めるが、すぐに第二、第三撃が襲いかかる。
不思議な事に‥‥
鬼の力を持ってしても、土方の方が、まがい物である彼の方が、強かった。
「ほら、どうしたぁ!?」
ぎぃん
きんっ
火花が何度となく散る。
「俺たちは虫けらなんだろ?
押し負けてるぜ、鬼さんよ!」
ぎん、ぎぃん!!
と激しい音を立てながら土方は目を血走らせ風間を追い詰めた。
それはまさに執念というのだろうか。
彼はただ、怒りや悲しみ、そういったものを糧に刃を振るっている。
ぎぃん!
と響く刃の音が、
まるで悲鳴のようだとは思った。
打ち合う度に、
刃がかち合う度に、
悲鳴を上げるのは、一体誰なのだろう。
「くっ――」
やがて、風間は刃をはじかれ、大きく体勢を崩した。
その隙を土方は見逃さず、
ざんっ
「ぐぁああっ!」
目にも止まらず振り下ろした刀が、風間の顔面を十の字に切りつける。
切りつけられた顔を押さえ鬼は飛び退くと、土方から距離を取った。
「へっ、こりゃいいや。
‥‥すごみが増していい男になったじゃねえか。」
赤い目を細めて土方は笑う。
「さあて、まがい物に傷をつけられた感想はどうだ?
鬼の大将さんよ‥‥」
土方の挑発に、風間は顔を上げようとしない。
顔を覆うその手から、ぼたぼたと血の粒がこぼれ落ちる。
しかし、鬼の持つ治癒能力が瞬く間にその傷を癒した。
「おのれ‥‥!」
風間は憤怒の表情を浮かべて、土方を睨み据えた。
ふつふつと瞳に怒りを、身体からは怒気を孕んだ殺気を迸らせ、低く呻いた。
「虫けら以下のまがい物の分際で、よくもこの俺の顔に傷をつけたな!」
彼の一太刀は、明らかに男の矜持に傷をつけた。
怒りに打ち震えながら、風間は悪鬼のような顔で告げる。
「貴様だけは‥‥絶対にゆるさんぞ!
この世に存在するあらゆる苦痛を味わわせ、なぶり殺してやる!」
びりびりと空気を震わせはき出された言葉には震えた。
初めて、
生まれて初めて、
人を見て怖いと思った。
恐怖を感じた瞬間だった。
「本性を現しやがったな。
いいぜ、できるもんならやってみやがれ。」
それを前に、土方は愉悦に表情を歪ませ、怒りを受け止めた。
再び、
刃と刃がぶつかり合った。
「ぐ、うっ!」
だが、先ほど打ち込まれた一撃とは重さが全く違うらしい。
受け止めた土方の顔に苦悶の色が浮かんだ。
「貴様が――貴様ごときまがい物が、
この俺の顔に傷をっ‥‥!」
すっかり理性を失った鬼は、金色の瞳を見開きながら狂ったように刀を打ち込む。
それはもはや戦いというより、怒りゆえに刃を振り回しているだけのように見えた。
「くそったれ‥‥!」
しかしその一撃は重たすぎる。
技工もなにもない一撃ではあるのに、土方は受け止めるのが精一杯といったところだ。
やがて、刃はぼろぼろと刃こぼれを起こし、今にも折れてしまいそうにたわんだ。
それでも土方は引かない。
いや、
風間も。
お互いに、ただただ憎悪や怒りだけで刃を打ち振るった。
「てめぇだけは、絶対に許さねえぜ。
地獄に堕ちる時は、共に引きずり込んでやる!」
血まみれになりながら、土方は‥‥
いや、白髪の鬼はぎらついた目を輝かせた。
「ほざけ!
地獄に堕ちるのは貴様だけだ!」
それを受け、風間も狂ったように笑った。
どちらも、本気だ。
獣の本能をむき出しにし、互いに刃をぶつけ合った。
その戦いはどちらかが死なない限り、終わらない。
しかも、土方の戦いは‥‥
自分で自分を傷つけるような、
捨て身の戦い方――
それを見ているは痛々しかった。
やめて、とは思った。
このままでは‥‥
彼が死ぬ。
ぎぃん!
と刃が嫌な音を立てた。
低く唸るような声が聞こえ、続いてどさりと刃が地面に突き刺さった。
それは、
土方の愛刀。
「‥‥勝負あったか。
そのなまくらでよく今まで持ちこたえたものだ。」
風間が勝利を確信し、笑みを浮かべた。
「く‥‥」
それを真っ向に受けながら、土方は苦渋の表情を浮かべる。
「貴様はただでは殺さん。
この世のありとあらゆる苦痛を味あわせてやる。」
くつくつと彼は笑った。
その骸をどうしてやろうか。
どうやって苦しめようか。
聞いているのも嫌になるほどの残酷な言葉をはき出し、やがて、風間は刃を振り上げた。
にやりと、その表情が愉悦に歪んだ瞬間、
動かなかった足が、
動いた。
だ
め
グシャ――
肉を絶つ嫌な音が聞こえた。
鈍く、脂を貫く音が聞こえた。
世界が一瞬、
暗くなり、
ついで、すぐに、
赤に染まった。
ザア‥‥
と、空に鮮血が舞う。
「――!?貴様!」
風間の口から驚きの声が漏れた。
「‥‥」
つう、と笑みを浮かべるの口元から、
赤い血が零れた。
白い肌に‥‥その赤がやけに映えた。
ぽた。
と血がこぼれ落ちる。
暖かなそれは、大地に赤い水たまりを作っていた。
白銀の刃は真っ赤に染まり‥‥
それを追いかけていけば、
「おまえ‥‥なに‥‥して‥‥」
の身体から、刃が生えていた。
いや、違う。
彼女の身体を、刃が貫いているのだ。
「らしく‥‥ないですよ‥‥」
苦しげに眉を寄せたまま、口元だけに笑みを湛えて、彼女は零した。
「こんな相手に‥‥冷静さを欠くなんて‥‥」
いつもの土方さんらしくない。
と言って彼女は笑った。
土方は、そして風間は、冷水を浴びせられたような顔で彼女を見ていた。
「そんな風に‥‥我を忘れて、敵陣に突っ込んで‥‥どうするんですか。」
「‥‥‥‥」
ごほ、と血が彼女の口から零れた。
その血に、土方は染められながら呆然と彼女を見つめた。
「冷静になって‥‥ください。
ここであなたが死んだら‥‥新選組は‥‥」
彼らは。
どうなるんですか?
は告げた。
優しい声音で。
激しい痛みが身体を襲っている。
それでも、はやめなかった。
「あなたが‥‥ここで死んだら‥‥
みんなの、夢は‥‥」
馬鹿みたいな夢を見た。
それでもすごく美しい夢だった。
その夢が、彼らに希望を与えた。
その夢が、は大好きだった。
なのに、
彼が死んだら、その夢はここで潰えるのだ。
そんなの。
そんなの。
「土方さんが‥‥望む事じゃないでしょ?」
「‥‥」
色を無くしていた髪が、ゆっくりと黒へと戻る。
瞳もいつものそれに戻り、はほっと安堵の色を浮かべた。
やがて遠方より聞こえてきた複数の足音に、風間が焦りの声を漏らした。
「土方さーん!源さん!!」
場違いに暢気そうに聞こえるのは、永倉の声だった。
「ちっ!」
一つ舌打ちをして、ぐいっと刃を引き抜いた。
ずぶりと嫌な音を立て、の身体から刃は抜かれ‥‥力を無くした彼女はそのまま前のめりに倒れ込む。
「!」
血みどろになった彼女を抱き留め、名を呼ぶ。
げほ、とは口から血を吐いた。
「しっかりしろ、!」
傷口を塞ぐように、彼は手を押し当てる。
どくりと溢れた血が男の手を染めたが、は命に別状が無いことを知ってしまった。
ぞくりと、肌を這い回るこの感覚は‥‥鬼の。
「かくなる上はお前たちだけでも‥‥」
と再び刃を振り上げる彼の前、見覚えのある影が飛び出した。
「やめなさい。」
天霧だった。
「これ以上の戦いはいたずらに犠牲を増やすだけです。」
言葉に風間は憤怒の表情のまま口を開く。
「この俺に退けと言うのか?
俺の顔に傷を負わせた愚か者を見過ごせと?」
そう言えば、天霧はすいと目を細めてきわめて冷静に答えた。
「我々がここで手を下すのは容易です。
だがそれは、薩摩藩の意向に反する。」
彼らはあくまで人間の自らの手で倒幕を望んでいる。
彼ら、鬼の手ではなく。
「‥‥」
天霧の言葉に風間はひどく不満げな様子で聞いているようだったが、
やがて、
彼は刃を引いた。
「土方といったな‥‥」
鬼は土方へと視線を向けて告げる。
「おまえの名前は決して忘れぬ。
今日の仮は必ず返すからな。」
その言葉に、土方も負けじと睨み付けた。
「そりゃこっちの台詞だ。
てめえだけは絶対に、地獄に堕としてやらなきゃ気がすまねえ。」
二人はしばしにらみ合い、
ばさりと衣を翻して、風間は背を向けると、肩越しに振り返って、告げた。
「その女の身は、ひとまず預けてやる。」
「‥‥っ」
「いずれこの俺のものとなる女だ。
せいぜい傷を付けないように守ることだな。」
くくくと、耳に残る嫌な笑いだけを残して、鬼は消えた。
「っげほっ」
は息を吸い込んだ瞬間に血の塊を吐いた。
「、傷口を診せろ!」
慌てて土方は彼女の袷へと手を伸ばす。
駄目。
は首を振った。
「大丈夫‥‥大丈夫だから‥‥」
は力無く彼の手を取った。
べとりと血に濡れたそれに、彼の表情は更に険しい顔をした。
「お願い、見ないで‥‥」
「そういうわけにいくか!」
土方は怪我人相手だというのに怒鳴りつけて、思い切り彼女の袷を引き離した。
駄目。
知られてしまう。
駄目。
見ないで。
「‥‥なっ‥‥」
彼は言葉を失う。
傷は‥‥彼が見守る中で見る見るうちに‥‥消えて無くなった。
その異様な光景を、男は目の当たりにした。
その瞬間の彼の顔を、は恐ろしくて見ることが出来なかった。

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