その血は教えてくれる。

 

自分が、鬼であると言う事。

 

その血は教えてくれる。

 

鬼は、人と違うと言う事。

 

血は、刻むように。

一つ一つ、教えてくれる。

 

認めたくない真実までも。

 

忘れていたいと願っても。

 

思い出したくないと叫んでも。

 

血は。

 

彼女に真実を伝える。

 

 

失くしたものは

 

 

さんって‥‥好きな人とかいらっしゃらないんですか?』

 

今更ながらにそんな言葉を思い出す。

 

異性として好きな人。

 

そんなのいるはずがない。

とあの時答えた。

 

だって、そんな暇なんてなかった。

戦いに明け暮れていた自分がそんな暇などあるはずがなかった。

いや、今だって十分忙しい。

暇なんてない。

 

と、は廊下を急ぎ足で歩きながら思う。

 

しかし、だ。

 

『異性』

と言われて浮かぶ人が一人出来てしまった。

自分の周りには今まで異性ばかりだったというのに、今になって、だ。

だって今までは男とか女とか、そんなの関係なかったから。

共に戦う仲間、それだけだった。

でも、唐突に思い知らされてしまったのだ。

 

自分と彼が、

違う生き物だと言う事。

 

種族もそうだが、

性別も、

違うと言う事。

 

知っていると思っていた。

だって、ずっと傍にいたのだ。

傍にいて、その背中を見ていた。

その人の強さを知っていた。

優しさを知っていた。

 

それから、

 

彼が、

男である事。

 

知っていた。

 

でも、

 

その人の腕の逞しさ、

広い肩、

大きな手。

 

それを目の当たりにして‥‥

初めて気付いた。

 

彼が『男』だと言う事。

 

 

「いやだからって、なんで意識する必要あるわけ??」

 

そうそれだ。

今更何故意識するのだろう?

 

。」

 

誰かが呼んだ。

しかし、彼女は気付かずに難しい顔でブツブツと呟く。

 

こんな事を考えてる場合じゃない。

もっと大事な事があって、それに専念しなくちゃいけないのに‥‥気付いたらそのことばかりが頭を回る。

振り切ったつもりでも、考えている。

 

そりゃ‥‥確かにあれだ。

ちょっとあの大きな手にはどきっとした。

今更だけどあの腕に抱きしめられたのだ。

 

大きくて強いくせに、優しい手だった。

 

思い出したらまたどきっとした。

 

いや待て自分。

何故どきどきする?

 

ああ、あれか。

やっぱり顔がいい男に抱きしめられるとときめくのか。

なんせ、顔は美形だ。顔は。

 

ちょっと役得‥‥かも知れない。

 

更に待て、自分。

 

は自分で突っ込んだ。

 

顔がいい云々という意味でなら、沖田だって悪くはない。

性格は、あれ、だが、顔はいい。

しかも、彼とは肌を合わせた事だってある。

抱きしめるなんぞという生ぬるいものではなく、彼に、は女にされた。

彼が男たる事を肌で実感し、自分が女であるという事を嫌というほど思い知らされた。

しかし、だ。

 

沖田を『異性』ととらえるかと聞かれれば、答えは『否』だ。

 

彼は未だに、自分にとっては『悪友』。

それ以上でもそれ以下でもない。

異性‥‥と言われてもなんだか肯けない。

確かに性別は違うんだけど。

 

それに引き替え、

『彼』は‥‥にとっての異性だ。

沖田と同じ大の男。

なのに何故?

 

何故?

 

「なんで、土方さんだけ?」

 

自分にとって異性だというのだろう。

 

は思いっきり不服そうな顔を上げた。

その瞬間、

 

「‥‥」

 

目の前に黒ずくめの男が立っていた事に気付いて、目を丸くする。

 

「おお、一。」

 

いたのか。

と言えば、彼は目を眇めた。

 

「何度も呼んだ。」

「あ、悪い、考え事してた。」

咎める口調にあははと笑って返す。

すると、斎藤はついと口元を笑みの形へを変え、

「土方さんのこと、か?」

と問いかける。

 

どうやら‥‥一部始終見られていたらしい。

 

はすいっと悪戯っぽく目を細めると、

「さあね。」

誤魔化すように言った。

「それより、なに?」

用件は。

と斎藤に訊ねると、彼はああと一つ頷いた。

 

「近藤さんの事だが‥‥」

「ああ、お偉いさんに呼ばれてる件?」

 

それだ。

と彼は頷く。

 

新選組の局長として、軍議に参加せよ‥‥との事で、彼は二条城に呼ばれていた。

わざわざ出向いてこいというのは、幕府の権威は失墜したというのに相変わらず偉そうな事だとは思うが、致し方ない。

こちらは幕臣だ。

仕える身となれば仕方がない。

しかしだ。

出向くのに、護衛を少数で、というのがにとっては納得できない問題だった。

それは近藤が言い出した事なのだが、最低でも3人程度で十分なのだという。

 

「まあ、近藤さんの言いたいことも分かるけど‥‥

なんせ相手が相手だ。

呼び出したのは相手でも、こちらは、彼らに仕える身となる。

そんな身分の者が護衛十数人も引き連れていけるわけがない。

十数人も率いて行けば、相手を警戒させてしまうし、こちらが警戒しているようにも見える。

ただでさえ疑心暗鬼になっている世の中なのだ。

しかし、

「それこそ薩長の連中の思うつぼだと思うんだけど。」

ここ最近、我が物顔で薩長の連中が街を闊歩しているのを見る。

薩長の人間からすれば、新選組は仇と言ってもいい。

近藤は、その新選組の局長だ。

敵は‥‥多い。

 

だからは少数で赴くというのに異論を唱えた。

せめて十名。

もしくは、幹部の一人をと言ったが、

幹部の連中は皆強面だし、名を知られている者が多いというのであっさり却下された。

それならば、

自分を一緒に連れていって欲しいと土方に進言した。

は表立って新選組の幹部と知られていない。

平隊士の一人として彼に同行すれば問題はないだろう。

それに、

もし囲まれたとしても、近藤一人くらいなら守れる。

身を挺して守ることも厭わない。

 

そう、は言ったのだが、

 

「‥‥それが‥‥」

斎藤は僅かに難しい顔をした。

 

 

 

「私の同行を許さないってどういう事ですか!?」

部屋に飛び込むなり、いきなりの問い。

それこそ噛みつかんばかりの勢いに、しかし、土方は気圧される事も驚く事もない。

むしろ彼女が来る事を見越していたらしい。

彼は一つため息をつくと、

「近藤さんが言ったんだよ。」

と答えた。

 

此度、近藤が二条城へと行く際の同行者に‥‥の名は上がらなかった。

土方には自分が同行できるようにと頼んだのだけどそれを却下されたと斎藤に聞いて、は彼の元へと訪れたのだ。

よもや彼が却下したのではないか‥‥と思ったが、違うらしい。

局長である近藤の命だという。

 

「な、なんで!?」

「‥‥」

問いに、彼は言いにくそうな顔になった。

「なんでですか!?」

しかし、は引かなかった。

 

少数で外出を許し、

なおかつ護衛に幹部を一人もつけないなんて‥‥

何かあったらどうするというのか。

 

土方だって考えたはずだ。

 

なのに、彼は許した。

 

何故?

と問えば、彼は呻くように呟いた。

「伊東みたいな奴がいねえでもないって事で‥‥な。」

伊東というなんだか懐かしい名前には目を丸くする。

一瞬言われた意味が分からなかったが、すぐに彼の言わんとしている事が分かった。

伊東のような人間がいなくもない。

それはつまり、

伊東のように、に手を出す輩がいるかもしれないという事。

 

「土方さん!なんか喋ったんですか!?」

伊東との事を近藤に喋ったのか?

は少しばかり咎めるような口調で問うた。

しかし、彼は首を振った。

「俺は何も言ってねぇ。」

「じゃ、じゃあなんで‥‥」

伊東との事を近藤が‥‥

と言うと、土方は苦い顔で口を開く。

「前に、あいつを近藤さんの別宅に呼び出した時があっただろうが‥‥」

「‥‥ああ。」

彼を暗殺した時の事?

は呟く。

 

ちょっと色々と思い出したくない事を色々思い出して、ふるっと彼女は頭を振った。

 

「その時に、伊東がおまえを欲しいと近藤さんに言ったんだよ。」

どうやら伊東はによほどの執着があったようで、酒の席で何度もうちの隊に欲しいと言ったらしい。

最初は近藤もの能力を買ってかと思っていたようだが、彼の目が異常だったという事に気付いたようだ。

一剣士をほしがるというよりは、

一人の女をほしがるという。

まあ、伊東がを男か女か、どちらの目で見ていたのかは分からない。

ただ、その目に男としての欲を見抜いたらしい。

あの近藤が気付くというのだからよっぽどだろう。

 

は今更ながらに気味の悪さを感じて身震いした。

それほどまでに執着される意味が分からない。

 

「で、そういう物好きがあちこちにいないわけでもねえ。

特に‥‥まあ偉いさんには変わった奴がいる。」

お稚児趣味やら、男色家やら、様々だ。

そんな所にを連れていって、うっかりでも見初められてしまって、幕府の名を傘に寄越せと言われてはこちらに

拒否権はない。

ということで、は留守を命じられたわけだ。

「近藤さんにとっちゃぁ、おまえは子供みてぇなもんだからな。」

大事に育てている子供が、変な輩に傷つけられたら困る、という親心故だろう。

しかし。

 

「‥‥そんな物好き、いるんですか?」

 

は不服そうに唇を尖らせた。

だって、それは体よく断る為の言い訳にしか聞こえない。

 

相変わらず自分の美貌というのにはまったく気付かない女だ。

男だろうと女であろうと、

相手に変な趣味であろうとなかろうと、彼女の姿は人目につく。

美しい顔立ちもさながら、人を惹きつけるものを持っているのだ。

凛とした、どこか優雅でさえある雰囲気が人目を集める。

それに‥‥本人は無自覚なのだろうが、彼女には言いしれぬ色気がある。

そのくせ、人には決して屈さぬ強い眼差しをもっていて‥‥それ故に、男の欲をくすぐるのだ。

 

千鶴とは違う意味で。

男の欲をくすぐる。

庇護欲よりは、あれだ、

男の征服欲をかき立てるのだ。

 

「いるんだろうよ‥‥」

 

土方は他人事のように、答えた。

 

「でも‥‥」

「仕方ねえだろ、あの人が決めた事だ。

あの人が頑固なのは知ってるだろ?」

それでもまだ不服そうなに、土方は言った。

確かに、彼の頑固っぷりは知ってる。

自分がこうだと決めたら何が何でも譲らない。

だから今更何を言っても無駄なんだとは思う‥‥けど。

「じゃあ、こっそりついていったりとかは?」

「駄目だ。」

「‥‥うぐぐ‥‥」

にべもなく却下され、は呻く。

 

睨み付けるが、彼の困ったような顔に気付いて、その握りしめた拳を解かざるを得なかった。

そうだ。

彼だって、心配に決まってる。

心配だけど、今回は近藤の言い分を飲んだのだ。

 

「わかり、ました。」

は不承不承といった感じで呟く。

「悪いな。」

「いや、土方さんが悪いわけじゃないし。」

「お前は本当に聞き分けが良くて助かる。」

ぽん。

と俯いた頭に手が乗せられた。

大きなそれは、くしゃくしゃと頭を撫で‥‥それはまるで子供を撫でるような手つきで、

「なんか子供扱いされてる気分‥‥」

は半眼で睨む。

「歴とした大人なんですけど。」

と抗議すれば、土方は悪いと苦笑して、その手を離した。

 

大きなその手は、やはり男のもので。

何故か早くなる鼓動に、はひっきりなしに顔を捻った。